大量のカメラに監視されている訳でも、大勢のファンに追われる訳でも無い。支払い以外でサインを求められた覚えも殆ど無かった。
ただ全世界有数の企業であるウェイン・エンタープライゼスに、CEOとして収まっていれば、それなりに名も顔も知れてくる。目くらまし代わりの振る舞いも、困った事に一部の人間から受けてしまい、注がれる好奇の視線も増えて来た。
――世も末だ。
待ち構えていた記者達に微笑みながら、ブルースは苦々しい思いを噛み締めていた。
「ミスター・ウェイン、これからのご予定は?」
「ミスター・ウェイン、矢張り女性とご一緒で?」
「おいおい、僕の予定が知りたかったら秘書に聞いてくれよ!同伴者の名前もそこにメモしてある筈さ」
自分が毎夜守り続けている人々は、どんな顔でこの姿を見ているのだろう。考えたくも無い。
「ミスター・ウェイン、ぜひ質問に」
「だから悪いんだけど、そう言う話は秘書を通し……」
袖を引っ張られて振り返ると、そこには金髪の美女が立っていた。
おや、と艶やかな容姿に寸時、ブルースは目を見張る。だがその肩越しにあるのは、髭面の男が構えたカメラだ。潮のように興味は薄れた。
「当番組の視聴者は、貴方のファンが多いんですよ。1つだけ質問させて下さい――貴方の好みのタイプは?」
「あー…そうだね」
黒髪にブルーアイズ、赤いケープと青いタイツが良く似合う、弾丸より早く機関車より強いクリプトニアン。
――言えるか!
ただそれを参考にして、黒髪とだけ言えば良かろうか。いやしかし、万が一という事態も考えられる。推測されるならば、事実とはかけ離れた地点でさせておきたい。
「ミスター・ウェイン?」
無限ループしかかった思考が、美人リポーターのその声に突破口を得る。ブルースは視線を彼女に合わせると、身内には死んでも見せたくない、甘い甘い微笑を浮かべて囁いた。
「君のように美しい金髪の持ち主となら、いつでも晩餐を共にしたいね」
ほんのり赤くなったリポーターに片目を瞑ってから、ブルースは再び歩き出した。
ウオッチタワーでのシフトには何とか間に合った。宇宙空間にスピード違反が無い事へ感謝する。それでもグリーンランタンから点検のメモや注意事項を受け取ると、司令室に着く頃には、予定時間を5分ほど回っていた。
「すまないワンダーウーマン、少し遅れた」
返答は「気にしないで」、或いは「珍しいわね」。
そう予想していたブルースを迎えたのは――暗鬱な空気と青タイツを纏った背中だった。
「……監視交代の時間だぞ、スーパーマン。ワンダーウーマンは遅刻か?」
珍しい様子に気圧されながら、ブルースは広い背中に呼び掛ける。ゆっくりとクラークは振り返った。その頬に宿る濃い翳りに、思わずブルースは後ずさりしたい衝動を堪える。
だがクラークは黙り込んだまま、大人しくブルースに席を譲った。訝しさがブルースの心を過ぎるが、次の瞬間、それは鳴った連絡音にかき消される。
「こちらウオッチタワー。どうした?」
ボタンを押すと、幾つもある画面全てに、2人のヒーローの姿が映し出された。
『よお、バッツ!』
『お久し振りね』
「…スターシティ?」
腕を組んだグリーンアローとブラックキャナリーが、にこやかにこちらへ手を振っている。格好と、そして2人の背後にある人――恐らく犯罪者――の小山を除けば、新婚旅行のビデオのような光景だ。
『あんたが言っていた車両窃盗団、捕まえたぜ』
『これから警察へ送る所なの。貴方の情報で楽に捕獲できたから、その連絡に』
「そうか。それは良かった」
キャナリーの長い金髪が風に揺れる。それを指先で弄びながら、そういうこった、とグリーンアローは笑った。
『ただ、逃げた下っ端が何人かいる。ゴッサムに流れ込むかもしれんからな。気を付けろよ』
「ああ、分かっているさ」
『それじゃあ失礼するわね。オラクル達にもよろしく』
2人が笑って再び手を振る。軽く顎を引いてそれに応えると、ブルースは通信を切った。
「良かったね」
背後から重たげな声が響いた。振り仰ぐと、クラークが先程と同じ陰気な表情で立っている。
「…ああ。これで少しは安心出来る」
「それもあるけど。…君のタイプなんだろう、金髪は」
――見たんだな。
ブルースとあのリポーターとのやり取りを。だからこそワンダーウーマンとシフトを替えたのだろう。
――そこに金髪のキャナリーか。
しまった、とブルースが僅かに表情を変えた途端、クラークは長く細い呟きを洩らし始めた。
「良いよね、ブロンドの人って。華やかでさ。僕みたいな野暮ったい黒髪より都会的な印象だよね。ああでも君は僕と違って綺麗な黒髪だから、金髪の人と一緒だと、対照的で素敵に見えると思うよ。とても、ああうん、とっってもお似合いだろうな、僕といるよりも」
「………クラーク」
一分の隙も無い拗ねっぷりに、ブルースは何も言えない。言い訳するのは癪だと思いながら、言い訳のような口調でブルースは言葉を紡いだ。
「確かに金髪とは言ったが、私が答えたあれは――」
「良いよフォローしてくれなくても。分かっているさ。あっちは僕よりずっとタイプなんだろう?昔から仲良くしていたし」
「待て、クラーク」
背もたれに置かれた手に、ブルースは軽く触れた。微かにクラークの厚い肩が震える。
「お前も記者の端くれだろう。今まで、カメラの前で真実を語る者は何人いた?」
「…それは少なかったけど、でも」
「私の嘘を見抜けない事くらい知っている。だがいつだってお前は――私の真実を突いて来た」
それなら今回も嘘だと分かる筈だ。言外にそう込めて、ブルースはクラークの瞳を見やる。徐々にその瞳には、晴天の色が戻って来た。
「だって君の演技は上手いじゃないか、ブルース」
「…光栄だが有難くない話だ……」
げんなりして俯きかけたブルースの顎に、クラークの指先が触れる。それが誘うままにブルースは顔を上げた。近付く唇に、僅かに眉を寄せる。
「…泣いた鴉が何とやら、と言うやつだな。まだシフトは残っているぞ?」
「知っているよ。今はキスだけ」
「今は?」
「そう、今は」
その言葉通り、口付けは深まる事なく、触れるだけで終わった。それでも目元には紅が差し込む。マスクを付けていて良かった、と何十回目かの安堵を感じて、ブルースはクラークから顔を離す。
「…嘘だと分かっていても、不安になる時はあるんだよ」
「……そうか?」
「そうさ。だって君、グリーンアローとは昔馴染みで」
「待て」
ブルースは素早く手をかざした。クラークが首を傾げるのも省みず、矢継ぎ早に尋ねていく。
「グリーンアロー?」
「うん」
「ブラックキャナリーではなく?」
「どうして僕が彼女に妬くんだい?」
無邪気、と言ってしまえるほどあっさりと、クラークは心を曝け出した。
ブルースは、拳を握った。力一杯。震えるほど。
「クラーク」
「え?」
クラークの襟首を掴むと、ブルースはあくまで低く囁いた。
「お前は、オリーがブロンド美女のカテゴリー内に入るとでも?」
まさか、とクラークが答えるより早く――ブルースの拳が唸りを上げた。