最初バットモービルの偉容を見た時は、死神を乗せて走る馬車のようだと思ったものだ。
刺々しいフォルムは蝙蝠の翼よりも悪魔の羽根に似ている。磨き込まれているにも関わらず光沢はごく僅かで、月光さえも吸い込むゴッサムの夜を、塗料として纏っているのかと疑うほどだ。
闇夜の騎士が駆る乗り物に相応しく、禍々しく強大な車輌。
だが――
「こっちの具は?」
「ローストビーフにトマトと卵だな」
まさかその中でカフェラテを啜りながら、ホットクラブサンドを齧るようになるとは。ああ数ヶ月前の、ブルースと会ったばかりの自分に見せてやりたい、とクラークは思った。思いながら手にしたサンドイッチを齧った。
肉と卵の旨味が奏でる濃厚なハーモニーを、トマトの甘さが爽やかに彩る。マスタードの香ばしさもきつ過ぎず弱過ぎず、更なる一口へと気分を煽り立てた。嚥下するのも惜しいような絶品だ。目を細めて再びサンドイッチへ挑んだクラークに、横からブルースの声が掛かる。
「美味いか?」
答えようとしたが口の中は一杯だ。しかし急いで呑み込むのも余りに勿体無い。声の代わりにクラークはブルースに首を振って見せた。勿論、縦に、何度も。
「良かった」
そう言ってブルースは、まだ湯気が立っているカフェラテに口を付けた。ゴッサムの闇夜の騎士でいる時には滅多に見られぬ微笑が、僅かながら唇に浮かんでいる。矢張り自分の執事を褒められるのは悪い気持ちがしないのだろう。それにアルフレッドは単なる執事ではなく、彼にとっては親代わりなのだから。
自分も父や母を褒められると嬉しいし、と思いながらクラークはようやくサンドイッチを飲み込んだ。そして先程からカフェラテばかりを取っているブルースに首を傾げる。
「君は食べないのかい?」
非難と言う訳ではないが、それらしい響きがした。仕方があるまい。たった二口で自分は既に、アルフレッドの料理のファンになってしまった。こんな素晴らしい物を食べないなんて。ブルースは紙コップを置くと、ちらりと肩を竦めたようだった。
「この姿でいると食欲が湧かないんだ」
「…気持ちは分かるけど」
サンドイッチにもう1度齧り付きながら、クラークは横目でブルースを見つめた。犯罪者達へ恐怖を与える為の、蝙蝠を模した夜色の姿を。
バットマンとして振舞う彼にとって、愛情の篭ったお手製料理は確かに不必要なのかもしれない。一口だけでブルース・ウェインとしての現実に引き戻されるのだから。
もしかするとアルフレッド自身、それを熟知した上で手渡しているのかもしれない。主が必要以上に闇に捕われないよう、帰る所があるのだと知らせる為に、夜毎の“散歩”に手料理を持たせているのかもしれない。
そう考えると自分が彼の心を無駄にしているような気がして、クラークは手の中にあるサンドイッチに、思わず視線を落とした。
「クラーク」
「うん?」
不意に呼び掛けられ横を向けば、ランチボックスがずいと差し出されている。マスクに隔てられたブルースの目は、何となくだが憐れみを帯びているようだった。
「まだあるから安心しろ」
「…うん、その、ブルース」
別にサンドイッチを食べ終わるのが惜しい訳ではなく、いやそれも惜しいのだが、とクラークは慌てて空いている手を振った。何と言えば良いか考えを巡らせて、結局最もストレートな言葉を選ぶ。
「凄く美味しいから、君も一緒に食べよう」
「だが」
「君の為に作ってくれた物だろう。君が食べないと」
促すように少し首を傾けたクラークを前に、ブルースは少し戸惑っているようだった。だがやがて彼はランチボックスを置き、肘近くまで覆っている手袋を取り去る。
夜目にも白い手がしっかりとサンドイッチを掴むのに、クラークはほっとして微笑んだ。
「それの具は?」
「…スモークサーモンとクリームチーズ」
「ああ、美味しそうだね」
僕も次はそれにしようかな、と言って、クラークは自分のサンドイッチを頬張る。
2人の胃が半分ほど満たされる頃には、ランチボックスは空っぽになっていた。
それから数日後。
「スーパーマン」
「何だい、バットマ……」
ウオッチタワーの司令室で、呼ばれ振り向いたクラークは目を丸くした。
全面に蝙蝠柄をあしらった大きな箱を2つ持ち、その上に魔法瓶らしきものを乗せたブルースが、そこには立っていたからだ。
「…その巨大な立方体はもしかするともしかして」
「お前が喜んでいたと言ったら、これだ」
どん、と音を立てて、円卓がそのランチセットを受け止める。余りに重たい音がした理由は、恐らくアルフレッドの愛情がたっぷり詰まっている故だろう。単に量の問題ではない筈だ。多分、きっと。
「責任を取れなどとは言わん」
冷ややかさよりも困惑の占める割合が大きそうな目で、ブルースはクラークを見上げ、言った。
「…ただ、協力してくれ」
更に数日後、奮起したアルフレッドがJLメンバー全員分にも匹敵する量を作ったと語られているが、それはまた別の話である。