ウオッチタワーの窓から見下ろす地球は美しい。どの宝石もこの輝きには及ばないだろう。
その繊細な姿を見る度、ブルースは己の責任を強く感じるのだ。今存在する、そして未来に降りかかるだろう数多の危難を、克服せねばならないと――
「ここにいたのか」
柔らかい低音が背中に掛けられる。衣擦れも立てずにブルースは振り返った。
「何か問題でも?」
「いいや。交代時間が近いから、迎えにね」
クラークはそう答えると、微笑んでドアを示した。
かくして蝙蝠は笑う
「君との監視なんて久し振りじゃないか?」
「…そうだな」
「そもそも、会うのも久し振りな気がするよ」
「…そうか?」
「うん」
破顔一笑。
子どものように無邪気なクラークの笑みに、闇夜の騎士が笑顔で答える事は殆ど無い。今日もまたそのお約束に従い、ブルースは仏頂面のまま歩き続けている。気に入らないからだろうと知人の数名は推測しているが、それは物事の一面しか捉えていない結果だ。少なくともブルースはそう思う。
自分でも持て余しているこの感情を、どう表せば良いのか?
――他人が分かる訳もない。
頭を振りたい衝動を抑え、ブルースはクラークを横目で見やった。すると先程までの笑顔はどこかへ消え失せ、躊躇うような色が表出している。親しくない者にとっては珍しいかもしれないが、ブルースにとっては最早慣れっこになった表情だった。
「言いたい事でもあるのか?」
「え、あ、いや」
迷える鋼鉄の男は、慌てた様子で右手を振った。
「…この前、ちょっと小耳に挟んだ話なんだが」
数百マイル先の音すら聞き分ける小耳である。
「君がゴードン本部長に…“友人以上の存在だ”って言ったって……」
「誰から聞いた?」
そう言いながらもブルースには経路が想像出来ていた。電脳世界の神託を告げる、彼女に違いあるまい。情報屋だけあって口は堅いが、クラークには弱いのだ。蝙蝠の翼に集まった者達の中では、ディックと1,2を争うだろう。彼と異なり手厳しいのがせめてもの救いだが。
「そ、それは言えないよ」
「だろうな。言わなくても分かるが」
「…やっぱり?」
「で」
ブルースは正面から青い瞳に向き合う。歩く速度は緩めたが、表情までは緩めなかった。
「その言葉がどうかしたのか?」
「聞きたいんだ」
向かい合った事を、ほんの一瞬だけブルースは後悔する。相変わらず真剣な光がクラークの目には宿っていた。
「何をだ?」
「“友人以上”って…その、もしかして……」
「…お前には言いたくなかった」
再び視線を逸らした。ほぼ同時にクラークが左腕を掴む。
「言ってくれ。…頼む」
向き合わずに済んだ安堵がブルースの胸に広がる。こう言う話題で彼と真正面から見詰め合うには、尋常ならぬ気力が必要だ。
「昔から、彼には憧れていた」
「…君が、憧れて……?」
「真面目で率直な人だ。気取らない所も……」
「そうだね…良い人だ」
するりとクラークの手が腕から離れる。
「確かに、私との年齢差は多少問題かもしれないが」
「…うん、まあそれなりに離れては……」
「それでも彼は…友人以上の感情を抱かせる人だ」
「!」
ブルースは自嘲気味に笑った。
「こんな事、お前に話せば何を言われるか分からないからな」
「そ、それはそうだよ!」
「本人にも言えなかったが、この前ついに口から出てしまったらしい」
「ブルース……!」
愕然としたクラークの声を気にも留めず、ブルースは、長年思っていた事を言葉にしてしまった。
「彼は私にとって――父のようにも思っている人だ」
「――――え?」
ブルースは、俯きがちだった顔を上げた。歩む速度も元に戻していく。
「この年になっても、ついそう思ってしまう。矢張りいつも影から助けられている所為だろうな。父を失って久しいが、もし今でも生きていてくれるなら、きっと彼のように厳しく温かい――クラーク?」
いつの間にか、響くブーツの音は自分1人の分だけになっている。訝しがって横を見ると、クラークは壁にしがみついてた。
「どうした?」
「いや…友人以上って、お父さんみたいだって…そういう事か……」
ははは、と乾いた笑い声がブルースの耳を打つ。眉間に皺を寄せながら、ブルースはクラークを引っ張り起こした。しっかり立ち上がった所で、ケープを翻し素早く歩く。
「行くぞ。ジョンが待っている」
「ああ、うん、そうだね」
「彼が、自分以上に思われているとでも考えたか」
出来るだけさりげなくブルースは言った。斜め後ろでクラークの呼吸が止まる。図星らしい。
「…だって君、“友人以上”って言ったそうじゃないか」
「“友人”?」
拗ねた口調へとブルースは振り返り――破顔一笑。
「お前はただの“友人”か?」
声にはほんの少しだけ、艶を帯びさせて。
クラークが目を丸くした。その表情のまま何度も首が振られる。勢い良く、何度も、横に。
「ならば話は終わりだ」
抱き付かれるのを覚悟したのだが、相手は何もして来なかった。コントロールルームの入り口が開いたからだ。
「待たせたな、ジョン」
「遅れてはいない。気にするな」
緑の肌持つ火星人にブルースは歩み寄る。滅多な事では乱れないジョンの表情が、クラークに目を留めた時、珍しく揺れた。
「スーパーマン、どうかしたのか」
「…何でもないよ、ちょっと色々あっただけさ」
「矛盾しているな」
「放っておけ。いつもの事だ」
「そうか」
ブルースの言葉にあっさりとジョンは頷いた。
この後の数時間をどうクラークと過ごすのか――。
ジョンが消えてすぐ、ブルースはその悩みに気付く事となる。