ローリング・フィーリング

 敵と戦っている折の背中合わせは、パートナーをこの上ない存在だと思わせてくれる。自分の見えない所を、弱点を任せられる最高の相手だと。
 だが常にそれが良い方向に作用するとは限らない。例えばごく普通の生活において、絆を高めるのは顔と顔とでの接触である。背中は自分が見られないもの、見たくないものの置き場に他ならないのだ。
「……」
「……」
 だから背中を向け合って座る彼らが、幾らヒーローであった所で、その事に大した変わりは無かった。
 形にするような事件も無いのに、ブルースは先程からずっとキーボードを叩き続けていた。彼に背中を向けられているクラークも、組んだ長い足の上に世界各国の新聞を置いて読み耽っている。
 どちらも互いの存在を無視する為の方便に過ぎない事は、少し観察すればすぐ分かる。PC画面の文字の羅列は定期的にバックスペースキーで消去されていたし、新聞も開かれているのはずっと同じページだ。そして互いの眉間には、同じ深さの皺がくっきり刻まれていた。何も余計な言葉が出ないようにする為か、唇も端から端までぎゅっと結ばれている。
 沈黙の平行線が永遠に続きそうな光景だったが、唯一の救いは2人の距離がとても近い事にあっただろう。何故か手を伸ばせばすぐ届く距離に置かれた椅子は、それが彼らの限界なのか、意地なのか。
 とにかく黙り込んだまま、ワールズファイネストはさっぱり動こうとしなかった。
「……」
 かれこれ10分ほど徒に時が過ぎ去った頃、ブルースが視線だけをちらりと移した。それ以外の部分は微動だにしない。クラークも気付かず新聞に目を落としている。今度は黒い手袋が、キーボードの横にそっと動いた。
 次の瞬間、小さなペンが硬い床に弾かれる。
「!」
 弾丸よりも早く、クラークが転がったペンを手に取った。代わりに彼の膝にあった新聞が落ちていく。紙の群れが立てる落下音に今度はブルースが振り返った。がつん、とキーボードに乗った肘が無意味な文章を作り始める。
 2つの視線が床の上でかち合った。
 息を呑むような静寂の後で、クラークがペンを差し出す。最初は恐る恐る、次はそれを恥じたように勢い良く。
「どうぞ」
 勢い余って眼前に突き出されたペンに、ブルースが手を伸ばした。最初は素早く、次はそれを悔いたようにゆっくりと。
「どうも」
 そう言ってペンを受け取ってから、ブルースが床に手を伸ばす。そこで散らばった新聞にようやく気付いたのか、目を見開いてクラークも続いた。ばさばさと紙の立てる音のお蔭で、今度の沈黙は随分と賑やかなものになった。
 集め終えた新聞を腕に抱え、クラークがブルースのPC画面を覗き込む。そちらに振り返ったブルースは矢張りそこで画面に並ぶ無意味な文に気付いたらしく、急いでデリートキーを押し始めた。
「…報告書かい?」
「…似たような物だ」
 彼の横で新聞を畳みながらクラークが問う。もう言葉の前に余分な間は無い。
「手伝おうか?」
 そしてそれはブルースも同じ事だった。
「ああ、頼む」
 さらりと頷いてから、ここが、と画面に指を向けて説明を始める。クラークがそれを見て相槌を打つ。
 いつも通りの時間が2人の間に流れてゆく。

「あれ、ロビン?入らないのか?」
「しっ」
 声を掛けて来たフラッシュに人差し指を立ててから、ディックはにっこりと彼一流の笑みを浮かべた。

さて蝙蝠は故意か否か。

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