「彼に詩を贈りたいの」
セリーナの言葉を何度か思い返しながら、アルフレッドは知らず知らずの内に、常より深い笑みを浮かべていた。
黒いコスチュームに身を包み、夜毎ケープをはためかせる主人にとって、彼女の存在は何より大きな助けとなろう。セリーナの様子や言葉からは、彼女も十分ブルースに惹かれている事が見て取れた。
――さて、詩ですな。
セリーナに答えた通り、アルフレッドの頭には既に美しい文が幾つか並んでいる。だが彼女の思いをより効果的に告げる為、彼は軽く腕を組み、思案に耽った。
数時間後、ブルースは疲れた表情で戻って来た。バットモービルはこれ以上切り落とせないという、核の部分しか残っていない。原因はアルフレッドにも分かっている。広場では今宵の花となる筈だった女性が死んだ。その犯人に仕立てられたブルースは、警察に撃たれ、バットモービルを操作されたのだ。
「セリーナは?」
軽食を持って来たアルフレッドへ、ブルースはちらりと瞳を向ける。
「お帰りになりました」
「そうか……何か言伝は?」
「伝言はございません」
そうか、とまた呟いて、ブルースは床に視線を落とした。がっくりと垂れ下がった肩に、しかしアルフレッドは微笑して、1枚の紙を取り出す。
「ですがお手製の詩を私におっしゃって下さいました」
「本当か?!」
泣いた鴉の例えは、蝙蝠にも当てはまるようだ。顔を輝かせたブルースは、アルフレッドの手の中の紙に見入っている。
「カイル様がおっしゃった詩を、私が書き留めました。お読みになりますか?」
「読むよ、今すぐ読む」
引っ手繰るようにブルースは紙を受け取る。紳士は慌てぬものと忠告したい所だが、今回ばかりは見逃しても良いだろう。アルフレッドは笑って主の様子を見詰める。
プレゼントを与えられた子供にも似た顔は、しかし、急に怪訝な表情を浮かべ始めた。
「……アルフレッド」
「何でございましょうか」
「これは…その、何と言うか……」
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに
雲がくれにし 夜半の月かな
真っ白い紙に、太いペンで書かれた文字は、ただその一文だけである。いや良く見ると紙の右下に、「代筆:アルフレッド・ペニーワース」の一言がある。
「何と言うか、これは……和歌じゃないか?」
「和歌でございますが」
「いや別に和歌じゃ駄目と言う訳じゃないんだが…何で和歌なんだ?」
軽く咳払いをしてから、アルフレッドは説明に入った。
「確かに旦那様のおっしゃる通り、これは百人一首の一句でございます。恐れながら推測しますに、カイル様は旦那様の東洋趣味や収集癖をご存知でいらっしゃった上で、このような和歌という形で思いの丈を示されたのではないかと」
「……やっぱり、変わった女性だ」
「個性的でいらっしゃいますな。ああ」
アルフレッドは再び胸ポケットに手を当てた。
「もう1つ預かっておりますが」
「今度も和歌じゃないだろうな?」
「ご安心下さいませ」
取り出した紙をそっと開きながら、アルフレッドは丁重に答える。
「今度は七言絶句でございます」
「何で漢詩なんだ、何で」
「“黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る”」
「題まで読まなくて良いよ」
「恐れながら旦那様、今回もセリーナ様は李白の歌にご自分の心を寄せられて」
「……後で読むから、そこに置いておいてくれ……」
「畏まりました」
バットスーツを着替えに、ブルースはケイブの奥へと去ってしまう。
――前衛的に過ぎたでしょうか?
今時の女性らしく、個性的に思いの丈をぶつけてみようと努力したのだが、いささか裏目に出てしまったようだ。
――私もまだまだのようですな。
己に対して更なる研鑚を誓いながら、アルフレッドは2枚の紙を揃え、コンピュータの前に並べた。
後日。
「あー…セリーナ?」
「何?ブルース」
腕を組み冬空の下を歩きながら、ブルースはセリーナに囁いた。
「――“春夜落城に笛を聞く”」
「……」
セリーナはきゅっと眉を寄せてから、金髪を揺らしてブルースをまじまじと見返してきた。
「ごめんなさい、何ですって?」
「いや、何でもないよ。忘れてくれ」
「おかしな人ね」
金色の髪が揺れ、セリーナが鈴のような声音で笑う。ブルースも照れ隠しに笑い声を上げた。
――少しだけ信じた僕が馬鹿だった。
今度から、詩は英語か、それでなければヨーロッパ語圏の形態にして貰わねばなるまい。忠実かつ有能な執事にどう切り出そうか、少々迷いつつも、ブルースはセリーナと共に笑い続けた。