メトロポリスの夜明けはゴッサムのそれよりも赤くない。差し込む黄金の輝きも柔らかく見えるのは、夜がさほど深くは無い所為なのだろう。
 去り行く夜に別れを告げるように、ブルースは西の空に向かって立ち尽くしていた。身を隠す為に寄っていた鷲の銅像をすり抜け、風がケープを誘う。むき出しの頬を撫ぜるそれはひどく優しげだ。ゴッサムを吹き荒れる冷たい風を恋しく思いながらも、ブルースは引き結んでいた唇を開く。
「終わったか?」
「ああ」
 朝焼けの使者はきっとこんな姿をしているだろう。振り仰いだブルースの視界を赤いケープが占める。目を細めた一瞬の後、気付けば自分と同じ地面にクラークは立っていた。
「すぐに警察が駆け付ける筈だ。ルーサーの奴、青くなって対処に追われているだろうな」
「捜査が奴まで辿り着けると?」
「そう願っているよ」
 浮かべていた微笑を打ち消してクラークが答える。その真摯さに、可能性は低いと思いながらもブルースは頷いた。
 少し首を動かせば、噂の主役である男の牙城が目に入る。あれをいつか打ち砕ける日が来るのだろうか。
 今回のクリプトナイトのような事かあれば、また手を貸そうと言い出し掛けて、ブルースは唇を再び強く結んだ。余計な干渉をしない。それが2人にとって重要な取り決めなのだ。どうしても難しい事態になれば、クラークの事だ、躊躇わずブルースに言うだろう。
「それで、その」
 たちまちケントに戻ったのか、クラークが少し俯きがちに口中で言葉を転がした。何かと思って横を見れば、視線が合った。すぐに逸らした。クラークがまた俯いた。――後悔した。
「何か用でも?」
 これではすぐ帰りたいと言っているようなものだ、と自分でも少し呆れながら問う。ぱっと勢い良くクラークが顔を上げた。
「今日のお礼に、と言えるほど大した事ではないけれど、あの、僕のアパートにでも寄って行かないかい?」
「アパート?」
 クラークの家は孤独の要塞にしか行った事が無い。驚いて思わず視線を向けると、弁解するようにクラークは手を振る。
「ご、ごめん急な話で!強制しようなんて思っていないから、遠慮しないで断ってくれ!」
「いや……」
 断ろうと思っている訳では、と言おうとしてブルースは戸惑った。
 もしかして断って欲しいのだろうか?ヒーロー同士助け合った後は家に招くのが昨今の社交辞令なのか?一応言い出して、それを断るのが儀礼だとするならば、そのまま受け入れる事は甚だしい迷惑に違いあるまい。現にクラークは妙な焦りを見せているから、その可能性は捨て難かった。
「…ゴッサムの見回りもある。早く帰らねば」
「……そうだな」
 振っていた手を下ろしてクラークが呟く。物寂しげな声に自分は何か言い間違えたかと焦ったが、ブルースは己の言に従いバットウィングを呼ぶスイッチを入れた。
「今日はありがとう、バットマン」
「礼など要らん」
 無愛想に過ぎる返答が勝手に口から吐いて来る。この男と会う折はいつもそうだと苦渋を噛み締め、差し出された手をそれでも握った。プレイボーイの時でさえもっと力を入れる握手を――クラークの力も弱かった――交わすと、ブルースは空へと目をやった。
「来たよ」
 遥か彼方の空をクラークが指差す。ブルースの視界にも、やがて豆粒ほどだった黒い物がぐんぐんと近付いて来るのが分かった。
「では」
「ああ、……ブルース」
 不意に名前を呼ばれて振り返る。しまった、と言いたげにクラークは口を押さえていたが、僅かな沈黙の後にまた声が投げかけられる。
「……バットマン、それじゃあ――また」
「ああ。――また」
 どちらが背を向けるでもない微妙な停滞の後、それを打ち切るようにブルースは眼前のバットウィングに向かった。ハッチを空け、中に乗り込む。硝子越しに見えるクラークは、ほっと肩を撫で下ろしたようだった。
――さぞ疲れただろう。
 敵を相手どるよりも、自分と対峙する方が遥かに骨の折れる作業に違いあるまい。自分でも時々妙に意識してしまって、愛想も何も無い物言いをしてしまうのだから。
 これ以上気を遣わせまい、とブルースは早々と発進する。振り返りはしなかった。


 あっと言う間に去っていくバットウィングから、クラークは素早く踵を返して飛び立った。何時までも見守っていると、また彼の気に障るかもしれない。
 今日は失態が多過ぎた。部屋への招待、慌てた仕草に、ブルースとまで呼んでしまって。闇夜の騎士はその姿の際に名を呼ばれるのが大嫌いなのだと、知らない訳ではなかったのに。しまったなと頭をかき回しながら、クラークはふと空中で止まり、昇り始めた太陽を見つめる。
 皆に好かれるあの太陽とて、ブルースは厭う素振りを見せるのだ。太陽をエネルギーとする自分など、側にいれば煩わしいだけに決まっている。
 バットウィングのエンジン音が完全に過ぎ去った。今日もいなくなるのが早い。矢張り自分やメトロポリスから早く出て行きたいのだろう。
 これ以上嫌われないようにするには、どうしたら良いのだろうか。今日もまたその事に思いを回らせながら、クラークは再び飛行を開始した。

 2人揃って片思い、な超人蝙蝠が結構好きです。
 しかも相手は自分が苦手・嫌いなんだ、と思い込んでいると美味しさ2倍です。

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