湯気と共に芳しい香りが周囲に漂う。紅茶を注がれたカップはあくまで温かく、またその脇に置かれた素朴なクッキーも、穏やかを演出するのに一役買っていた。テーブルクロスはどこまでも清潔で白く、置かれた年代物の椅子は、ここが洞窟の中だと思えないほど座り心地が良い。
ティータイムのひと時は、戦士達の巣をも寛がせる。これ程に平和な空気が作られているのだから、そこにいる者達はさぞや、と思うところだが――現状は少々甘くなかった。
「……だから何度も言っているが、あんな方法では駄目だ」
「ならば施設をそのまま残すべきだったと?粉塵にする方が手間も金も掛からない。そもそもあそこ自体を残す事は、あの忌まわしい技術をも残す事でもあった。そうだろう?」
互いに睨み合う、色味の異なった青い瞳が2つ。その視線の交差は火花を生むと言うよりも、氷を生むと表す方が相応しかろう。
ブルーオニオン柄のポットをブルースが置いた。弾みで白いテーブルクロスに飛沫が飛び、茶色の痕が涙のように作られていく。
「施設の温存が技術の温存に繋がる、と言う点には同意するよ。だが技術を残す危険性を取り払う為に、人命を脅かす危険性を軽んじるのはどうなんだ?本末転倒じゃないか」
「犠牲者は出ないよう細心の注意は払ってあった。確かに怪我人は出たが、お前の言う人命を脅かした者達だ。あの程度の怪我ならば反省には丁度良かろう」
「犯罪者なら怪我を負わせても良いと?」
「犯罪者を犯罪者とも思わぬ社会では必要悪だ」
ポットの柄よりも明るく澄んだ、夏空色の瞳が剣呑な光を帯びる。きつくブルースを見詰めながら、クラークは薄い唇を動かした。
「この、悪党」
いかにも忌々しげな口振りに、ブルースは眉ひとつ動かさず淡々と答えた。
「お前はそこに惚れたんだろう。“自分と違う所に惹かれた”と言ったのはどこのどいつだ?」
「それは、確かにそうだけど」
一瞬たじろいでから、クラークはまた身を乗り出す。
「これとそれとは別問題だ。それに僕が言ったのは確か、“違う所がとても魅力的だ”って――」
「………なあ」
「ん?」
横から掛かった泣き出しそうな声に、世界最強と名高いヒーロー2人は振り返った。
「お前ら、だから、あれほど人前でそれはやるなと……」
バリーの言葉を遮って、彼の背後から父譲りの茜色した光線が――闇夜の騎士とその周囲を目掛けて飛んだ。
「帰ったぞくそったれヒーローども!誰か天下のグリーンアローに、お帰り…なさいの……キスを」
「お帰りなさいオリバー」
ほろ酔い気分のオリバーをまず出迎えたのは、げっそりと疲れた様子さえ除けば可憐な少女。次に現れたのは、いっそ美しいと呼びたいまでに抉れ、黒い煙を上げているケイブだった。
「…酔いが冷めるほど熱烈なお迎えだな」
「アタシももっと明るくお迎えしたいけど、すっごく遣る瀬無い気分ってやつなの、今」
「またバッツとボーイスカウトが何かやらかしたのか?」
「80%正解」
キャリーは細い肩を竦め、いささか空ろな目でオリバーを見返した。
「それが原因でラーラがキレて、ボスにヒートビジョンを撃ったの」
「全力で」
「そう、全力で」
「バッツは生きて……ああ、聞くまでも無いな」
まずもって生存者がいるのか不安になりそうな光景ではあるが、この場合心配すべきはむしろ、確実に庇ったであろう鋼鉄の男の方だ。1度ならず2度ならず、3度ほどラーラがブルースを襲撃した事があるが、その度に怪我をするのはブルースで無く、途中で決まって仲裁に入るクラークだった。
「で、件の連中はどうしたよ?」
「掃除はひと段落ついたから、今はフラッシュのお説教時間」
「ワールズファイネストが説教か」
見物ではある。オリバーは髭をしごいた。
「毎回毎回懲りないで、どうして学習しないのか全然分からないわ!」
短く切ったストロベリーブロンドを、溜息交じりにキャリーはかき混ぜる。童顔に似合わぬ疲弊した色を浮かべる彼女に、ちっちっとオリバーは指を振ってみせた。
「いいかお嬢ちゃん、気にするな。この世界じゃあ気にした奴が負けるんだよ」
「つまり僕は負けっ放しだ」
腕を組んだバリーはそう言い切った。水色の瞳には冷たい炎が燃えている。そんな彼の前に距離を置いて大人しく座っているのは、当然、クラークとブルースだ。
「すまないバリー、うちの娘が……」
「謝罪は後だクラーク。それに彼女は上手く」
そこでバリーは言葉を探すように1度、声を切った。
「この世界に適応して来ている。前はあんた達が話はおろか、視線が合っただけで“これ”だったからな。問題は彼女だけじゃない」
「別に何かした覚えは無いのだが」
いつも通りの口調でブルースが言う。バリーは刹那、眉間に深々と皺を刻んだ。
「……良し、千歩譲ってあの程度の会話は許そう。あれ位ならあんたにちょっとした命の危機が訪れる程度だからな、ブルース?だがな」
大量の空気が彼の肺内部に消え、そして次の瞬間、叫び声の活力としてほぼ同じだけの量が放出されていった。
「何故!どうして!お前らはあんなに接近しないと会話が出来ないんだ?!200字以内でその理由を述べてみるか?!ええ!」
「えっと、バリー、それはだな、第1に……」
「説明を試みないでくれクラーク!聞きたくない!」
「どちらなんだ一体」
ぼそりと呟いたブルースに、黒き閃光は稲妻のような視線を向ける。流石のブルースもこの目には黙り、即座にあらぬ方向へと顔を動かした。
「何か言ったか、ブルース?」
「いや、議論が白熱するとつい接近がちになる。そう言いたかっただけだ」
「距離3センチメートルは接近し過ぎだ。せめて30センチメートルは離れてくれ。あとお前らはもう議論とかするな地球の為だ」
「そんな!」
クラークが何やら言い募る前に、軽やかな電子音が鳴った。バリーが手でクラークを遮り、懐から携帯電話を取り出す。画面を見てすぐ微笑みを浮かべると、彼は電話を耳に押し当てた。
「もしもし、アイリス?僕だよ。…ああごめんよ、遅くなって……今日は少しアクシデントがあってね。先に寝ていてくれ。…うん?……ははは、大丈夫さ!2度とこんな事態は起こらないよ!!そうだろう?」
実に良い笑顔をバリーは2人に向けた。目が笑っていればもっと素晴らしい笑顔になった事だろう。クラークとブルースは、揃ってこくこくと友人に頷いた。
「うん、じゃあお休み。愛しているよ――――と言う訳だ。うちの妻に誓ってくれ」
「ああ」
「誓うともさ」
世界最強と名高い2人に手を上げさせた後、バリーは長い溜息を吐きながら部屋を出て行った。
「…でも話に夢中になったら近付くだろう?ほら、こんな風にさ」
「そうだな。時にはもっと近付くな」
「お前ら全然反省していないだろうがー!」
閉じかけたドアを勢い良く開けると、バリーは3センチメートル以内に接近している2人へと絶叫した。
その絶叫を耳にしたオリーとキャリーは目を合わせ、再び大破した部屋へと踵を返した。