「ブルース、そこのマグ取って」
「いつもの所だな」
夜だというのにキッチンが朝焼け色に包まれているのは、家主の目から熱線が出ているからである。
――しかしよくヤカンに穴が開かないものだ。
ヤカンとヒートビジョン双方に感心しながら、ブルースはクラークの背後にある食器棚へと向かう。
上から3番目の扉を開けば、水色でスモールビルと書かれたマグカップが、無地のものとひっそりと肩を並べていた。当然、文字入りがクラーク用で、無地のものがブルース用となっている。
だがその奥にもう2つ、何やら見慣れぬカップが置かれていた。
「ブルース?まだ?」
「ああ、ほら」
こちらも見ずに差し出されたクラークの手へ、ブルースは纏めて2つのマグカップを渡した。食器洗いでは必ず何かを割る男だが、このパスに関しては、失敗した事は1度もない。
無事にパスを成功させてから、ブルースは再び食器棚に手を伸ばした。先程の見慣れぬマグを取り上げる。愛用されているスモールビル印の品に比べるとやや小柄で、持ち手のデザインが華奢だった。生地が薄いらしく、重たさも段違いである。
「気に入ったのかい?」
声に振り返ると、クラークがヒートビジョンを収めてこちらを見ていた。スモールビルのマグカップからは既に白い湯気が立ち昇っている。
「新しく買ったのか?」
逆に問うたブルースへクラークは頷き、捲くっていたシャツの袖を直し始める。
「うん、セットで。来客用にね」
「そちらは」
一旦そこで言葉を切り、ブルースは自分に出される予定のマグカップに顎をしゃくった。
「どうなんだ?来客用なんだろう」
「いいや」
ひょいと片手にそのマグカップを取り、クラークは1分前まで茜色だった夏空色の瞳を細めた。
「これは君専用だ」
「……別に今まで通りに使えば良いだろう」
促されるままカップを手にしてブルースはそう言った。だが、気にしてくれるなと言外に主張しても、クラークは笑って首を振る。
「今までだって君専用みたいなものだったよ。だからそれは君用のマグカップで、あっちが来客用」
専用と指名されたカップは、厚さにも関わらずブルースの指先にかなりの熱を伝えて来ている。取っ手を握り直しながら、ブルースは文字を除けばクラークのものと大差ないマグカップを見下ろした。
改めてそう言われると、何やら先程よりも手にしっくり来るような気がする。僅かながらそう感じている自分にブルースは驚きと、そして微妙な照れを覚えた。
「じゃあ座ろうか」
はたと顔を上げれば、クラークが笑って背中を押して来る。キッチンを出てソファに腰掛ければ、ソファがきぃと小さな声を上げた。
それを合図にでもしたのか、たちまち部屋の中は静まり返った。カップから出る湯気も、機関車のような音を立てていたヤカンも、黙りこくって一声すら口にしない。
その静寂を破ったのはブルースが先だった。
「……ないな」
「え?」
コーヒーと共に半ば以上口の中で溶かしてしまった言葉を、躊躇いながらももう1度ブルースは口にする。
「お前専用にしてやれるものが、我が家にはないな、と」
テラスから訪れ、夜が明け切る前に去る鋼鉄の男が、ウェイン邸内に立ち入る機会は余り多くない。アルフレッドやロビンに遠慮してか、窓からやって来る時に彼が大半の時間を過ごす場所はベッドの上だ。
クラークが残す滞在の痕跡は無きに等しいのだ――ブルースと違って。
だがクラークはマグを置きブルースの耳朶に顔を寄せる。
「そんな事ないよ」
息と空気の振動が分かるほどの至近距離でそう囁かれ、思わずブルースの体は逃げを打ちかける。だがそれよりもクラークが腕を腰に回す方が早かった。そして彼が、ブルースの首筋を軽く吸い上げる方が。
「お、いっ!」
身を捩った拍子にマグの中でコーヒーが波打つ。目元を紅に染めるブルースへ、クラークは首を傾げて言う。
「君が僕専用って事でいいじゃないか、そうだろう?」
夏空色の瞳に宿る光はコーヒーよりも熱い。吸われた箇所が視線を受けて、かっと燃え上がるような気がした。
「――私は物じゃない」
コーヒーを一口飲んでから、胸中に生まれた動揺を押し流す。
ただ、そのように淡々と答えながらも、ブルースは腰に回されっ放しの手を拒もうとはしなかった。
マグカップ
意外と蝙蝠は超人部屋に専用品が多かったらいいなと思います。
食器とか前にも書いた剃刀とか。
原作ではジョンジョン用オレオとかあるらしいですし。
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