「くそ」
 舌打ち交じりに呟いてから、アルフレッドがいない事に感謝した。彼がいれば間違いなく聞き咎められ、下品な言葉は少年育成に悪影響をと説教されていた所だ。
「新しい物は無いのかい?」
 ボーイスカウトと揶揄される同伴者も、幸いながら聞き流してくれた。真っ二つに折れてしまった脚立を手に、ブルースは首を振る。
「これだけだ。…参ったな」
 2人の視線は自然に、壊れた脚立から上へ上へと移っていく。どこまでも伸びているような錯覚に捕われる、巨大な書棚の上へと――。

BOOKWARM

 運悪くと言うべきか、運良くと言うべきか。ブルースがクラークの訪問を受けたのは、膨大な冊数を誇る書庫の掃除中だった。
 データベース作成と整理、それに虫干しを兼ねた作業を行うには、ブルースだけでは手が足りない。アルフレッドは他の家事があるし、ジェイソンは早々に逃亡していた。かくして選ばれし鋼鉄の男――ただし今日は眼鏡とスーツ――は、ブルースと共に書庫へと向かう事になったのだ。
 だが。
「ここさえ終われば一段落着くのだが……」
「大きさが大きさだからね……」
 背伸び程度では到底足りない、書庫最大の棚。それに立ち向かう前に、老朽化していた脚立が壊れてしまったのである。
 ブルースは日曜大工の品を脳裏に思い浮かべた。しかし、具体的な修理に取り掛かる前に、クラークが眼前に手を差し伸べる。
「何だ?」
「僕が上まで飛んでチェックするよ。目録を」
「…飛ぶのか」
 ブルースは眉を寄せた。無意識の内に、手の中の目録を強く握る。
「邸内で飛ばないで頂けるかと、以前も言った筈だぞ、ケント君?」
「良いじゃないか。僕がやるよ」
「断る」
 その言い切りが気に障ったのだろう。クラークもむっと顔を顰めた。途端に彼の踵が数センチ、床から浮き上がる。自分よりも高くなった目線に、ブルースは更に機嫌を損ね、益々強く目録を抱え込んだ。
「ブルース」
「嫌だ。断る」
「たかが本の整理だろう?何を頑固に」
「たかが本の整理だぞ。お前が飛ぶ必要は無い」
「…意地っ張り」
「…お節介」
 交わされる視線には、徐々に険悪な色が混ざり込む。しばしの沈黙が2人の間には流れたが、それを破ったのはクラークだった。
「じゃあ君が置くにしても、一体どうやってやる気だい?まさか本棚を登る気じゃないだろう?」
「馬鹿にするな」
 胸を張って言ったものの、ブルースにさしたる考えがあった訳ではない。精々が脚立を直す事くらいだ。僅かな焦燥が胸を焦がす。
 ブルースはクラークと異なり、飛ぶ事が出来ない。それでも何か方法はある筈だ。上手いやり方が。
――そうだ。
 研ぎ澄まされた感覚は、ブルースにある記憶を呼び起こさせる。父と共に書庫を歩いた、少年の日の思い出を。
「……だが、お前を手伝わせないのも気の毒だ。参加させてやろう」
 いじめっ子と大差ない言葉を、ブルースはクラークに叩き付ける。しかし彼はそれに気付かず、お手並み拝見とでも言う風に頷くだけだった。



 ジェイソン・トッドは黄色いケープを翻し、書庫へと猛進した。
「ブルース!」
 毛足の長い絨毯が、こんな時にはもどかしい。ロビンへと着替えざるを得なかったのも業腹だ。あの鋼鉄の男が来ていなければ、ジェイソンの姿のまま、大急ぎで連絡出来たものを。
「第3銀行に強盗が入ったって!」
「何!」
 書庫の大扉を開けて叫べば返って来る声。本棚の林の中だったが、すぐにジェイソンはブルースがどこにいるのか把握し、飛んで行く。
「バットマンの出番だぜ!いちゃついてないですぐ来てくれよ!」
 嫌味たっぷりに言い放った台詞をしかし、ジェイソンはすぐに後悔した。
「うわわブルース、危ないって!動かないでくれ!」
「お前がすぐ降りようとしないからだ!」
 ブルースの手にあった本が数冊、ばらばらと床に落ちていく。しかし何より問題は、ブルースが浮いている事でも、クラークが飛んでいる事でもなく――彼らの体勢にあった。
 クラークの肩にブルースが座っている状態、即ち。

「…肩車……」

「今行くぞロビン!」
「ちょ、ちょっとブルース!危ないよ!」
 クラークの警告も無視して、ブルースはその肩から飛び降りようともがく。しかしクラークはしっかりとブルースの太腿を掴んだままだ。僅かにバランスを崩したブルースが、クラークの髪にしがみ付く。
「っクラーク、私は100キロ未満だぞ?!しっかり支えろ!」
「揺れるのは君が動くからだ!」
 わあわあと喚く2人の姿を目に焼き付けると、ジェイソンはくるりと彼らに背中を向け、来た道を先程以上の速さで走り出した。
「ど、どうしたんだロビン?!」
「何で」
 1度息を呑む。そうして目尻に浮かんだ涙を振り払ってから、ジェイソンは叫んだ。
「何で本当にいちゃついてるんだよ馬鹿野郎ー!!」
「……誤解だー!!」
 書庫中に響く叫び声。
 だがそれもジェイソンの足を止める事は、無かった。

事件解決後、Jの字はディックさんの所に行って、2人で愚痴大会を開催したかと。

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