背中からそっと忍び寄っても、その勢いで飛び付いても、拒否される事は無い。振り返る顔には笑みすら浮かんでいる。
しかし、だ。
「やあクラーク!相変わらず寒がりだな。暖房を入れようか?」
「……いや、寒い訳じゃないんだけど」
「じゃあどうして毎回私に抱き付くんだ?」
相手が全く分かっていなければ、拒否されないのもどうなのだろう――クラークはほろ苦い思いを噛み締めながら、ブルースに何十度目かの言葉を向けた。
「君が好きだからだよ」
ファイネストな恋のはなし
「私も好きだよ」
「本当に?」
「勿論さ!だって私達は親友じゃないか」
――そうじゃなくて。
一体このやり取りを何度繰り返した事か。クラークの意を決しての告白は、ブルースに毎回受け入れられ、却下されて来た。
既にお馴染みとなってしまったケイブを、クラークは見上げる。少し滲んで見えるのは涙の所為だ。本当にもう泣くしかない。
「どうかしたのか、クラーク?」
「何でもないよ」
腕の中で身動ぎするブルースを、思いの丈を込めて抱き締める。凄い、ぺちゃんこにされそうだなと言う声は矢張り朗らかで、恋愛意識の欠如をクラークに力強く叩き付けた。
告白したばかりの時もそうだった。君が好きだ、という勇気の表れは、「私もさ!親友じゃないか!」との言葉に流されたのだ。3回目の告白でそんなやり取りを続けた後、真面目に受け取って欲しいとクラークはつい怒ってしまった。
それに対してブルースは何と答えたか?
「嘘を吐いているとでも言いたいのか?!私はいつだって、君へ真面目に向き合っている」
彼が犯罪者以外にはついぞ見せない怒気に、クラークはすっかり驚いて、二の句が告げなかった。それにブルースは続けざまにこう言ったのだ。
「君を親友と思っているから好きと答えたんだ。それ以外に何がある?」
恋愛対象として見られてはいない。その事へのショックも大きかったが、クラークは思わず悩んでしまったのだ――恋人同士になって何をしたいのだろうか、と。
一緒にいる?今だって一緒にいられる。
キスをする?今だって出来ない事は無い。
それとも肉体関係を持つ?だがこれは恋人になったとしても、彼が嫌だと言えば無理強いする気は無い。
自分と同じように好きだと答えて欲しいのか?親友の好きと恋人の好きとの間に、果たしてどんな違いがあるのだろうか。ブルースの場合は余り無さそうな気もする。
そんな疑問が次々と脳裏に過ぎった結果、クラークは「すまない。僕が悪かった」と謝ってしまったのだ。
だが、この思いには何とか決着を付けて欲しい。身勝手だと分かりつつも、クラークはしぶとく告白を続けてみた。とにかく意識させようと、スキンシップも増やした。初めてブルースを抱き締めた時は、それはそれは緊張したものである。一方ブルースは、鋼鉄の男に抱かれながら、興奮気味にこう言った。
「クラーク、君の大胸筋と上腕二頭筋は素晴らしいな!腹直筋や腹斜筋のバランスも良い!少し触らせて貰えないだろうか?」
恥ずかしくなってすぐ離れた。
それでも少し位は意識してくれるのでは、というなけなしの希望と、タイツや服越しに感じる体温に負けて、クラークは諦めず抱擁を続けている。幾ら続けても、ロビンやアルフレッドに見られても、毛ほどの動揺をブルースは見せなかったが。
――もう我慢大会だな。
そして羞恥に耐えているのはむしろ、クラークの方であった。
「クラーク」
「何だい?」
今までの経緯を思い出していたクラークは、ブルースからの声に現実へと引き戻された。灰がかった青い瞳が、アルフレッドの手作り感溢れるマスクから覗いている。
「最近、ロイスとはどうなんだ?駄目だぞ私の所に入り浸って、彼女を置き去りにするのは!」
「仲良くやってる…ってブルース、何度も言うように僕は彼女とそんな関係じゃな」
「はっはっは、何だ照れているのか?デートした仲だと言っていただろう」
自分の体に回っている腕を、ブルースは気さくに叩く。どうも彼の中ではデート即ちお付き合い、となっているらしい。自称プレイボーイとは信じ難い思考回路だと、クラークは頭を抱えさせられる。否、「自称」だからこそ、なのかもしれない。
「聞いてくれ。僕達は最初からそんな関係じゃない。デートと言っても2人で取材帰りに夕食を取った程度なんだ。しかも場所は、社の横にあるマクドナルドだった」
「マクドナルドでも立派なデートスポットだぞ。うちのディックも女の子と連れ立って行っている」
「僕達にとってはデートじゃないんだ。それに」
クラークは手に力を込め、ブルースを引き寄せてから、彼の瞳を間近に見詰めた。
「僕がデートしたいのは君だ、ブルース」
「……」
きょとん、という言葉はこんな表情に使うのだろう。目を何度か瞬かせた後で、ブルースは僅かに首を傾げた。形の良い唇が、無邪気なのか邪気があるのか分からない、罪作りな言葉を紡ぐ。
「男同士はデートと言わないだろう!」
今度も、クラークは立ち直るまで少し時間を有した。たっぷり10秒ほど悩んでから顔を上げる。ブルースは目も注意も逸らしていない。最高の聞き手だ。
「あー…今のは何と言うか、言葉の定義よりまず中身の問題で……」
「つまり、君は私とどこかに行きたいのか?」
「行きたい」
「ふむ」
たちまち真顔になって、ブルースはケイブが誇るコンピュータに向き直った。手袋に包まれた指先がリズミカルに踊る。すぐに、ちーん、と音が鳴り、赤と青のライトが点滅した。
「ああ、すまないが今月は無理だな。来月の第2火曜からは大丈夫だ」
「い、いやブルース。すぐ予定チェックしてくれるのは嬉しいんだけど、僕が言いたいのはちょっとそうじゃなくて」
慌てて言い募るクラークへ顔を向けると、ブルースはマスク下の素顔を綻ばせた。
「君はどこへ行きたい、クラーク?」
あそこで、「君とどこかへ行ってデートするような仲になりたいんだ!」と押すべきだったろうか。しかし無駄に終わったような気もする。それにともかく、デートの確約を取り付けたのだ。あれで良かったのだ、あれで。
――でも涙が出るのは何故だろう。
孤独の要塞の水晶が、いつも以上に煌いて見える。目尻を軽く押さえてから、クラークは今度こそ、と心に誓った。
「ロビン、君の知恵を借りても良いだろうか?」
「どうしたんだいバットマン?」
クラークが帰ってからずっと、コンピュータに向かいっ放しだったブルースが、ようやくディックに振り返る。待ってましたとばかりにディックは駆けた。それでもブルースの周りに散らばる計算用紙諸々を、踏まないように細心の注意を払う。
「前々から気になって調べていたのだが、どうにも検討が付かないんだ」
口元に指を当て、考え込んだ姿勢のまま、ブルースはディックに数枚の紙を渡す。人体と骨格、それに内臓器官が詳細に書き込まれたその用紙に、ディックは目を見開いた。
「一体何を調べて?」
「うん。スーパーマンに関してなんだ」
「…へえ」
珍しい、と言う代わりにディックは口笛を吹く。あの熱烈な鋼鉄の男を、ブルースは散々袖にして来たのだ。見ていて恥ずかしいほど接触しているのに、ブルースはいつも暖簾に何とやらの状態で、ディックが少々同情を覚えてしまった位だった。
「スーパーマンに頼まれでもしたの?」
「いいや、違う。それがな」
ブルースは少し唸ってから、眉を寄せながら答えた。
「どうも彼が来ると心拍数が上がるんだ。気のせいかと思っていたが、今日も妙にどきどきした。それで、クラークから新手の放射能かクリプトニアン特有の何かが出てはしまいかと……」
「……で、調べても何も出てこないんだね?」
「ああ。だがきっと何かある筈なんだ!私に心臓の疾患は無いし、よりによってクラークがいる時にだけそうなるのだから!」
熱く拳を振り回すブルースに、しばしディックは黙っていたが――そっと肩に手を置き、頷いて見せた。
「でもブルース。確かに要因は彼かもしれないけど、あなたに何かあるって事は無いの?」
「わ、私に?」
戸惑うようにブルースは手を胸へと持っていく。その仕草と微かに赤らんだ頬に、「クラークが妙な病原菌でも持ってるんだよ!2度と会っちゃ駄目だ!!」と答えたくなるのをディックは堪える。我ながら大人だ、と心中でひとりごちながら。
「そう。だから今まで、そうだな、会ってからの事をゆっくり思い出して、原因があるかどうか確認するのが良いよ」
「…分かった、やってみよう。ありがとうロビン」
伸びて来たブルースの腕に、一瞬だけ躊躇ったが、ディックは素直に身を預けた。この腕からどれだけ多くのものを自分は受け取ってきた事か。
――ちょっとぐらいなら、分けてやっても良いか。
彼の幸せの為ならば、多少の我慢も出来るというものだ。幸福な男――未満――を脳裏に思い浮かべ、感謝してよね、とディックは呟く。
「何か言ったか?」
「ううん。何にも」
そうか、と微笑むブルースに、ディックもあえて幸せそうな笑みを見せた。
そしてその夜、ブルースはケイブから出て来なかった。