「…で、良いのかい?アレ」
ティムが背後を指差した。指の位置はケープの影になっているから、背後の同業者達には見えない。見えるのは彼の正面に立っている、ブルースのみだ。
「何の事だ」
「話したら聞こえるよ」
「安心しろ。500キロ先の密談は聞こえても、50メートル離れた先の会話には気付かない連中だ」
「…一理ある」
にやりとティムは微笑んだ。ブルースはしかし、それで、と彼に先を促す。
「何の事だ、ロビン?」
促した後で、何時に無いしつこさだったと僅かに悔いた。だがティムは気にする素振りを見せない。彼は一瞬だけ地面に視線を落としてから、すぐに顔を上げ、口を開いた。
「気になる点は無いの?って事さ。それとも、探偵の調査結果が出た?」
表現をぼかし、皮肉を交えたその言葉の裏に、ティム一流の気遣いと本心が取れた。ブルースは答えぬまま、ティムの頭越しに、集結し輪になったヒーロー達を見やる。
その輪の中心に青きボーイスカウトがいるのは、いつもの事である。しかし今日はその横に、彼と良く似た格好の少女が立って――厳密に言えば浮かんで――いる。朗らかに笑う彼の従姉妹が。
ブルースは彼女の正体を知るべくケイブに連れ込み、調査をし、挙句の果てにはメトロポリスまで尾行に行ったのだ。その様を良く知り、かつ呆れ顔をしていたティムには、ブルースの行動諸々は変節にも思えるのだろう。
「そこまでやって彼女を認めるなんて、バットマンらしくない」――ティムの言いたいのはつまり、そういう事だろう。
「推定無罪だ」
長い金髪から目を逸らし、ブルースはそう答えた。
「彼女が本物だという証拠は幾つもある。が、本物ではないという証拠はない」
「“無い事を立証するのは難しい”」
ティムが、ブルースの教えた言葉をそっくり繰り返す。
「“だからこそ慎重になるべきだ”。…そう教わったけど?」
「考えられる可能性と疑いの幾つかを、彼女は既に晴らしている」
相変わらず細い少年の肩に、ブルースは軽く手を置いた。目線で帰還を告げると、ティムは素直に頷き、歩き出す。
「これ以上は彼らの問題だ。私は手を引く」
「…分かったよ、ボス。ついでにもう1つ聞きたい事があるんだけど」
「何だ?」
思いがけずすんなりと了承したティムに、寛大な気持ちになったブルースは首を傾げる。ロビンのマスクの裏で、好奇心に満ちたティム・ドレイクの瞳が輝いた。いつもより少しだけ、意地悪く。
「彼女に妬いた事は?」
一瞬、口を噤んだのは、怒ったからでも図星を突かれたからでもなかった。全くもって思い掛けない質問だったからだ。
「――無い」
ブルースは緩やかに首を振った。え、と呟いたティムの背中を軽く叩き、再びヒーロー達の元へと踵を返す。
「グリーンアローに挨拶してくる。先にプレーンに乗っていてくれ」
3歩進んだ所で、背後のティムが声を上げた。
「でも、わざわざメトロポリスまで行ってたじゃないか」
「彼の故郷は消えた」
振り返ったブルースの瞳に、呆気に取られた様子のティムが映り込む。だがその顔に、やがて得心の色が浮かぶのを見届けてから、ブルースは次の言葉を発した。
「地球では誰も癒せなかった孤独だ。だが、それを共有出来る相手が見付かった」
背後の声の中、とりわけブルースの耳に届くのは、矢張り彼の笑い声だ。
「その相手に疑う余地が無いなら、喜ぶ以外に何がある?」
「ごめん」
ティムが地面を蹴り付けた。発言を恥じているのか、耳朶が淡い紅に染まっている。
「気にしなくて良い。……すぐ戻る」
「うん」
珍しく子どもっぽい返事に、思わずブルースの唇は綻んだ。すぐさま背を向けた所為で、ティムには気付かれなかっただろうが。
少女の紹介が終わって随分経つと言うのに、未だにヒーロー達の輪は縮まらない。今は丁度、ワンダーウーマンが抱擁を交わしている所だった。その横に立つ鋼鉄の男が、穏やかな笑みで彼女達を見つめている。
ブルースが両親を失った痛みを、完全に消す事は誰にも出来ない。例え地球最強にして最高のヒーローであろうとも、だ。そしてブルースにも、彼が故郷を失った痛みを治す事は不可能だ。もしかすると、彼の同胞でさえも。
輪からやや外れているグリーンアローの肩を、ブルースは突いた。振り返った射手は、よう、と笑って自慢の髭を擦る。彼と並んで、ブルースは輪の中心を眺めた。
笑顔や情に騙されるようでは、ゴッサムのヒーローは務まらない。彼女への疑惑を深めていた遠因は、彼が見せたその温情と歓喜だった。
だが――
「バットマン」
ブルースを見付けたクラークが、笑って手を振った。こっちへ来てくれ、と明るい声音で呼ぶ。気を利かせた周囲が道を開き、グリーンアローが強く背中を押し出した。
「ああ」
カーラを疑うのを止めた理由もまた、クラークが見せるこの笑顔の所為なのだと、ブルースには良く分かっていた。
ヒーロー達で作られた道を進む。カーラの数歩前で止まると、ブルースはあえて仏頂面を作りながら言った。
「地球へようこそ――スーパーガール」