真紅にピンク、黄色に緑。鮮やかに点滅するネオンはその分、夜を深く、色濃くしてくれる。例えばビルとビルの間。そして路地裏。
 手で掴み取れそうな闇の中、蠢く影の主は様々だ。友人同士の場合もあれば、恋人同士の時だってある。
 ただ最も多いのは、統計を取らずとも分かる。犯罪者の影だ。そして大概ヒーローの影は、最も少ない。
「死ね蝙蝠野郎!」
 怒号と共に振り上げられた鉄パイプを、バットマンはしかし、難なくかわす。鋭い蹴りが相手の顔を直撃した。銃を取り出すべく懐に手を入れた、別の男の頬は、緑のグラブが粉砕する。
「ロビン!ゴッサム市警を呼べと言っただろう!」
「もう呼んで来たさ」
「ならば下がっていろ。私1人で」
 路地裏に残った、ヒーロー以外の影は3つ。ベルトに手を当てながら、バットマンはサイドキックに目を向ける。
「十分だ!」
 バッタランが2つ、銃を構えようとした男達の額にぶつかる。昏倒した2人を見て、背中を向けた男に、ロビンが飛び掛かった。
「逃がすかよ!」
「よせロビン!」
 2人は汚れた路地に倒れ込んだ。ロビンは馬乗りになって殴りつける。男がもがく。その手に銃が光った。はっとロビンは息を呑む。男が笑う。
 風船を割ったような銃声が響いた。体を固くしたロビンはしかし、仰向けに倒れた男の手に、バッタランが刺さっている事に気付いた。傷を押さえた男の首を、すかさず殴る。呆気なく男は落ちて、路地に頭を垂れた。それを見届けてから、ロビンは長い溜息を吐いた。
「ロビン」
 背後の声に、ロビンは振り返る。
「帰るぞ。話がある」
 闇に浮かび上がったバットマンの目へ、ロビンはゆっくりと頷いた。

カルネアデスの板

「…それで延々と怒られたって訳か」
「そ」
 買って来たシェイクをディックが啜り上げる。同じく買って来たポテトの、最後の一つまみを放り込むと、ジェイソンはあーあと溜息を吐いた。
「役に立とうと思ったんだけどな」
「それブルースに言ったのか?」
「当たり前だろ」
「で、何て返って来た?」
 分かっているだろうに尋ねるディックへ、ジェイソンは冷たい視線を向けたが、がっくり首を落としてから答えた。
「お前は助手だという事を忘れるな、ってさ」
「はーい、予想通り」
 いやー全然変わってないな知ってたけど、と言ってディックはからから笑う。これが余人ならジェイソンも激怒しているが、しかし相手はブルース付き合いの大先輩だ。その笑いすら、どこか達観しているようで、今一つ怒り切れない。
 代わりに洗濯物と本が一緒になっている場所へ、ポテトの袋を丸めて放った。ディックの部屋は物――ゴミを含む――が溢れていて、ジェイソンには居心地が良い。ゴミ箱に入れろよ、と言うディックを放って、ジェイソンは窓の外を見つめる。相変わらずの曇天だ。
「大体、ちっとも頼って来ないのが悪いんだよな」
 膝を抱え、ジェイソンは一人ぼやく。
「警察に連絡しろだの、アルフレッドに夕食は要らないと言えだの、その程度しかやらせてくれないんだから。フラストレーション溜まるよ」
「そんなものだって」
「どこぞのSマークとは、仲良く敵地襲撃してるってのに?」
 シェイクを啜る音が止まった。じろっとジェイソンが視線を向けると、ディックは天井の一点だけに目を注いでいる。どこまで言うものか、図り兼ねているようだ。そんな仕草もブルース譲りだと思いながら、ジェイソンは溜息交じりに助け舟を出した。
「サイドキックやってて分からない馬鹿が、いると思う?」
「…そうだな。気付かない訳ないよな」
「立場が違うってのは分かってるんだ」
 曇り空からは今にも雨が降り出しそうだった。声が重たいのもその所為なのだと、八つ当たりしたい気分にジェイソンは駆られる。
「向こうはブルースと同じ、ヒーローだし?僕はあくまで助手な訳だろ。その辺を間違うほど阿呆じゃない。だけど」
「――助手としても信頼されていないようで、嫌になる」
 ディックの言葉に、しばし黙り込んだ後、ジェイソンはこっくり頷いた。
「まるで、足手まといみたいだ」
「ジェイソン……」
 膝に埋め込んでしまったジェイソンの髪を、ディックが励ますようにかき混ぜる。うっかり堪えていたものが押し出しはしまいかと、ジェイソンは力一杯唇を噛み締めた。
 目に掛かった前髪の間から、壁の時計を見上げる。文字盤が目に入った途端、ジェイソンは跳ね上がった。
「やばい!」
「うわ、どうした?!」
「時間だ。今日はマフィアの麻薬工場に突撃するんだよ」
 脱いでいたジャケットを、ディックが放り投げてくれる。それを受け取ってジェイソンはドアへと走った。
「じゃあ、また!」
「ああうん、気を付けて帰れよ」
 脱兎のように駆けて行くジェイソンの背を見送ると、ディックは小さく呟いた。
「僕みたいな事になるなよ、ジェイソン」
 だがその呟きが届く事は無い。



 3人分のケープが、夕暮れ時の風に翻る。視界の隅で踊る赤いケープを、ジェイソンはどこか苦々しい気持ちで確認していた。
「行くぞ。計画通りに頼む」
「ああ、分かっている」
 どちらがマフィアか分からない会話を交わすと、ブルースはワイヤーで宙に踊った。まず彼が様子を見てから、こちら側に合図をする。そしてクラークが突入、という手筈だ。
 自分がブルースの役をしても良い。だが今日のロビンは留守番役だ。警察が到着したならば、既にヒーロー達が中で暴れ回っているので、中に入らない方が良いと告げる役目。
――使いっ走りだろ。
 メトロポリスの悪党が、ゴッサムに逃げて来るのは良くある話だ。だがそれが、そして2人のヒーローの手を組む日が、今日でなくてもとジェイソンは思ってしまう。
 黒いケープが、工場の影に溶けていく。その様を、肩を並べて見つめながら、ジェイソンは思っていた事を率直に口にした。こんな時でもなければ、会える相手ではない。
「あんた、彼が好きなの?」
「え?!」
――思った通りのアクションだな。
 目も口もいつもの2倍は大きくなったクラークに、ジェイソンは淡々と言い募る。
「ラブかライクかは言わなくて良いから、イエスかノーかだけは答えてくれよ。好きなのか?」
「……い、イエス」
 年齢は一回り、体格は二回り以上の差があるスーパーマンが、自分の言動に慌てるのは楽しい。ジェイソンは笑った。
「やっぱり」
「……君は、好きなのかい?」
 おずおずとスーパーマンが問うて来る。横目で彼を見やると、ジェイソンは首を振った。
「分からない。嫌いじゃないけど」
「そうか。彼が聞いたら喜ぶよ」
「好きだなんて言ってないだろ!」
「あ、ごめん」
 スーパーマンは微笑している。矢張り厄介な相手ではあるようだ。ジェイソンはむっつり黙り込んだが、ふと、意地の悪い質問を思い付いた。
「じゃあ、僕と彼とが溺れていて、どちらか1人しか助けられないってなったら――あんた、どっちを助ける?」
「君と彼が?」
 夕日が沈み、周囲はどんどん暗くなって来ている。その中でスーパーマンは首を傾げ、口を開いた。
「どちらか1人しか駄目なら、君だな」
「…何でだよ?あんた、あの人の事好きだって」
「ブルースなら自力で助かるよ」
「今にも溺死しそうなのに?」
「それでも、彼なら何とかする筈だ」
 初めてスーパーマンは微笑した。夕映えが横顔を鮮やかに照らしている。
「それに君を助けなかったら、僕が彼に殺されてしまう」
「……訳が分からない」
 ジェイソンは顔を背けた。
 何もかも苛立たしい。侮られているような気がする答えも、この男が自分よりずっとブルースを知っている風なのも、自分が苛立っているのも、全て。
「合図だ。行くよ」
 赤いブーツが地面を蹴った。重力に囚われない男は、ジェイソンに矢張り優しく微笑む。
「じゃあ、後はよろしく」
「…どうぞ行ってらっしゃい」
 ふて腐れた言葉に不快の欠片も見せず、赤い軌跡が工場の窓へと続く。直後、ばりんと割れた音がした。突入したらしい。銃声も聞こえ始める。
 自分も、という気持ちを抑え、ジェイソンはゴッサム市警のサイレンが聞こえないかどうか、耳を澄ませていた。



「ディック。僕、背が伸びると思う?」
「…藪から棒に何だそりゃ」
 チーズバーガーを齧るディックが、呆れた表情で見上げてくる。真剣な目のままジェイソンは述べた。
「侮られない為には、まず背を伸ばす事が大事だと思って。なあ、僕、どれだけ背が伸びると思う?ブルースよりでかくなるかな?」
「こう言うジャンクな物を食べないで、アルフレッドの手料理に親しんだら、結構でかくなる気がするよ」
「分かった」
 こっくり頷いて、ジェイソンはリュックから紙包みを取り出す。
 シミの付いた机の上に広げると、中からはハムと卵を挟んだ、サンドイッチが現れた。続けてジェイソンが取り出したのは、小さめの魔法瓶である。
「…まさか」
「アルフレッドに作って貰ったんだよ。ちなみにこっちもアルフレッドの作った、100%オレンジジュース」
「おいおいジェイソン。うちに弁当持って来てまで、でっかくなりたいのか?」
「ああ」
 力を込めてジェイソンは頷く。その気迫に押されたのか、ディックはやれやれと頭を振った。
「…そう言えば昔、“牛乳を飲めば強くなる”って言われたな」
「牛乳か。……誰に?」
「鋼鉄の男。本人が言う事だから、間違いないんじゃないか?」
 不機嫌そうにジェイソンは顔を顰める。が、やがて彼はリュックからペンとメモを取り出し、何やら書き始めた。
「本気の本気みたいだな」
「当たり前だ」
 Milk、と書かれたメモを仕舞い込みながら、ジェイソンが答える。
「今度は絶対、ブルースを選ばせてやるんだから」
「…それ、どういう意味?」
「良いからバーガーでも食べてなよ」
 ジェイソンの言葉に眉を寄せつつ、しかし冷めない内にと気を取り直し、ディックはジャンクフードに齧り付く。その様を眺めながら、目標である188cmに到達する為、ジェイソンもオレンジジュースを喉に流し込んだのだった。

Jの字ロビンは書いていて楽しかったです。
ディックさんよりひねている反面、子どもっぽい所もあるんじゃないかと。
一人称は俺かな、とも思いましたが、何となく僕にしてみました。

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