武道において、リズムを取るのは禁じられているのだと言う。それによって動きが読まれ、容易に倒されてしまうからだと。
だけど、とティムは訓練用マットに腰掛けながら、唇を噛んで俯いた。脳裏ではつい数日前に見た、ブルースとディックの戦う様が繰り広げられている。
――絶対、どっかでリズム取ってるよ。
翻る闇色のケープは敵の視界を惑わすが、共闘相手の動きを遮る事は無い。同時に敵目掛けて投じられる棍が、相手の目標を失わせる事も無い。互いの死角を補いながら放たれる蹴りや拳は、単独で敵に向かう折と寸分違わぬ鋭さを有している。
ティムには聞こえる事の無い楽曲。まるで、それに沿って動いているかのような、彼らの動きに圧倒された。
どれだけ訓練しても、2人でひとつであるかのような動きが出来ない。ブルースといる時は尚更だった。彼のフォローをしなければならないのに、彼にフォローをして貰う事が未だにある。
腕を広げてティムは背後へと倒れた。敷かれたマットの厚みと冷ややかさがシャツ越しに肌へと伝わる。ここに何度体を打ち付けても、あの2人に聞こえる曲が耳朶に届く事は無い。
「あーあ」
諦めにも似た溜息を吐いて、ティムはぎゅっと目を瞑った。
飛んで来る敵にバッタランを放てば、腕に突き刺さった。銃がからからと床に落ちる。
上手いぞ、と心中で呟きながら、背後から襲い掛かる敵に回し蹴りを放つ。漆黒のタイツに身を包んだ相手が崩れ落ちた。最後の1人は猛然と突進して来るのを、横に避けてから顔に蹴りを入れた。
黒いタイツに身を包んだ10人の男達が、これで全員床に倒れた事となる。戦いでもなければ滑稽と呼べるかもしれない姿に、ティムは思わず肩を竦めた。
「誰がプログラミングしたか知らないけど、悪趣味だよね」
呟きの語尾が掻き消えるより早く、男達の姿が失せる。同時にどこかの湾岸区域をモデルにしていた背景が、婉曲した白い壁へと溶けていく。訓練プログラムは終了だ。
だが完全にプログラムの残滓が消えるのも待たずに、赤金色の閃光が走った。
「ロビンすごーい!」
「うわ」
頭から圧し掛かかって来たインパルスに、思わずティムは呻いた。身を捩っても軽いスピードスターは明るい声を響かせるばかりで、容易に離れてはくれなさそうだ。
「新記録たっせーい!おめでとー!」
「はしゃぐなよバート!人の頭にしがみつくなって言っただろ!」
「言った?いつ?地球が何回まわったとき?」
「お前、また妙な屁理屈を吹き込んだな?」
既に消え掛かっている三日月を背負いながら、何時の間にか立っていた長身の人影へとティムは目を向ける。マスク越しとは言えすぐ分かる強い視線に、コンは苦笑しながら頬を掻いた。
「お、分かる?流石は名探偵」
「馬鹿にしないでくれよ。こんな子どもっぽい屁理屈、使うのはお前くらいだろ」
「はいはいロビンは超が付くほど大人で、俺は悪ガキですよ。なーバート?」
「ねえ言ったのはいつ?ロビン名探偵なら言えるよね?ね?ね?地球は何回まわったの?三百回くらい?コンマはつくの?」
「だからもういい加減にしてくれ!」
右耳と左耳へ、交互に問うて来るバートにティムは思わず叫んだ。それに被さるようにコンが大声で笑ったが、その腰にすかさず蹴り付ける。う、と呻いてコンは蹲った。痛みなど碌に感じはしないだろうに、こう言う時だけは例のボーイスカウトに似て人付き合いが良い。
「ロビンやっぱり凄いね!一撃だ!」
「当たり前」
ようやく離れたバートが歓声を上げる。ふふんと鼻を鳴らしてから、ティムはさっさと床のバッタランを拾い上げた。
訓練プログラムには限度がある。例えば、誰かと共闘出来るようなシステムが構築されていない事。作られたブルースやディックを相棒にして戦う事は出来ない。尤も、システムが作られたとしても、ブルースが自分のデータを入れるとは到底思えなかったが。
――やっぱり、経験を積むしかないのかな。
仮想の敵ならば幾らでも倒せるのに。最後のバッタランをベルトに入れながら、ティムは喉の奥で溜息を押し殺した。
「でもさ、お前やっぱり強くなったよな」
あっけらかんとした響きに振り返れば、立ち上がったコンがこちらを見ていた。
「…からかうなよ」
スーパースピードを持つ彼らの目には、お遊び程度にしか映らないのではないか。僅かながら頬に血が昇るのを感じてティムはそう言った。だがコンはわざとらしく腰を擦りながらも、珍しい真顔で首を横に振る。
「からかってない。見てりゃ分かるさ。なあ?」
「うん、ロビン強くなったよ。ダンスしてるもん」
「ダンス?」
ブルースとディックの動きがその言葉に思い返される。つい問い返せば、バートは栗色の髪を揺らしながら頷いた。
「ロビンはダンスしてるみたいなんだよ。パンチとか、キックとか、曲があるの?」
「…つまり、何かに合わせて動いてるみたいに流暢だ、って事だな」
信じられない、と一瞬ティムは思った。
ダンス。自分が目指している2人の動き。
それに少しでも近付いたと言う事なのだろうか。つい唇を開いたまま、ティムは2人を見返した。
答えるようにコンがにっと微笑む。だが彼が何かを言う前に、バートが首を傾げた。
「コン、りゅーちょーってなに?」
「えーっとだな、水の流れをイメージして作られた、3000年前から伝わるカンフーの動きで」
「……また馬鹿な事を教える気か?」
ついそう言いながら、ティムは数日前から胸に溜まっていたものが、少しながら解れていくのを感じていた。自信が芽生えるまではいかないが、それでも頭を押さえ付けられるような重さは無い。
「じゃあ何だよ」
「ロビン教えて!」
「分かった、後で教えるよ」
ケープに纏わり付くバートにそう言いながら、ティムはトレーニングルームの出口へと歩いていく。その横にコンも肩を並べた。
「あ、お前すぐ答えられないって事はもしかして!」
「一緒にしないでくれる?そもそも流暢は話し方を表すもので、動きには使われないんだよ」
「…知ってるなら早く答えろって話だよな」
「で、りゅーちょーってなんなの?」
「それは……」
バートに良く分かるような説明を考えていく、その唇には自然に、いつもの笑みが浮かんでいた。