「…そう言えば、覚えているかい?初めて出会った日の事を」
目覚めた途端、こんな言葉を、しかもロマンティックな声音で聞くのは体に悪い。身じろぎを抑えたままティムはそう思った。ましてや、他人に向けられたものなら、尚更である。
「勿論だ。忘れる訳がない」
普段といささかも変わりのないブルースの声――とティムは思いたかったが、無理だった。アルフレッドと話す時のような暖かみが、彼の声音からは滲み出ていた。
FIRST CONTACT
宇宙から帰還したばかりのクラークが、「ぜひ君と一緒に行きたかった」とウェイン邸を訪れたのは2時間40分前。
「君がいないと」「君がいてくれたら」とクラークの言動の端々に口説き文句が登場したのは、2時間32分前。
宇宙への好奇心に負けて同席したティムが、2人きりの世界っぷりに飽きて寝入ってしまったのが、30分前になる。
「クリプトナイトを密輸した者がいると聞いて、私とディックがメトロポリスに赴いたのが始まりだったな」
「そうそう。メトロポリスでバットプレーンを見た時は驚いたよ」
ティムに気遣ってだろう。2人は囁きを交わしている。それが妙にティムの耳には睦言めいて聞こえた。もう1度眠ってしまった方が良いかもしれないが、生憎2人の馴れ初めは聞いた事がなかった。
――さて、好奇心は駒鳥も殺すのか?
「…で、クリプトナイトの溶液か」
「君が受け止めてくれたんだったね」
「あの時は危なかったな」
「ああ、あやうく市内に落下するところだった」
笑い声を交えながら話は進む。飛び飛びの単語や話からは全貌が分かり辛い。が、ティムの頭にははっきりとした線が結ばれていく。あやうく成る程と頷きそうになるのを抑えつつ、彼は耳を尖らせていた。
「忘れはしないさ」
それ以前に比べても小さい声で、ブルースが言った。
「お前との出会いだ」
「…ブルース」
感動したらしいクラークの呟きに、ブルースの言葉が重なっていく。
「クリプトナイト液で弱ったお前を見た事も、その後、バットプレーンでお前を滝に入れて洗った事も――忘れはしないさ」
「ブルース……」
――何で滝なんだブルース……!
ティムは寝返りを打った。顔色の変化を知られたくなかったのである。蝙蝠の過去の行いは余りに大胆だった。
「そして、ディックがあの日お前に会えるとはしゃいでいた事も……あれから妙にお前に懐いていった事も……」
「…そ、そうだったかな」
「“尊敬するヒーローはスーパーマン”という作文を書いて帰って来た日の事も……私はけして、忘れはしないさ」
「……ブルース。あの、僕、ひょっとして、君に――」
僅かな戸惑いと共に、震えた声が吐き出される。
「嫌われてない?」
その途端、笑い声が響いた。無論音量は控えめだが、それはやけに大きく室内に轟く。
まるで怒気のように。
「ははは、馬鹿を言えクラーク。私はただ忘れていないだけさ」
「そ、そうか、そうだよね、ははは……」
「…ああ、紅茶が切れたようだな。アルフレッドに頼んでこよう」
硬質な足音がリズムを刻み、止まる。ドアの開いた気配と共に足音はまた聞こえ出したが、ドアの閉まる音にかき消された。
ティムは、上体を起こした。
「クラーク」
「あ、ティム。起こしてしまったかい?」
「そんな事はいいよ。さっきブルースは冗談めかしていた、だけど」
人の良さそうな眼鏡姿を見つめながら、ティムは嫉妬や羨望、揶揄などを何ひとつ込めず、ただ真実が伝わる事を祈り―――言った。
「うちの闇夜の騎士は、24時間いつでも本気だ」
笑顔が一瞬にして硬直する。
「クラーク、アルフレッドがそこまで来て…ティム?起きたのか」
「うんブルース。じゃあ、また」
軽やかにブルースとアルフレッドの横を潜り抜けると、ティムはそっと鋼鉄の笑顔に手を振った。
手を振り返したクラークの眼鏡が光る。それが西日の反射か涙の投影かは、ティムにも分からなかった。