手袋を取り去り露わになった長い指が、小気味良くカードを切っていく。手品師だったか奇術師だったか、はたまた魔術師だったかに弟子入りしただけの事はある腕前だ。指先と手が動く度にカードが踊る様子は、まるで本職のディーラーのようで。
それこそ魔法でも見るかのように、クラークは目を輝かせた。
やがて揃えられたカードの背中が、照明を受けて紅色で描かれた蔓草模様を揺らす。2つの山の内1つをクラークに差し出すと、ブルースは早くしろ、と言わんばかりに顎をしゃくった。
「あ、ありがとう」
「全く、2人でババ抜きとはな」
面白いのかどうか、と首を傾げながらも、ブルースはしっかりとカードを放っていく。机に描かれたJLのシンボルは、見る見る内にトランプで埋まっていった。慌ててクラークもカードを揃え、組になった物を放っていく。
「ポーカーだと君に勝てる自信が無いからね」
「余程勝ちたいらしいな」
「だって」
苦笑しながらクラークはハートとスペードの8を置いた。
「君に何でも頼めるチャンスなんてそう無いだろう?」
「あって堪るか」
もうとっくにカードを揃え終わったブルースが、椅子に深く座り直した。ゆったりと長い脚が組まれる。何だかんだ言いながらもやる気にはなっているらしいと、クラークはカードの奥で微笑を殺した。
フラッシュに感謝せねばならない。ウオッチタワーの退屈な監視業務に飽きた彼が持ち込んだトランプ。机の上に置かれたままのそれを、同じく退屈したクラークが使おうと思うには、さして時間が掛からなかった。
「じゃあ約束の確認だ。勝った方が何でも1つ、負けた方に頼み事が出来る」
「負けた相手は絶対に従わねばならない、だな?裏技は?」
「当然無し。ああ、あと出来ればそのマスク、外して貰いたいんだけ、ど……」
下から掬い上げるようなブルースの視線に、クラークは空いている片手を振った。
「い、言ってみただけだよ。それじゃあ始めようか?」
2人でやっているのだから、当然滞る事も無い。大して会話を進めぬ内に、机にはカードの丘が出来上がっていた。
そして2人の手に残るのは、合わせて3枚のカード。クラブのエースしか持っていないクラークは、胸を高鳴らせながらブルースが持つ2枚のカードを見つめた。
「今更だが透視は無しだぞ」
「当たり前だよ」
それよりもむしろ火が付きそうな目で、ひたと視線を据える。ダイヤとスペードのエースは既に机の上で横たわっているから、その内片方はハートのエースだ。そしてもう片方は当然、小馬鹿にしたような顔で笑うジョーカー。
「まだか?」
「もう少しだけ」
ブルースの手元に宿敵のカードを残すのは気が咎めるものの、しかしここは確実にハートを引き出さねばならない。右か左か、眉を寄せるが当然分かる筈も無く、時間ばかりが過ぎていく。ブルースがブーツの踵で床を鳴らした。
「早くしろ」
「…分かったよ」
他ならぬ自分自身の運に賭けるべく、クラークは手を伸ばす。左側の、つまりブルースにとっては右側のカードを取り、勢い良く引き抜いた。
蔓草に覆われたその背を返せば、そこにあるのは――大きな顔で嘲り笑うジョーカーだった。
「……」
がっくりと肩を落としたクラークに、ブルースがさっさとカードを出せとせっつく。
何度も背後でシャッフルし、入れ替えたにも関わらず、ブルースは見事にハートのエースを引いた。
「私の勝ちだな」
早速テーブルの上に溜まったカードを集めながら、ブルースはそう言う。彼に頭頂部が見えるほど項垂れたクラークは、それでも促されるままに手元のジョーカーを差し出した。
「勝ちたかったのに……」
「そんなに何を頼みたかったんだ?」
落ち込み振りが気になったのか、ブルースが首を傾げる。前髪越しにちらりと彼を見上げて、クラークは目指していたものの単語を小さく呟いた。
「…ら」
「は?」
「膝枕」
ブルースの手の中から、はらりはらりとカードが落ちる。足元に飛んで来た1枚を取り、口を半開きにしたブルースへと渡しながら、クラークは溜息に言葉を乗せた。
「長年の夢だったんだけどな。そう上手くいかないね」
なるべく拗ねないように気を付けて言うと、ブルースがようやくカードを受け取った。先程取れなかったハートのエースを。
「片付けようか。そろそろ僕もホークガールと交代だ」
椅子から腰を上げ、ブルースの周囲に散らばっていたカードを拾い上げていく。今度の彼はむっつりと唇を引き結んでしまっていて、馬鹿な事をと怒られそうな予感にクラークは身を竦めた。
「クラーク」
「何だい?」
トランプを全部きっちり揃え終え、ケースの中に仕舞い込むと、ようやくブルースはクラークを見上げた。ほっとして先を促すと、少し躊躇うようにブルースの唇が震える。
「私の命令をお前は聞くんだな?」
「そうだよ」
「明日午後3時を回ったら」
いつの間にか手袋で隠されていた指が、ぴしりとクラークの眼前に突きつけられる。
「私の家に来い。良いな、3時を回ったらだぞ。早く来ても留守しているからな」
「…分かったけど、何の為に?」
「決まっているだろう」
ブルースが指を下ろし、そのまま壁に掛かった時計を示した。針がクラークの交代時間に向けて着々と進行している。
「ここは場所が場所な上に、時間が無いからだ。分かったか?」
分からない、と答えようとして、クラークはブルースの顔色に気付いた。マスクの端、頬の下辺りが、ハートのエースよりも鮮やかな紅色に染まっている。その色がクラークに、ブルースが決して明言しようとしない主語を気付かせた。
「ブルース、ありがとう!」
「おい!だからここは場所が場所だと……!」
伸ばした腕がブルースに辿り着くのとほぼ同時に、開くドアの音が鼓膜に辿り着いた。
「交代よスーパーマン。ちょっと早かった?」
「…いや」
「…それ程でも」
目にも留まらぬ速さで離れた2人は、何一つ知らぬホークガールの問いかけに、揃ってゆっくりと首を振ったのだった。