空飛ぶクリーニング屋

 ベッドに雪崩れ込んでからの勢いは、付き合い始めも今も大差ない。転がって、キスして、脱いで、そして終わってから散乱した服に眉を寄せる。
 ボタンが飛び、シャツが破れ、ベルトが千切れた頃に比べれば大人しくなった方だ。そう思うがしかし服の寿命を縮めるのはいただけない。床に丸めて転がされたシャツとスラックスが、恨みがましくこちらを見ていた。
「…まあ今日は家だから良いが」
 くしゃくしゃになった靴下を床から拾い上げ、ブルースは小さく呟いた。もう片方は遥か彼方のソファに何故か引っ掛かっている。気合を入れて飛ばし過ぎだ。
「何がだい?」
 靴下を生き別れにさせた張本人が、そう言ってむき出しの背中に圧し掛かって来る。自分と変わりない体格、というか自分より大きい相手に乗られて、一瞬息が詰まった。
 それでも潰れた蛙のような呻き声を出すまいと、1度呼吸を整えてからブルースは振り返った。こちらを見つめる無駄にきらきらした目は、ヒーローと言うよりも大型犬だ。自分の体格を考えずに懐く所などそっくりである。
「君の家なら良くて、僕の家なら駄目な事?」
 甘えた声でクラークが頭を寄せて来る。鳥の巣のように縺れた髪が、頬に当たってくすぐったい。ひとつ大きく首を振り、寄るなと無言で意思表示をしてからブルースは答えた。
「外出先で服が使い物にならなくなるのは、もう2度と経験したくないと思っただけだ」
「う」
 流石にクラークも反省はしているのだろうか。濃い眉が八の字を描く。
 ブルースは更に、タオルばりに丸められてしまったシャツを取り上げた。ボタンは取れていないが、3つ目のボタンを縫い付けているのはたった1本の糸だ。振るとふるふる危うげに揺れる。
「言っておくがこの家でも御免願いた――」
「わ、分かっているよ。…片付ける」
 背中に張り付いていた体温が離れていく。偉大な芸術家の作品に登場しそうな容姿の持ち主が、全裸で皺くちゃの靴下を拾う姿はなかなか味がある、とブルースは思った。
 笑いを紛らわす為に俯くと、矢張り転がっている茜色のブーツが視界に入る。倒れていたそれを置き直せば、ちらりとある事がブルースの脳内で瞬いた。
 クラークはタイツ姿になった際、それまでの衣類を圧縮し、ケープの裏ポケットに仕舞っていると言う。ケープが燃やされたら職場にどうやって戻るのかという疑問もあるが、それより今のブルースには別の事が気になった。クラークに圧縮されたならば、スーツだろうがベルトだろうが皺だらけになるのではあるまいか。
 だが彼の服装が垢抜けないとは聞くものの、皺だらけ、みすぼらしいといった評を聞いた試しが無い。一体どうやって元通りにしているのだろう。
「そう言えばクラーク、お前……」
「ふんっ!」
 ブルースが横を向くのと、クラークが力の篭もった声を発するのと、そして彼が皺の付いたケープを引っ張るのと――全てが同時だった。訓練されたオーケストラでもこうはいくまい。
 常人ならざる力を受けてケープがエキスパンダー顔負けに伸びる。茜色の生地はクラークの力が弱まってからも、アイロン掛けをしたように整っていた。
「いやあ、長年使っていると皺が出来やすくなって困るね。最近は服の下に着込むだけでよれるんだよ」
 参った参った、と明るい笑い声を響かせて、クラークがぱりっとしたケープを丁寧に畳んでいく。全裸の大男が細かい家事に従事する様は、前衛的を通り越して夢でも見ている気にさせられる。
「ああブルース」
「何だ?!」
 その引き締まった後姿を呆然と見ていたブルースだったが、不意に振り向かれて声が上擦った。少し怪訝そうな顔でクラークが首を傾げる。
「さっき何か言い掛けていたけど」
「済んだ話だ。忘れてくれ」
 どういう形であれ疑問は解けたのだ。そう答えてシーツに突っ伏すと、クラークはしばしブルースを見ていたようだが、再びお手製アイロン掛けを始めるつもりらしい。タイツを取る衣擦れが聞こえた。
「…もし失職したら、再就職先はクリーニング屋で決まりだな……」
「え?君、会社経営を辞める気なのか?!」
「違う!」
 空飛ぶクリーニング屋目掛けて、ブルースは片方だけの靴下を放り投げた。

蝙蝠の服なら余り皺が出来なさそうですが、それだけ長時間ほっといたという事で。
あと服を投げられたって文句言わない蝙蝠にも原因があると思います。

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