「ウオッチタワーからスーパーマン。――様子はどう?」
『スーパーマンからウオッチタワー。こちらは順調だよ』
モニターに映し出された鋼鉄の男は、マスク越しに片目を瞑った。その肩に乗っているのが人工衛星で無ければ、或いは着ている物が防護服で無ければ、そこが宇宙だと言う事に気付かないかもしれない。
ブルースはそう思いながらモニターと、それに向き合うワンダーウーマンの背中を見つめていた。
『軌道はこれで合っているかな?』
「ええ。間違い無いわ。あと5分も経てば、NASAからのデータ送信も終了する筈よ」
『了解。それまでの辛抱だね』
「油断するなよ」
ついそう言っていたブルースへと、ワンダーウーマンが振り返る。クラークも目を瞬かせた。まるで珍しい物を見たかのような2人の視線に、ブルースは困惑して眉を寄せる。
「……前のような爆発が無い、とは言えんぞ」
『そうだな』
防護マスクの向こう、薄い唇が緩やかに持ち上がった。
『気を付けるよ。ありがとう、ブルース』
「だから、タワーにいる時はその名で呼ぶなと」
言っているだろう、と叫び掛けてブルースは止める。ワンダーウーマンがいると言うのに、痴話喧嘩じみたやり取りはまずい。非常にまずい。
喉の奥で留めた言葉を、代わりにきつい視線で託す。が、睨み付けられたクラークは全く動じず、むしろ幸せ一杯の、警戒とは程遠そうな顔で手を振っていた。
『それじゃあ、タワーで会おう』
「ええ。頑張ってね、カル」
通信が切れる。暗くなったモニターから視線を離すと、ブルースは落ち着かない気持ちで外の地球を見やった。
「ブルース」
その背中に掛かる澄んだ声音。
振り返ると、椅子に腰掛けたままワンダーウーマンが笑っている。
「そう呼ばれるのは嫌い?」
「好き嫌いの問題では無い。正体が知られたらどうする?」
「名前から、“あの”貴方を推測出来ると思う?」
「用心し過ぎる位で丁度良いんだ」
そうなの、と彼女は頷く。しかしエーゲ海を思わせる瞳には、まだ笑みの残滓が漂っている。
「…君も、私をそう呼ぶ事は殆ど無いだろう。彼を地球の名前で呼ぶ事も少ない」
「ええ、だって彼――」
ワンダーウーマンは戦士へ命令を下す折のように、白い指をモニターへと閃かせた。
「貴方を名前で呼ぶと拗ねるんですもの。それに、彼を名前で呼ぶのは、貴方の専売特許でしょう?」
ブルースが内容を理解するまでに10秒、そこから口を開くまでに15秒掛かった。
「…拗ねる」
「そう」
「……専売特許」
「ええ、そう」
テストの正答を述べる教師よりも、遥かに簡潔にワンダーウーマンは肯定していく。何か質問はありますか、と言わんばかりに首を傾げて。
ブルースは思わず眉間に手を当てた。頭痛がしそうだ。
「ロビンも彼をそう呼ぶぞ……?」
「あら、知らなかったわ。でも彼は貴方のサイドキックだから、特別よね?」
否とブルースは口を開きかける。が、その脳裏に、もっと恐ろしい疑問が浮かび上がった。
「本当に」
「え?」
「その…奴が、ごねたとか拗ねたとかいった事が……あったのか?」
問いを受けたアマゾンの王女は、唇の端を吊り上げた。非常に魅力的な表情だ。しかし同時にブルースは、獲物を前にする獣の姿をも思い出してしまう。
「もし無かったら、私はもっと“ブルース”って呼んでいたわね」
「……」
「気にしないで。私、貴方達の事を知れて良かったと思っているから」
鷹揚にワンダーウーマンが首を振った時、通信機に再び反応が起こった。すかさず彼女は身を翻し、スイッチを入れる。モニターに浮かんだのは、飛び立つ人工衛星の後姿だ。
『スーパーマンからウオッチタワー。衛星が軌道に乗ったよ。これから帰還する』
「お疲れ様。コーヒーを淹れて待っているわ。ね、バットマ――」
振り返るワンダーウーマンの視界から、闇夜の騎士は消え去った後だった。
『ダイアナ?どうかしたかい?』
「…ちょっと言い過ぎてしまったみたい」
『え?』
「ごめんなさいカル。あの、そうねとりあえず」
最も警戒すべき事柄を、ワンダーウーマンは口に上らせた。
「出会い頭のクリプトナイトには、くれぐれも気を付けて」
彼女の忠告が意味を成さなかった事は、言うまでも無い。