BIRTHDAY , UNKNOWN

 下から吹くビル風は容赦無く体温を奪い取る。石のガーゴイル像はその暴虐にも黙って耐えていたが、長いケープや紫のスーツは、悶えるように翻っていた。
 燃え盛る炎を背後から受け、ガーゴイル像を挟んで立つ2人の顔は、闇の中で厳かに浮かび上がる。
 白い顔と黒い仮面。どちらも永劫変わらないのでは、と思えるような表情が貼り付いている。対照的にも関わらず、否、だからこそ2人は、どこか酷く近しい。
「そろそろ2時の鐘が鳴るな」
「お前がトゥーフェイスの真似をするとは思わなかった、ジョーカー」
 おっと、とジョーカーは額を手で覆う。白い指の間から、こちらを見据えるのは緑。人体に備わっていない筈の、純粋なまでに鮮やかな色。
「俺はハーヴィーの真似なんざしちゃいねぇぜ、バッツィー?」
「では何の為に、2時に起動するよう爆弾を仕掛けた?」
 また影で何かが動いているのではと、疑惑を持ちながらブルースは言う。
「しかも廃工場と、富裕層の家の2箇所とは」
「おいおいおい、まだ謎を解いてねぇのか名探偵?淋しさと情けなさで心が張り裂けそうだ!」
 片足を軸にしてジョーカーは回る。良くもこのビル風に吹き飛ばされずにいられるものだと、ブルースは僅かながら感心した。爆弾の遠隔操作を行っていた装置は、相も変わらず背後で燃え続け、収まる気配は無い。
「お前の冗談に付き合うのは懲り懲りだ」
 ブルースがロープを取り出した途端、ジョーカーは回転を止めた。
「俺は単に“お祝い”したかっただけだぜ?折角呼んでやったってのに、お前と来たら――」
「期待に添えず」
 手首を利かせてブルースはロープを投げる。ジョーカーの細い体に、苦も無くそれは巻き付いた。ひひ、と肩を竦めてジョーカーは笑う。
「悪かった。何の祝いかは知らんが、刑務所で祝って貰うが良い」
「やっぱり分かっちゃいねぇんだな」
 笑みがふと消えた。常にジョーカーの表情は笑顔だが、しかし長年付き合っていく内に、どれが真の笑顔か見抜く目が身に付いている。今の表情に浮かぶのは、悲しみだ。
「お前と来たらいつもそうだ。俺とお前の事も、あの緑パンツの坊やの事も分かっちゃいねぇ。鈍いにも程があるぜ?」
「…下らん冗談に付き合わされる位なら、鈍い方がましだ」
 この男を真の意味で理解するなど、考えただけで虫唾が走る。表情のみならず行動まで読めるようになったのは、犯罪への対処の為だ。止むを得ず身に付けただけであり、思考を共有したいとまで思ってはいない。
 だが。
「俺の目には見込みがあるように映るがな」
 赤い唇の端が吊り上る。チェシャ猫の笑みというのはきっと、こういう表情を差すのだろう。
「本当は分かっている筈だぜ?おっと、お前が名探偵だからって訳じゃねぇ!」
「そろそろ無駄口を叩くのは止めだ」
 上空でヘリコプターの音が鳴る。ゴッサム市警だ。ジョーカーに屋上際から飛び降りられる危険を防ぐべく、ブルースは足を踏み出し――
「お前がお前だからさ、ダーリン」
 こちらへ飛んで来たジョーカーを、受け止めた。
 足場が悪い所に、幾ら軽いとは言え男の体当たりを食らって、ブルースはがくりと体を揺らした。耳元で甲高い笑い声が轟く。だがそれより胸に感じるジョーカーの体温と重みが不快で仕方ない。それでも堪えて抱き留め、何とか体勢を立て直す。
 頬に生温かい息を感じた時は、遅かった。
「プレゼントは貰っておくぜ」
 そう告げてからジョーカーは、ブルースの唇近い頬を、噛んだ。
「……!」
 余りの事に竦んだ一瞬で、更にぬらりとした感触が肌に伝わる――舐められている。
 認識すると同時に、ブルースはジョーカーを掴んで屋上側へと投げ出した。肩が石畳に当たったのか、鈍い嫌な音が響く。が、それを圧して轟く笑い声に、ブルースは更なる激情へと駆られ掛けた。
「汚い手で、私に――私に2度と触れるな!」
「前にもそう言われたから、今度は手を使わなかったんだぜ?ええ、満足だろベイビー?!」
 蹴り倒さんとブルースが足を動かした時、ヘリコプターからの声が降り注いだ。
『こちらゴッサム市警だ。手を頭の後ろにやって、そのまま伏せなさい!』
 ゴードンの声では無い。だがブルースがジョーカーを蹴り飛ばしそうだと見計らい、忠告したのだろう。水を掛けられたように頭が冷えていく。ブルースはジョーカーに噛まれた――舐められたと思いたくは無い――部分を手袋で乱暴に拭うと、グラップルガンを打った。何やら頭上から騒いでいる声は無視して、手応えを確認する。
「あばよ、バットマン!Happy birthday to me!」
 その声を背中にしてブルースは闇夜の中へと飛び出した。
 ハッピー・バースデイ。夜風と怒りで冴えた頭が、その語と記憶の断片を繋げていく。導き出された答えは、本当は分かっていたのかもしれないと思う程簡単だった。
 8月1日、廃工場に現れたレッドフード・ギャングをバットマンは追った。追ってそして、レッドフードは廃液の海へと落ちていった。それからしばらくして現れたジョーカーは、ある富裕層の家に強盗へと押し入った。その強盗事件を止めたのもまた、バットマンだった。
 8月1日。今日という日にジョーカーは産声を上げたのだ。バットマンの手によって。
――お前がお前だからさ。
 あれは己を生ましめた存在だからこそ、と言う意味だったのだろうか。だがもう、ブルースは考えたくなかった。
 だから、せめて。
「…Happy birthday , Joker」
 自分の作り上げた忌まわしき存在へ、罪悪感と後悔を込めながら、ブルースはその誕生を言祝いだ。

お誕生日おめでとうございます王子殿下。
お誕生日くらい良い思いをさせて差し上げねば!と奉納の気持ちを込めて書きました。
最近は巻き込まれたり殴られたり全裸になったりとお忙しいですが、ご活躍を期待しています。
あと蝙蝠は噛んだ舐めたと思っていますが、心意気としてはベーゼです。もしくは接吻。

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