日没間近で過ごし易くなったとは言え、ジョギングのお蔭で汗はTシャツに染み入っている。じっとり湿って肌に張り付くそれを、軽く引っ張りながらブルースは帰路を歩いた。
舗装されてはいるが、郊外にあるこの道路を役立てる者は殆どいない。郵便配達人と、アルフレッドと、夜中に飛び立つ蝙蝠姿の男くらいなものだ。注意は必要ながら安心してトレーニングに励める。ここ2,3日ケイブに詰めっ切りだった体も、久し振りの走り込みで爽快さを感じていた。
もう1度走ろうかと考えながら、ブルースは晩夏の空を見上げた。こめかみに流れた汗を、吹き渡る風が冷やしてくれる。
西の空は茜色の雲が幾つも折り重なっていて、禍々しいほど鮮やかに輝いている。反対側の東の空は、既に白く細い三日月が現れていたが、昼間と変わらぬ澄んだ青さを留めていた。全く異なる様相を持った空に、ブルースは瞬時目を奪われ、そしてふと引っ掛かる物を覚える。波立つ心に合わせてくれたのか、道路の両際にある空き地では、さわさわと木々や草が揺れ始めた。
赤い空と青い空。一体何が琴線に触れたのかと、歩の速度を緩めつつブルースは考える。だが、空と言えば思い浮かぶのは1人しかいない。容易に答えを出してしまった自分の心に眉を寄せ、それでもブルースは脳裏に当人の顔を思い描いた。
茜色と空色。
それは丁度、彼を彩るコスチュームと同じ色だ。
赤と言えば太陽、と考えていたが、空の彩りにも同じ色があったとは。それも同時に発現される時があったとは。面白いものだとブルースは空を仰ぎ続ける。足元がおぼつかずに転ぶ心配などは無い。
間近で見るコスチュームは、派手な物としか感じていなかったが、こうして空を見ると存外、美しい。考えてみれば彼の瞳も、普段は空色なのに、渦巻く炎を宿す事もある。あの折の瞳は、今の西の空に似ている。目に焼き付いて離れない色だ。
どこまでも空と縁の深い男だと、そう思ってブルースは小さく笑った。足首を軽く回してから、再びリズミカルに走り始める。
彼のコスチュームにも、瞳にも、考えてみれば久しく会っていない。今頃は仕事を終えているだろうか。それともメトロポリスを飛び回っているだろうか。はたまた――
「っ」
思い巡らせるブルースを、嘲笑うかのように一陣の突風が吹いた。散らばっていた枯葉や枝が吹き飛ばされ、細かい砂が顔に当たる。目に入らぬようブルースは瞼を伏せた。
「美しい夕暮れ時ですね、ミスター・ウェイン」
瞼を上げるまでの間は、ほんの僅かだったと言うのに。
「お散歩ですか?」
「…ジョギングだよ、スーパーマン」
そう言い差してからブルースは、目前に立つ空の申し子へと微笑んだ。
「帰路もそのつもりで?」
「ああ」
「宜しければ、ここに1人」
空色のタイツを着た胸へ、口調同様に恭しく大きな手が当てられる。
「便利な交通手段を持った男がいるのですが……」
「汗でずぶ濡れの男を運びたいとは、随分と物好きな男だな」
「別に気にならないよ。君だからね」
で、と促すように首を傾げられる。
ブルースはもう1度、空を仰ぎ見た。少し翳りが濃くなった東の空は、今はむしろ自分の瞳に似ている。
だが、あの色でなければ。
「……では、お言葉に甘えようか」
「はい、どうぞ」
躊躇う事無く差し出された両腕に向けて、ブルースは1歩、足を踏み出す。受け止める笑みも、どこか空の広さに似ていると思いながら。
そして黄昏時の風が吹く頃、空に一筋、赤と青の軌跡が流れた。