お友達の定義

「君のファーストキスっていつ?」

 ブルースはペットボトルを手放しかけた。
 斜め下に視線を移すと、クラークはベッドに寝そべったまま無邪気に笑っている。ブルースの掴んでいた黒髪はあちこちが跳ね、彼をより少年じみた雰囲気にしていた。

「…何故そんな事を聞きたがる」
「気になるから」
「却下だな」
 答えてからペットボトルを含む。荒れた喉には生温い水でも心地良い。
「僕なんて君に現場まで見せたよ」
「お前が勝手に連れて行ったんだろう。見せてくれと頼んだ覚えは無いぞ」
「君の事をもっと知りたいんだ」
 いきなり真剣になった声音でクラークは言う。思わず黙り込んだブルースを、空色の瞳がじっと見つめた。
「教えてくれないか?」

 答えないまま、ブルースは残った水を一気に喉へ流し込み――視線を外したまま告げる。
「…現場には連れて行かないぞ」
「うん、分かった」
 飛び付きそうな笑顔でクラークは上体を起こす。その様子を視界の端で確認しながら、ブルースは閉じっ放しになりそうな唇を無理矢理開いた。
「何年前かは忘れたが、まだ両親が生きていた頃だ。晩春の晴れた日で、庭一面に大きな花が咲いていたのは覚えている」
「場所は、ここ?」
「いいや、学校だった」
 目を伏せながら、強烈な陽光を記憶から蘇らせる。

「確か下校時間がいつもより早かったんだ。私は、その、同じクラスの友人と庭で遊んでいた。庭は学校の裏手にあったし、他の子ども達は帰ってしまっていたから、2人きりだった」
「邪魔は入らなかった訳だね」
「…そうなるな。クラスの話をしている内に、何の拍子か“誰とキスしたい?”と友人が聞いてきたんだ」
「それで君は、その子の名前を言ったのか」
「違う」
 ブルースは頭を振りながら、その折の言葉を掘り起こしていく。

「多分、私は適当に誰かの名前を言ったんだと思う。そうしたら友人が良い顔をしなくなった。キスの仕方を知っているのかと、聞いて来たんだ」
 クラークが小さく苦笑した。
「嫉妬かな」
「良く分からん。だが私はまだ、家族以外とキスした事がなかった。怒ったんだ。すると、話の続きは……想像が尽くだろう」
「“じゃあやってみて”って事か」
 空のペットボトルをブルースは膝に当てた。
「…そうだ。私はもう引くに引けなくなって、目を閉じている彼に――キス、したんだ」

 ブルースはベッドから立ち上がり、ペットボトルを勢い良く塵箱に投げ捨てた。
「これで満足か?私はもう寝るぞ。場所を空けろ」
 クラークの顔も見ぬまま、シーツの間に潜り込む。妙に熱っぽい耳朶を意識しながらブルースは彼に背を向けた。
 だがその背に放たれた声は、安眠を齎しはしなかった。

「……ブルース、今――“彼”って言ったよね?」
 その声が、言葉が、何より背中から伝わる気配が、部屋の空気を凍らせる。

「ねえ、ブルース」
「!」
 シーツ越しに、大きな手が肩へと触れた。
「説明してくれるかな、君の“友人”の事?」


「……っ」
 小さなくしゃみをした赤毛の医師に、同じ夜勤の看護婦が声をかけた。
「先生、お風邪ですか?」
「ああ…そうかもしれないな」
「まあ、少しはお休みしないと。この前だって、ウェインさんの手術で毎日マスコミに」
 赤毛の医師は、看護婦の言葉を中断させるように笑った。

「あれは良いんだよ。何せ彼は――友人だからね」

かくして話はHUSH2巻の「“トミー”か?」に……。

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