逃げる最中に足首を捻った女性が、厚い胸板に頬を摺り寄せている。
暴走する車から救われた少女が、輝くような微笑みをうっとりと見上げている。
親ともども火事から逃れた娘が、薄い唇にキスしようと爪先立ちになっている。
「……」
ブルースは目を逸らし、古いスクラップブックを閉じた。ソファ横で積み重なっている仲間達の中にそれを放り、次いで今夕に届けられた新聞を取り上げる。
部屋の柔らかな照明に、一面の写真が鮮やかに浮かぶ。美貌と一風変わった役柄で人気の出て来た女優が、頑健な首に腕を回し、頬に赤い唇を押し当てているものだ。その真上に書かれた見出しは、『鋼鉄の男、アナの心を奪う!』だった。
「……」
デイリープラネットも、ニューヨークタイムズも、こぞってそれと似た写真や記事を一面に押し出している。ストーカーにあわや殺されそうになった女優を、メトロポリスの誇るヒーローが助けたのだ。良いニュースだ。特にデイリープラネットは昨今のストーカー被害も絡めて書いており、読み応えがある。
ただしブルースには肝心の記事を読む気がもう起きなかった。膝の上と周囲に溜まった新聞を、破かぬよう気を付けながら畳む。スクラップブックもケイブに仕舞い込もうと、綺麗に重ねた。
特別な事ではない、とスクラップブックの埃を払いながら、ブルースは自分に言い聞かせる。命を助けられた相手に恋をするのは、心理学的にも十分に説明が出来る。それに彼は美丈夫で、性格も嫌になるほど良いのだから。
それに彼はひっきりなしに好きだと言って来るし、行動もして来る。気にするほどの事は無いのだ。彼が、彼女達の思いに応える事は、きっと無いに違いない。
だけど、とブルースは再び新聞に目を移す。
応えられないならばいっそ、必要以上に優しくせず、笑いもせず、淡々と人助けをこなせばいいものを。
それが出来ないからこそ彼は彼なのだと、ブルースは知っている。しかしスクラップブック1冊だけでも少なからぬ、彼に思いを寄せる女性達を見ると、そう思わずにいられない。彼女達への嫉妬や怒りなどよりも、彼に対する不快の方が強かった。
いつしか眉を寄せていたブルースは、ふと感じた気配に振り返った。一瞬遅れでテラスには、赤いケープが舞い降りる。
夜を背中に、硝子を隔て、鋼鉄の男は微笑んだ。が、ブルースの手にある新聞を見て、端整な顔がぴたりと凍り付く。
窓を叩くでもなく、手を上げるでもなく、呆然と突っ立つだけの彼に――ブルースは小さな溜息を吐いた。
そう、この男が優しさを見せずにいる事など、きっと出来はしないのだ。
「…片付けるから、少し待っていろ」
自分でも驚くほど柔らかな声で言うと、クラークは唇の端を僅かに緩め、頷いた。
子どもじみたそんな仕草に、ブルースも思わずちらりと笑った。