EAT ME !

『…ではここで、本日のゲストを紹介しましょう!』
 わっと喝采が上がる。スタジオの脇から現れた男は、低カロリー料理を謳い文句にしている有名な料理人だ。日に焼けた顔とブロンド、そして爽やかな笑みが主婦層にも受けるらしく、昨今の健康志向と共にメディア露出が増えている。
「どこのシェフだ?」
「駅前に大きなホテルが建っただろう?あそこの最上階を任されているらしいよ」
「詳しいな」
「たまたま行く機会があってね」
 2切れだけ残ったピザの内、1つを手に取ってクラークは答えた。もう1つを、テーブル向かいに座るブルースの指が抓み上げる。特大サイズと言えども、大男2人の胃にすぐ消えてしまう。汚れたパッケージの残骸が物悲しい。
「女性と?」
 ブルースの問いに、クラークは思わず吹き出しかけた。
「まさか!記者会見に行っただけさ。しかも相手はジミーだ」
「何だ、つまらんな」
 そう言ってブルースは唇を吊り上げる。
――うんって答えたら怒る癖に。
「2か月分の家賃がたった一食で消えるなんて、僕には恐ろしいだけだよ」
 心中の呟きを表には出さぬまま、クラークは答え、コーラを飲んだ。トマトとサラミの香りが、薄まった炭酸に押し流されていく。
「じゃあ今度からは、私の招待にも答えられないな」
「え、いや」
 慌ててクラークは手を振った。ブルースと2人で外食するのは稀だが、それだけにその機会は逃したくない。
「き、君といる時は別で、その」
「分かっている。冗談だ」
「……うん」
 クラークは軽く肩を落とした。
 自分達の関係や、裏の顔を知られない為にも、外で会う際には何より人目が気になる。2人きりで会っていた、という秘密を厳守してくれる店は、そう多くない。そして大抵、そんな店にはクラークの財布では太刀打ち出来ず、支払いは全てブルース任せになる。
 払わせっ放し、という状況にクラークが得心する訳もない。恐縮する彼に気を遣っているのか、ブルースは滅多に外食へと誘わなかった。だから今夜もこうして、クラークのアパートで特大ピザを頼んでいるのだ。
 ただ1度で良いから、ブルースのようなセレブご用達の高級店で、「僕が払うよ」と言ってみたい――それが目下の、クラークの野望である。スーパーマンの格好でいけば、ひょっとすると無料になるかもしれないが。
 落ち込んでいたクラークの気分はしかし、料理人の台詞で掻き消される。
『ま、僕の手並みはイギリス人のようなものですよ』
 テレビの中の観客が沸いた。と同時に、ブルースの眉間に皺が寄せられる。
「…腕はどうか知らないが、脳はお粗末なようだな」
「本当だね。アルフレッドの料理を食べたら、こんな事は言えなくなるよ」
 ウェイン邸の至宝とも言うべきアルフレッドは、れっきとしたイギリス人である。彼の作り出された料理に、クラークが舌鼓を打たなかった事はない。
 チャンネルを替えようか、とリモコンにクラークは手を伸ばす。その時、料理人は高らかにこう言った。
『前菜は韓国料理、アスパラガスのジョンです!』
「…ジョン?」
 ほんのしばしの間、2人の動作が止まる。
 先に口を開いたのはクラークだった。
「ブルース」
「何だ」
「マーシャンの方とランタンの方、どっちだと思う?」
「…どちらも緑だからな……」
 コーラを呷ってからブルースは頭を抱えた。
「何となくスチュワートのような気もするが」
「僕はアスパラの形から考えて、ジョーンズじゃないかと思う」
「そうだな。形状的にはジョーンズの方が近い」
「しかし、世界は広いね……」
「ああ、本当にな……」
 思わぬ名前に首を振ってから、2人は画面に目を戻す。どうやらアスパラを卵に付けて焼く料理らしい。
「焼いて大丈夫なのか?」
「非常に危険だと思うよ。彼、火に弱いじゃないか」
「洒落にならないぞ」
「新しい撃退方法としてヴィランが使ったりしてね」
「卵とフライパン、それにガスコンロを持って来るヴィランか……珍妙な光景だな」
「すぐ倒せそうだ。卵を溶かして、ジョンに掛けて、フライパンを温めて、だろう?時間が掛かり過ぎだよ!」
 2人は大きな声で笑った。溶き卵まみれで、温まったフライパンに乗ったジョン。シュールだがしかし、今後も絶対に有り得ないとは言い切れない気がして、それもまた笑いに拍車を掛けた。
「いっそお前がヒートビジョンで温めたらどうだ?」
「それじゃあ僕がヴィランじゃないか」
 しかしブルースはその想像が気に入ったらしく、体を丸めて笑っている。クラークは頬を膨らませた。
「酷いよブルース。僕がジョンを料理するのかい?絵本の巨人みたいに?」
「ああ。不満か?」
 目尻に涙を浮かべているブルースに、そうさ、とクラークは頷いた。ついでに思い浮かんだ言葉を笑って口にする。
「僕がそんな巨人になったら、ジョンより誰より先に君を食べてしまうよ?それこそ、ぺろりと一呑みに――」
 そこまで言って、クラークははたと喋るのを止めた。
 ブルースの頬が赤い。まるで紅色を付けた筆で、さっと刷いたように。
――君を食べてしまう。
――誰より先に。
――ああ。
 ようやくそれが持つ二重の意味に気付き、クラークも顔に熱が上がって来るのを感じた。
 テレビの中ではアスパラガスのジョンが出来上がる頃のようで、爽やかな声と共に、主婦達の歓声が聞こえる。クラークは意を決して、テーブルに投げ出されているブルースの手に右手で触れた。ブルースが俯いたまま、ぴくりと肩を震わせる。
 色々な文句が頭の中で渦巻いたが、結局、最もシンプルなものにした。
「ベッドに行こうか?」
 熱が上がって、指先まで赤く染まりそうな気がする。黙っているブルースの耳朶も、ピザのトマトソースのようだ。その色に背中を押されて、クラークはもう1つの選択肢を口にする。
「それとも、ここでする?」
 ようやくブルースが顔を上げた。灰がかった青い瞳はいつも通り鋭いが、しかし薄っすらと濡れていて、クラークは思わず右手に力を込めた。
「……もうどこでも良いから、とっとと食え」
 その答えを聞き、クラークは腰を浮かして上体を伸ばす。丁度テーブルの真ん中で、2つの唇が重なった。
『ご覧下さい!これがアスパラガスのジョンです!』
『まあ何て美味しそうなの!』
 件の料理が完成してもなお、2人は一心にキスを続けていた。

アスパラガスのジョンは、新聞の「今日の料理」みたいな欄で知りました。
あの瞬間の驚きとトキメキは今も忘れられません……。

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