読書の秋のススメ

 ブルースの本棚に並んでいる顔触れは、いつ見ても変わる事が無い――。
 そう思いながらディックは古びた背表紙と向き合っていた。エドガー・アラン・ポーにアーサー・コナン・ドイル、ルイス・キャロルといった、ディックにとってはお馴染みの名前がずらりと並んでいる。
 ただしディックには今一つ、彼らの著作に手を伸ばす気が起きなかった。理由は簡単だ。日頃からそう言った連中と過ごしている。
 だがそっと自分の様子を伺っている、本達の所有者には、そんな考えが浮かばないようだった。
「…気に入った本はあるか?」
 背中に投げ掛けられた声音は、いかにも今しがたディックの存在に気付いた、と言う風だった。振り返るディックの視界に、机で何やら書き物をしているブルースの姿が入り込む。ランプに照らされた瞳は、いつもより青味が薄れて黒に近い。
 書類仕事なんて随分と前に終わっている筈だ。誰かを騙すのは十八番の癖に、彼の芝居は時折目もあてられない。アルフレッドにとっては不肖の弟子だ、と思いながら、目下は不肖の弟子第2号であるディックは曖昧に答える。
「うーん、どうしようかなって」
 色々あるから決められないのだ、とブルースが推測する余地は残しておいた。案の定そうか、と唇の端に微笑の気配を漂わせながら、ブルースは頷いて視線を机に戻す。
 彼が自分を部屋に入れてくれるのは悪くない。それだけ信頼されていると言う事だ。だが「良ければ好きな本を」などと言われ、更に期待の篭った眼差しで見詰められるのは、何度経験しても慣れはしない。
 自分と同じ年頃のブルースは、本を読むのがそれはそれは好きだったのだろう。アルフレッドに聞かずとも推測出来る。ディックだって読書は好きな方だが、しかし食指の動かない本を大量に薦められても困るのだ。
――だけど断るのも可哀想だし。
 ブルースが出来る数少ないコミュニケーションの方法を、自分から断ち切ってしまうのは哀れだ。それにディックも彼との繋がりを持てる。
 嫌じゃない。決して嫌じゃない。
 だが物が悪い。ホームズやデュパンを読めば勝手にブルースの面影が重なって来るし、ヴィランがてんこ盛りなアリスなど論外だ。
 さてどうするか、とディックは腕を組んだ。首だけでブルースを振り返ると、彼は今度こそ書き物に集中しているらしい。選ぶ時間が長過ぎる、と文句を言われる心配は無さそうだ。再び本棚に首を戻し掛けた所で、ふとディックは頬に冷たい風を感じた。
 隙間風でも入り込んだのだろうか。視線をあちこちに動かすと、揺れるカーテンが目に入った。良く見れば微かに窓が開いている。今日の強風で開いてしまったのか、とディックが納得すると同時に、窓の向こうに赤いブーツが降り立った。
「……あ」
「読みたい物が見付かっ、た、か……」
 ディックの声に振り返ったブルースも、視線を追って窓に顔を向ける。
 ブルースの声を最後に、何とも言えない沈黙が部屋に落ちた。
 落ち葉の積もったテラスに立ち、こちらに片手を上げているクラークも、ブルースやディック同様にぴたりと固まっている。唇は微笑んでいるが目は丸く見開かれ、ディックの方に向いていた。夜遅くに自分がいるのは予想外だったのだろう。と言うかこちらも夜遅くに彼が来るなんて、予想外の他にどう表せば良いのやら分からない。
 しかし2人の驚愕と視線を受けて居た堪れなくなったのか。体勢も表情も変えぬクラークの踵がテラスから浮き――そのまま上昇して窓から消えた。
「ブルース」
「……何だ?」
 ひくりと波打ったであろう彼の肩を見ないよう心掛けながら、ディックは言った。
「ピーター・パンってこの部屋には置いてないの?」
 その本が枕元から取り出されたのは何故か。喉まで競り上がって来た問いはしかし、毒を呑んだようなブルースの顔で遮られ、吐き出される事は無かった。

超人=ピーター・パンなネタが好きです。

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