涼しくなる方法、暑くなる方法

「寄るな」
 恋人にそう言われて傷付かない者がいようか。
 体は鋼鉄以上、心も時々図太いが、しかし繊細な所もあるクラークは俯いた。
「酷いよ、ブルース」
 唇を尖らせても、こちらに背を向けたブルースには映らない。微動だにしない傷跡だらけの背中へ、クラークはもう1度、今度はそっと手を伸ばす。
「クラーク」
「…はい」
 その声と、肩越しに向けられた強烈な視線に、渋々クラークは手を下ろした。だが矢張り釈然としない物を覚える。クラークは正面切ってブルースに視線を当てた。
「良いじゃないか、ちょっと触るくらい。…同じベッドに寝ているんだから」
――しかも事後に。
 最後の言葉は心中に留めておく。それでも何がしかのニュアンスは伝わったのか、ようやくブルースが転がり、こちらへ体を向けてくれた。
 クラークの体に見合った大きな寝台。そのシーツは先程の行為で少し湿り、また2人分の熱ですっかり温まっている。肩に掛かっているそれを、煩そうにブルースが跳ね除けた。白く傷跡を浮かび上がらせた肌が露わになる。どきりとした。
「良くは、無い」
 しかし衝動は呆気なく、ブルースの冷ややかな否定で収められる。
「それにお前の言う“ちょっと”は、私の許容範囲を超えている」
「…悪いけどブルース。君の許容範囲に従ってたら、僕は何も出来ないよ」
 あれは駄目、これも駄目。僅かな抱擁さえ時に拒まれる。そんな所も魅力的ではあるのだが、しかしながらクラークには少々もどかしい。結局、多少の抵抗は無視するしかないというのが現状である。
「君は、僕と何も出来なくても良いのかい?」
「っ、そう言う事を問題にしている訳ではない。私が言いたいのはだな」
「うん」
 どうぞ、とクラークは頷く。ブルースはいつものように眉を寄せて、小さな声で呟いた。
「……暑いんだ」
「――え?」
「だから、暑いんだ。今がいつだと思っている?」
 一拍置いてから、クラークはベッド脇にある卓上へと手を伸ばした。指先に触れた固い物を手に取り、目前へと持って来る。そこには数字と共に、傘を差す雨蛙の親子が、可愛らしい絵柄で描かれていた。
「6月下旬だね」
「お前には分からないかもしれんが」
 ブルースが上体を起こした。慌ててクラークも起き上がる。
「今の時期、お前にくっ付かれると眠り辛くて敵わない」
「……それは」
 火口の中でも安眠出来るクラークには、「暑さで眠れない」という経験が殆ど無かった。まさかそれをブルースが感じていたとは。良く見れば確かに、額際に汗が滲んでいる。
 クラークの部屋に付いているエアコンは居間の1台きりで、寝室にまで風が流れて来ない。今までブルースが暑さに耐えていたのかと思うと、申し訳なさが胸一杯に広がる。ベッドの上で向かい合いながら、2人は揃って俯いた。
 だが、おずおずとクラークは顔を上げる。
「でも、君、その」
「何だ?」
「何て言うか…する時は、あんまり嫌がらなかったよね……?」
「あれは良いんだ。暑くなるのが当たり前だからな」
「あ、そうなんだ」
 良かった、と顔を輝かせるクラークだったが、ブルースはたちまち赤くなる。今にも部屋を飛び出してしまいそうな様子に、クラークは急いで手を振った。
「いや、その、ああでも居間のソファは狭いから、2人で眠れないよね。どうしようか」
「私にソファを貸してくれ。それで済むだろう」
「え、それじゃ2人で眠れないよ?」
「…2人揃って眠る必要はあるのか?」
「終わった後で別々に寝るのは寂しいじゃないか」
 ブルースがまた赤くなった。その手はシーツを握り締めている。言い過ぎたかとクラークは視線をあちこちにさ迷わせた。
「…とにかく、ソファを借りるぞ。一緒に眠るのは秋まで待て」
「あ、秋までって…君こそ何ヶ月あると思っているんだい?!」
 しかしブルースは既に、ベッド横に放り出された夜着に手を伸ばしている。クラークは必死で頭脳をフル回転させた。ブルースに寝苦しい思いをさせるのは嫌だが、1人きりで眠るのも御免である。
――とにかく涼しくさせれば良いんだ。
――あ。
「分かった!」
「な、何が分かったんだ?」
 振り返ったブルースに、クラークは満面の笑顔を見せた。
「良い案を思い付いたよ。着替えて待っていてくれるかい?」



「……お前は一体、私をどうするつもりなんだ?!」
「結構風があるね」
「人の話を聞け!」
 暴れるブルースに構わず、クラークは再び雲の上を飛び始めた。
「寒くなったら言って」
「…まさか」
「君のように、街に基地があるのも良いけど」
 北からの風を受けて赤いケープがはためく。先程と異なり、ブルースの汗はすっかり引いていた。
「極地にあるのもこう言う時には便利だね」
「孤独の要塞まで連れて行く気か?!」
「これで夏場も安心だよ?年中涼しいし」
「涼しいを通り越して寒いぞ」
「ああ、そうだな。でも――」
 抱き直す振りをしてブルースに顔を近付ける。戸惑いがちに揺れる、灰がかった青い瞳から、クラークは視線を逸らさぬまま囁いた。
「暑くなる方法なら知っているだろう?」
 ブルースの心臓が大きく脈打つ。腕の中の体温が不意に上昇を始めた。目尻に赤味が差し込む様に、クラークは30分前の、会話する余裕も無かった彼を思い出す。
 一拍置いて、ブルースは耳元に唇を寄せて来た。
「……寒いなど、死んでも言ってやるか」
 強情極まりない事を呟くブルースに、クラークは思わず笑い声を上げた。ブルースへ口付けたい衝動にかられながら答える。
「でも僕は寒がりだから、温めて」
「おい!」
 スーパーマンの癖に、と騒ぐブルースをしっかり抱き締めながら、クラークは年中冬に包まれた要塞へと飛び続けた。

むしろ気温より人肌の温かさに慣れてなさそうですね、蝙蝠。
北極に連れ込まれてはたまらん!と思ったのをきっかけに、徐々に慣れていくと良いです。

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