CHESTNUTS

 新聞紙の包みからは、まだ湯気が立ち昇っていた。中にそっと手を入れればたちまち熱気が指先を包み込む。火傷せぬよう急いで中身を取った。
 熱を逃すように掌を動かせば、黒褐色に焼かれた栗がころころと転がった。
「もうこんな時期なんだな」
 焼き栗がたっぷり詰まった包みを膝の上に置いて、クラークが言った。その指先にはしっかりと栗が捕まれている。彼にとってこの程度の熱はどうと言う程でも無いのだ。ベンチを吹き渡り木々を揺らす風にも、肌寒さは微塵も感じまい。
「スモールビルにも焼き栗屋は出るのか?」
「覚えが無いな。小さい頃は出ていたらしいけれど」
 そうか、と頷いてブルースは栗を剥きに掛かった。短く切った爪の先が黒く染まる。
「ゴッサムには出るんだろう?」
「出るには出るが、買った事は無い」
 家で出た焼き栗も皮は剥いてある事が多かった。それに成人してからは、モンブランやマロングラッセに巡り合う機会の方が格段に増えた。ブルースの心中を見越したように、今度はクラークがそうか、と頷いた。
 ぱき、ぴき、と皮にヒビの入る音ばかりが響く。熱さもあって存外難しい作業だ。気付けば右手も左手も指先は真っ黒になっている。そもそも自分の手の大きさに反して、栗が小さ過ぎるのだ、とブルースは密かに唇を尖らせた。
 そうっと横に目を動かせば、慣れていると思ったクラークは意外にも苦戦していた。背中を何時もより丸めて、眼鏡とくっ付きそうな程に栗を凝視している。ブルースよりも丸い指先は矢張り真っ黒に染まっていた。
 視線に気付いたのか、クラークがブルースへと顔を向ける。眼鏡の奥の瞳はまずブルースの栗を見て、指先を見て、それから顔へと移った。
「……ふっ」
 まじまじと顔を見合わせてから、どちらとも無く吹き出した。
「慣れていないんだ、栗剥き」
「お前こそ」
「仕方ないじゃないか。買ったのも初めてなんだよ」
「私もだ。案外、難しいものだな」
 中身を綺麗に取り出そうとしても、力を入れると妙な崩れ方をしそうだ。互いに近寄り持っていた栗を見せながら、2人はどうしたものかと首を傾げた。
「アルフレッドにでも聞いてみようか」
 ブルースの言葉にクラークは少し考えた後、頷く。
「そうだね。じゃあ」
「ああ。そうだな」
 道に人はいない。背後にも、林の中にもいない。ブルースに焼き栗の包みを預けると、クラークがシャツのボタンに手を掛けようとした。
「待て」
 それを抑え、ブルースは懐からティッシュを1枚取り出した。クラークの手を取り指先を擦る。真っ黒だった指先が、少しずつ元の色を取り戻していく。
「よし、取れたぞ」
 汚れる心配は無くなった。ブルースの声を期に、クラークはもう1度周囲を見回すと、再びシャツへと手を掛けた。



 香り高い秋薔薇の咲き初めた庭先で、洗濯物を乾かしていたアルフレッドは、こちらへ飛んで来る鳥の影に目を細めた。ゴッサムでは秋晴れと言うほどの晴れは少ないが、それでも今日は随分と晴れている方だ。丘の上を飛ぶ鳥は爽やかで良い。
 だがやがて、細めていた目が徐々に丸く見開かれた。
 急降下してくるそれは既に、色も形も鳥とは言えぬような姿となっている。
「ブルース様に……スーパーマン様」
「やあ、こんにちは」
「ただいま」
 軽やかに庭へと着地した2人に、やっとの事でアルフレッドは言葉を紡ぐ。
「お早いお帰りで」
「急にすまないが、アルフレッド」
 クラークからするりと魚のように離れて、ブルースは持っていた新聞紙の包みを差し出した。湯気が立ったこれは、まさか?
「焼き栗の剥き方を教えてくれ」
 予想通りの中身と主の言葉に仰天しながら、しかしアルフレッドはようやく元来の表情を取り戻す。
「畏まりました。全身全霊を上げてお教え致しますので、お2人ともどうぞ中へ」
 ありがとう、と2人は玄関の方へと回っていく。
 秋薔薇の濃密な香りはどこかへ消え、代わって庭には焼き栗の香ばしい匂いが立ち込めていた。

「あ、焼き栗の屋台だ」→「…買ってみるか?」→「……買ってみようか」
と言う次第です。
超人は不器用なのもありますが、力を入れる→粉砕のコンボも怖い、と言う事で。

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