APO MEKHANES THEOS

 きらきらしい孤独の要塞の中は、地球の文明よりも遥かに進んだ機械で満ち溢れている。
 例えば水や湯の類を一切使わずに、しかも遥かに短い時間で、体を清潔に保つシャワーである。蒸気にほんの一瞬当たっていれば済む、と言う画期的な代物だが、しかしこれは地球文明に育った要塞の主には不評であった。水の使い過ぎと言われるかもしれないが、矢張り熱い湯を浴びる快感に抗うのは、鋼鉄の男でも難しい。
 ましてや地球上の様々な土地で暮らし、豊かな入浴文化の数々を享受して来た闇夜の騎士には、極めて困難と言わざるを得なかった。
 かくして地球文明の如く、水や湯が出る形態に変えられたバスルームは、北極圏とは思えぬ湯気で満ち溢れていた。
 白い泡が排水口へと流れていく。ボディソープのラベルはCMで流れっ放しの有名な、そして安価な物だった。それでも薔薇やハーブの香りを極端に濃くした物よりは良い。泡が立ち過ぎるのは問題だがと、そう思いながらブルースは体を流していく。シャワーの勢いはなかなかに強烈で、作り主の意外な手先の器用さを知らせてくれた。水道管工の才能かもしれないが。
 『水道管のトラブルは鋼鉄の男にお任せ!』などと言うキャッチフレーズが、ちらりとブルースの脳裏に過ぎる。青いタイツ姿の修理工。悪くないかもしれない。だがトラブルは何も無いのに彼を呼ぶ顧客が急増するだろう。
 下らない思い付きに頬を緩めながら、ブルースは湯の熱さを味わう。ここが邸ならば温い温度で長々とバスルームにいるのだが、今日いるのは要塞だ。なるべく早目に出た方が良いだろう。
 彼も待っている。
 彼が待っている。
「……」
 湯の所為とは言えぬ火照りを身に覚え、ブルースはシャワーを止めた。
 泡はすっかり体から落ちている。それでもまだ浴室には、微かなシトラスミントの香りが立ち上っていた。自分から漂っているのだろう。即ち彼と同じ匂い、と思った所でブルースは頭を振るい、水気と共にその考えを払う。
 背後のドアへと踵を返した瞬間、ブルースは眉を寄せた。
 湯煙で曇った窓の向こうに、人影が見える。自分とほぼ変わらぬ背丈と、肩幅と――間違いない。そもそもこの要塞には、彼と自分以外の人間はいない。
――たかが30分も待てないのか。
 バスルームにブルースを送る際、待っているよと笑った癖に。嘘を吐かぬと有名な男が嘘を吐くとはけしからん仕業である。人影はこちらの様子に気付かぬのか、慌てる素振りも見せず立っている。待ち構えている、と言った方が良いのかもしれない。他に出口が無いからだと、分かり切っているからだろうか。そのふてぶてしさがブルースには気に食わない。
 慌てて首を動かす素振りでも見せれば、ブルースとてからかいの笑みを向けてやるものを。長くなって来た付き合いが、こう言う可愛げの無さに発展したものだろうか。甘やかしたのが裏目に出たとブルースは腕を組む。
 不意を突くような行動をしてやれば、多少は反省もしよう。ブルースはそうっとシャワーのノズルを取り上げ、蛇口を捻った。さあさあと音を立てて湯が出て来る。
 いきなり湯を掛けられては、流石の鋼鉄の男も驚くに違いあるまい。2人でびしょ濡れになった後、彼がどう言う行動に出るか分からないブルースでは無かったが、その事に気付いたのはドアを開けてからだった。
 もう取り返しは付かない。ブルースはシャワーを相手に向けた。
 予想と違い悲鳴は上がらなかった。そして微動だにしなかった。
 更に、湯の向こうに見える姿は、青いタイツではなかった。
 何かがおかしい。ブルースはシャワーを引いた。開いたドアから外気が流れ込み、濡れた体を冷やすのも気にならない。
 ドアの向こうに立っているのは、黒いマスクとケープ、灰色のタイツを身に付けた――
「タオルをお持ちしました」
 そう言って湿ったタオルを差し出す闇夜の騎士の姿に、ブルースはノズルを取り落とした。



 水晶の天井に足音がこだまする。自室にしている小さな部屋で、長い脚を伸ばしていたクラークは、その音に顔を上げた。それから、首を傾げた。
 足取りが早過ぎる。しかもかなり乱暴だ。時折混じるびしゃびしゃと言う音は、まさか水の音だろうか。タオルはどうしたのだろうと疑念を巡らせている内に、ドアが開いた。
「クラーク!」
「ブルース、どうかした……本当にどうしたんだ?!」
 タオル1枚を下半身に巻いただけのブルースに、クラークは文字通り飛び上がった。近付くと首と言わず胸と言わず、引き締まった全身から水滴が流れ落ちている。ろくに拭いていないのだろう。しかも腰に巻かれたタオルさえ濡れそぼっていた。
「それはこちらの台詞だ!」
「ぼ、僕には何がなんだか」
「あれだ!」
 ブルースが指したドアから、こちらも全身濡れ鼠になった“バットマン”が現れた。精巧な出来のロボットは、ブルース同様に水を滴らせながらも、乾いたタオルを手にしている。
「…ああ、あれね!」
 何と無く事の成り行きを理解して、クラークはぽんと手を合わせた。だがそれでブルースの怒りが止む訳も無い。眉を怒らせて、彼は自分そっくりのロボットとクラークをと、等分に睨み付けた。
「こんなロボットを作ったとは聞いていないぞ……!」
「…うん、言わなかったから……」
 とりあえず体を拭かせようと、クラークは“バットマン”の手からタオルを受け取った。控え目にブルースへと差し出せば物凄い勢いで引っ手繰られる。
「えっと、その、これは君のロボットなんだ」
「見れば分かる」
 ブルースはタオルで髪を拭きながら、じろりとクラークを見やった。
「一体お前はどう言うつもりで作ったんだ?!こんな私そっくりのロボットなど」
――まさか変な目的ではなかろうな。
 最後の言葉は飲み込んで、ブルースはクラークを見つめ続ける。彼は困ったように眉を寄せながら、躊躇いがちに口を開いた。
「それが、クリプトンの知識に、精巧なロボット作りのマニュアルがあって」
「…それで」
「要塞は僕1人だけだから、ここを作ったばかりの頃は……その、人恋しくてね。細かい維持作業もさせたかったから、作ってみようと思ったんだ」
「……だから私のロボットを?」
 今度は胸を拭きつつブルースは尋ねる。それに対してクラークは首を、横に振った。
「いや、君1人のだけじゃなくて、その……両親とかスモールビルの人とか、あとDP社の知り合いとかも……君のロボットは最後の方かな」
 はは、とクラークは照れ臭そうに笑って頭を掻いた。
 つまり彼らそっくりのロボットが、この要塞には大量にあると言う訳である。ブルースは更に眉を寄せた。慌てたようにクラークが手を振る。
「き、君が驚いたらいけないと思ってスイッチは切っているよ!」
「ではどうしてこれが動くんだ?!」
「奥で作業させていたのが、たまたま君を見たんだと思う。それで客人だと思ってお世話に向かったんじゃないかな」
 同意を求めるようにクラークがロボットを見ると、“バットマン”は穏やかに頷いた。
「あ、ほらね」
 嬉しげにクラークは笑う。ブルースもようやく怒りを収めた。自分そっくりと言うのが気に入らないが、要塞の保管作業程度ならばまだましだ。“バットマン”が水を滴らせながら部屋を出て行く、その背中に少々悪い気もした。
 しかし彼の他にも色々な姿のロボットがいると言うならば、つまり彼はその他大勢と同様に、たまたま知り合いだったから作られただけであって――そこに何らかの特別な事情と言う物は介在しないのだ。
 例えば恋情のような物は。
「……」
 理不尽と承知しながらも、何故か浮かび上がる苛立たしさに、ブルースは小さく唇を噛んだ。それと同時に今まで感じなかった外気が押し寄せて来る。
 だが肌寒さを覚えるより早く、背後から鋼鉄の男の両腕がブルースを包んだ。
「気を悪くさせてごめん、もう使わないよ」
「…そうか」
 その言葉に眉を開く事もなく、ブルースはおざなりに頷く。その耳朶にクラークが唇で触れ、囁いた。
「……それに、君自身にこうする事も出来るからね」
「……本当にどう言う使い方をしていたんだ」
「聞きたいかい?」
 肩越しに現れたクラークの微笑に、ブルースは今世紀最大の渋面で答えた。
「絶対に、断る」
 宥めるような口付けが頬に降って来る。ブルースはむっつりと顔を顰めたままだったが、それでも2枚のタオルが床に落ちるまで、そう時間は掛からなかった。

その後日、「お詫びに」とだけ書かれた箱がウェイン邸に到着。
開けたディックさんが中に詰まったスーパーマンロボに腰を抜かす。
送り返される。
あと蝙蝠ロボの真の使い方は、告白の練習です。
しかしロボ相手でも恥ずかしがって出来ないに一票。

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