街の巡回で少し疲弊した足を引きずりながら、ブルースは己の部屋へと入った。電気を点けると見慣れた調度が浮かび上がる。
「…珍しいな」
呟くと同時にレースのカーテンは裾を浮かせた。僅かに開いた窓の先、広がるテラスに立つ大きな影が、謝罪でもするかのように片手を掲げる。
「お前が窓を開けるとは」
「ごめん。少し押したら開いてしまって」
大きく窓を開け放てば、夜風が生乾きの髪を揺らした。湿気の多さと気温の高さに変わりは無いが、風ばかりは既に秋の気配を帯びている。
「寒くないかい?」
「平気だ」
クラークの問いかけにも首を振った。着ているのはガウン1枚だがそれほど柔な体ではない。夜の名残を肌で味わっていると、背後で何やらケープを持っては放すような衣擦れがした。ブルースの肩に掛けるか掛けまいか、迷っているのだろう。
「今日は何の用だ?」
苦笑を殺して聞けば、一際大きくケープが音を立てた。ええと、と戸惑う声音と共に、クラークが肩を並べに寄って来る。
「君に見せたい物があるんだ」
「ほう?」
何だ、と促すより早く、クラークはケープの裏に付いたポケットに手を入れている。
「事故で鉱山に行っていたんだけど、そこで見付けた石が変わっていてね」
「クリプトナイトの亜種でも見付けたか?」
「まさか。だったらこんな風に持って来られないよ。…ほら」
そう言ってクラークが差し出したのは、確かにむき出しの石だった。片手に収まる程の石は表面がごつごつとして、未加工なのがはっきりと分かる。青緑色をした水晶のようなそれを、ブルースは手に取り、じっと目を凝らした。
「…特段、変わった所は無いようだが」
「変わっているのは石そのものと言うより名前なんだ」
「名前?」
一呼吸置いてから、クラークは夜に紛れ込みそうな小声で囁いた。
「Brucite――つまり、ブルース石」
「……」
「君と同じ名前だから」
つい頼んで持って来てしまったと、照れ臭そうにクラークは笑う。行為よりもむしろその笑みに、ブルースの中にも照れが湧いて来た。そっと視線をクラークから外し、柔らかい色をした石に戻す。
――こんな甘い色をしているのに。
自分と同じ名前なのだと言う事に、妙な気恥ずかしさをブルースは感じた。どう答えれば良いのか分からぬまま俯いていると、クラークがまたひっそりと呟く。
「…気に入らなかったかな」
「いいや」
尖った表面に指先を滑らせながら、ブルースは横に首を振った。
「悪くない。…気に入った」
ぱっとクラークが顔を輝かせた。夜では最も暗いと言われる夜明け前にも関わらず、周囲が無条件で明るくなる笑顔。良くそんなに嬉しそうな顔が出来るものだと、揶揄半分憧憬半分でそう思う。
「何か特徴はあるのか?」
「かなり硬いと聞いただけだな。今度また調べて来るよ。……じゃあ、ちょっと失礼」
再びクラークがケープの中に手を入れる。すぐに丸められた紐を取り出すと、彼は無造作にブルースの左手を握った。
「待て。何をするつもりだ」
「え?何って」
紐がひらりと夜風に舞う。書かれた細かい数値をようやくブルースも見る事が出来た。単なる紐ではない。メジャーだ。
「君の指のサイズを測らせて貰おうと思って」
「何の為に」
「指輪を作るんだよ、これで」
「これで?!」
思わず叫んだブルースの指に、嬉々としてクラークはメジャーを巻き付ける。
「そう、それで。前はクリプトナイトで作った指輪をあげたけど、僕がいるとはめられないだろう?だから今回は、僕がいる時でもはめられるような指輪を……あ、流石に左手の薬指は不味いか。右手の方が良いかな?」
「そもそも指輪が不必要だ!」
真剣に尋ねるクラークの額に、ブルースは手の石をがっつんと叩き付けた。
「あれ、ブルース。こんな石持ってたっけ?」
「クラークが寄越したんだ」
「……2つも?」
「2つも、だ」
鋼鉄の男の額に負けて割れた石は、美しい断面を見せながら、今日もウェイン家当主の棚にひっそりと飾られている。