――休暇を取ったんだ。
全員で出掛けるぞ、と厳かに宣言した彼の瞳は、和やかな光で満ちていた。
――家でやる事も考えたんだが、君はここ数年イギリスに戻っていないだろう?
――それにゴッサムでは花火が禁止だから。
彼に寄り添う奥方もまた、薔薇を思わせる華やかな笑顔を閃かせた。
しかし、となお恐縮する自分に向けて、彼女の横にいた少年が高らかに叫んだ。
――僕も見たいってお願いしたんだ!
華奢な少年は母の手をすり抜けると、自分の背広の裾を掴んだ。灰がかった青い瞳が何時に無い真剣さでこちらを見上げて来る。
―― ねえ、みんなで一緒に行こうよ。
お願い、と言い募る真摯さが何より心を打った。
少し躊躇ってから頷く自分に、少年は何にも代え難い輝くような笑顔を浮かべた。
眼下のステージでひっきりなしに流れている音楽も、ここでは川のせせらぎ程の小ささでしか聞こえて来ない。若者向けの楽曲に、余り造詣が深くない身としては非常に有難いのだが、隣で座るディックはちらちらと視線を向けていた。
「賑やかな様子でございますね」
「…そうだね」
気の無さを取り繕ったような声音が可笑しい。浮かぶ笑みを噛み殺しながら、アルフレッドは背後に視線を向けた。
「もう少し夜が深まれば、あちらでも問題無いように思われますが?」
「ディックはな」
夜色のケープではなく、コートの裾がふわりと舞う。木々と葉の間にバットウィングを隠し終えたブルースは、土の付いた手を払いながら2人へと近付いた。
「ただ連絡が取れないと困る」
「確かに、人手の多さで電波が阻害されると――」
「あ!」
ディックの上げた叫びに、アルフレッドとブルースは振り返った。ほぼ同時に空気を切り裂く細い音が周囲に響く。
「始まったよ!」
足元に広がるロンドンの一角で、小さなピンクの花が夜空に咲いた。
そこからやや離れた場所では緑の花火が、続けてステージ近くで真っ赤な花火が3発上がる。わあっと人々の上げる歓喜の声に答えるように、街中の至る所で夜空に花が燃え上がり始めた。
「花火なんて久し振りだよ。すっごい綺麗」
右手の綿菓子を握り締めながら、ディックが身を乗り出す。
「そうだな、綺麗だ」
素直な声にアルフレッドが横を向くと、灰がかった青い瞳もまた、アルフレッドを見ていた。
ディックよりもまだ幼かった、あの頃の少年そのままの瞳が。
「どうかしたか?」
「……いえ」
何でもありません、と口にしてから、アルフレッドは再び花火へと視線を移した。
かつて肩を並べていた家族や友人はいないが、勝るとも劣らぬ人々が今の自分にはいる。
夜に咲く花を見つめながら、アルフレッドは密かにその幸運を噛み締めていた。