THE WORLD

「私はただの人間だ」
 ボスはたまにそんな事を言う。
 部下達を前にしていても、アタシと2人きりでいても。そんな時、スパゲッティ・ウェスタンの主演俳優みたいな掠れ声は静かだ。真剣に言っているのだと良く分かる。
 それでもボスの言葉を、真面目に受け止める人なんていない。ボーイズは彼をまるで神様みたいに思っているから聞く筈が無いし、元JLAの大先輩方は口元をちょっとにやりと歪める。
 アタシは多分、彼らが知るより「弱い」ボスを知っている。年甲斐もなく強敵に突っ込んで殺されかかったり、無防備に飛び込んで撃ち殺されそうになったり、大勢の警官に揉みくちゃにされて潰されたり。ただの人間としてのボスなら、きっと今ここにいる誰より良く知っている。
 だからボスの言葉も分かるんだけど――頷けない所も半分はあるのだ。
「…ほら、ただの人間なら、こうまでヴィランにもてないでしょ?」
「一理どころか三理くらいあるな」
 オリバーが白い顎鬚を撫ぜた。彼とアタシの視線の先には、ケイブの大きなディスプレイがでかでかと映し出す、脅迫状の文面がある。
 「愛しのバットマン」から始まるあたりで内容の検討が付く。アーカム爆破を謳うあたりはれっきとした、と言うかちゃんとした脅迫状だけど、「復帰に祝いを述べたい」だとか「心が高鳴る」だとか「風に靡くケープを再びこの眼に焼き付けたい」だとか、表現はラブレターと紙一重だ。紙はきっと破れかかってぼろぼろに違いない。
 こんな類にもボスは慣れている。顔面の筋肉を殆ど動かさぬまま、「場所がまずい。私も行く」と直々の出動を言い渡したから、ケイブはちょっとした騒ぎになっていた。のんびり構えているのはアタシとオリバーくらいだ。
「奴が見たら荒れるぜ、きっと」
 楽しげにオリバーはパイプを吹かす。「奴」と言ったらただ1人。ケントさんに決まっている。確かにケントさんが見たら、「なんて凶悪な手紙だ……!」とか言うに違いない。
 ケントさんはスーパーマンだ。弾丸より早い。空を飛んで闇を裂き、スーパー・シティを舞い上げる。アタシが物心つくより先に、彼の存在を残すのは破壊の跡だけになってしまっていたから、初対面の時は随分と興奮した。乗っている戦車を持ち上げられた時は怖かったし、最近ケイブへ突っ込んできた時は驚いたけど、優しい人だ。少なくとも物凄い歓迎の嵐を食らわせたボス達よりは良い人だろう。あの時の皆は悪魔だ。
 まあ、ケントさんも、そんな悪魔達に付き合う奇特さを持っている時点で、やっぱりどこかおかしいのだろう。あのボスに付き合って数十年経つのに、まだラブレター紛いの脅迫状――もしくはその逆――を見て顔面蒼白になりそう、と思われている辺りで、相当な変人に位置する。
「ケントさんが見る前に片付けたいわ」
「そうだな。全力でいこう。奴が来るのは構わねえが、その後はバッツとの痴話喧嘩が決まっている」
 こうやって、ちゃんと予想と把握をして動いてくれるオリバーがアタシは好きだ。バリーだと予想が甘いし、博士だと把握しても面白がって動いてくれない。頼もしい先輩共々、アタシはアーカムへ向かった。



 大騒ぎになると分からなかった、と言ったら嘘になる。
 アーカム・アサイラムは何度かリフォームされた事があるそうだけど、ボスの復帰後に行われたものは群を抜いて最悪だった。見た目はごく普通の清潔な病棟なのに、中へ入ればアリの巣みたいに下へ下へと広がって、「分かりやすさ」なんて言葉はどっかに置いてきてしまっている。脱出させない事だけを目的にした、永遠の牢獄世界だ。
 ヒーローを非難し、ヴィランを解放したウォルパー博士は今でも好きになれない。でもこんな有様を見ていると、あの人の方がまだ良かったんじゃないか、って気になる。
 ただ、そんな事を考えている余裕は余りなかった。
「爆破と言ったら普通は出入り口だろ!」
 オリバーがそう叫んで矢を番える。罵られた爆破犯は、自分で壊した壁の下に埋まって、何十人ものヴィラン達に踏まれている事だろう。見えなくて良かった、とつい思ってしまう。
「檻を壊して自分も吹っ飛んでりゃ世話ねえぜ!」
「全くね!」
 彼に掴みかかろうとする男に、軽く飛んで蹴りを入れる。バットボーイズは今、奥のボスを援護中だから頼りにできない。
 かつてのオールスター勢揃い地区こと、所謂ゴッサムヴィランが巣食う最深部からはまだ遠い。それでも以前、ボスに色んな意味で捕まった連中は、この中層部付近にうようよしている。爆発で棟内を闊歩できるようになった奴らが、真っ先にした事と言えば、警備に来ていたボスやアタシ達へと襲い掛かる事だった。
 数では圧倒的に不利だ。ひとまず撤退しなきゃならない。
 眼前で振り下ろされようとしたフォークが、黒い閃光に吹き飛ばされる。フラッシュだ。救援は届いたらしいけど、爆破犯が自滅した以上、残ってもしょうがない。それは勿論ボスも分かっている。人の山の向こうでは、千切っては投げられる敵と、揺らめく闇色のケープが見えた。オリバーの放った矢も爆風で数人を吹き飛ばし、ようやくマスクの尖った耳が見えるようになる。
「早くしろ、下からどんどん来るぞ!」
 退路の階段を確保しながらアトムが呼ぶ。そちらへ向けてアタシはオリバーと走った。後ろから、何だか楽しげなバットボーイズと、蠢く亡者どもをようやく突き落としたボスが走る。殿を守るあたりがボスらしいけど、お蔭で自慢の改造ケープがボロボロだ。垂れてしまった左耳にアタシはちょっとだけ笑い出したくなった。
 でも、アタシの唇は引き攣ってしまった。
 ジョーカーもどきに付けられた古傷のせいじゃない。ボスの背後に重なっている瓦礫の山から、右腕が1本突き出されている――何かを握りながら。
 親指らしき部分が、少しずつ、少しずつ、でもボスがアタシ達の所へ辿り着くより早く、動いた。
 押した。
 ボタンでもスイッチでも爆破装置でも何でもいい。とにかくのろのろとした親指が、ボスが今まさに走り終わろうとしている廊下の両脇を、粉砕したのは事実だった。爆音も超える叫び声はアタシのものだけど、爆風を止める訳にはいかない。
 風が吹く。牢獄が引き裂かれ、ヴィランが舞い上がる。
 そしてスーパーヒーローが空を飛ぶ。
 アーカムの天井は空と言うのも憚られるけど、スーパーマン1人飛ばせない程ではなかった。弾丸よりも早く、爆風よりも早く、文字通り飛んで来たヒーローは、真っ赤なケープを広げてボスの壁になる。
 牢獄全体を揺らしはしたけど、壊すまでに至らなかった爆発は、ほんの一瞬で終わった。生き残っていたヴィラン達がこそこそと影に隠れていく。赤と青と黄色に彩られた鋼鉄の男が、ボスの前に立ち塞がっているのだから無理もない。
「見ていたのか」
「気になってね」
「お節介だな」
「昔からさ。怪我は?」
「ない」
 爆発の名残で、あちこちが音を立てて崩れてはいたけれど、会話はばっちり聞こえる。ボスへと駆け付けようとする、余り役に立てなかったボーイズ達を、アタシは手だけで上へとあがらせた。
 ほら、爆発で狭くなっているし、駆け付けても今更だし、何より――邪魔になるからね。色々と。
 オリバーの背中をぐいぐいと押して、アタシも階段を昇る。振り返る必要も、視線を投げる必要もない。だけど、お礼くらい言えば良いのに、とちょっとだけ思ったその瞬間。
「クラーク」
「うん?」
 それきり黙った2人の声が、アタシに「雄弁は銀、沈黙は金」というボスの言葉を、何より的確に説明してくれた。半ばヤケクソで、アタシはオリバーの背中を力一杯押し上げ、階段の上にいるバットボーイズへ命令する。
「ボーイズ、止まらないで!撤退するわよ!」
「なあキャリー。あとでうちの風紀委員に告げ口といこうや」
 くくっとオリバーが肩を震わせる。背後の迷コンビにも、少なくとも片方には確実に届いている筈だ。
 だからアタシも、ボスのめっきり遠くなった、爆発で少し麻痺しているかもしれない耳に向けて、声を張り上げた。
「無駄よオリバー、だって――うちのボスの特殊能力なんだから!」
 能力名は「ワールズファイネスト」とでも名付けておこうか。
 いつでもどこでも2人だけの世界を作れるのだから、ボスはやっぱり、ただの人間なんかじゃないのだ。多分。

ノートを漁ったら出てきたネタです。
もっとシリアスだったのをいちゃいちゃさせたくて魔改造しました。タイトルもど直球で。
基本的にSBは周囲に隠しているのがいいんですが、DKUだけは例外です。
あと爆発大好きです。ジュリーも好きです。

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