唇を僅かに開いたまま、ブルースは――ぽかんとクラークを見つめた。
「僕の希望も大いに混じっているだろうけど、でもそれは僕に限っての反応だろう?」
「…確かにそうだが、クラーク」
「何?」
「恋ってものは男女の間で生まれるものだぞ」
「そうとも言い切れないな。だって」
 そこでクラークは深く息を吸う。
「僕が君に恋しているから」
「……きみが」
 ブルースが人差し指をクラークに向け、次いで自分に向けた。
「わたしに」
「そうさ」
 嫌悪も拒否も受諾の表情も浮かばないブルースの顔に、クラークは少し苛立った。そう思うと同時に、今まで言いたくても言えなかった言葉が、次から次へと口をついて出て行く。
「ああ、そうさ!僕は君に恋している。何度も好きだって言ったのは、あれは親友としての好きじゃない。君に恋しているって意味を込めて言っていたんだ。嫌なら嫌だと言って欲しかったよ。なのに君はずっと、僕の気持ちも認めてくれなかった!」
「く、クラーク待ってくれ!」
「断る!今日こそは絶対に君の本音を聞かせて貰うぞ!」
 ずい、と一歩進み出ると、ブルースは逃げるように退いた。今度は彼の背中にガラスが当たる番だ。
「クラーク、クラーク、君は私の、この心拍数の増大を、恋だと言ったな?」
「ああ、言ったよ」
「だが恋は……その相手は、一目出会ったその時に稲光さながら閃くものだと!」
「詩的な言い回しだね。誰の作品から?」
「父がそう教えてくれたんだよ」
 接近を続けていたクラークは、ブルースの言葉に足を止めた。
「…君は、お父上からどんな風に教わったんだ?」
「それはだな」



『おやブルース、恋愛映画なんて見ているのかい?』
『うん、パパ!…ねえ、でも、本当にこんな事あるの?』
『初めて出会った男女が恋に落ちる筈は無いと?はっはっは、うちの坊やは現実的だな!なあマーサ?』
『そうねトーマス』
『ううんパパ、そうじゃなくて、ゴリラみたいな木星人が本当に……』
『良いかブルース、恋と言うものは、相手と出会ったその時に、稲光さながら閃くものなんだよ』
『まあトーマスったら詩人ね』
『……そうなの?』
『そうさ!だからすぐにこの人だと分かる。お前もそんな人に出会えると良いな。そう、私とマーサのように!』
『あら嫌ねトーマスったら!』
『はっはっは、痛いじゃないかマーサ!』



「…父はロマンチックな人だった……」
「…それをまともに受け取っている君は、彼に輪を掛けてロマンチストだよ……」
 気力を奮い立たせて、クラークは抗弁しようとするブルースの頬を撫ぜた。たちまち唇が閉じられる。良い兆候だ。
「じゃあブルース、僕と会った時には全然“稲光”を感じなかった訳だね」
 少しショックではある。が、ブルースは平然と首を振った。横に。
「いや、それは少し違うな。君と初めて会った時は、まさに稲妻に打たれた気がしたよ」
「……じゃあ何でそこまで来て否定するんだ君は!!僕はそんなに期待外れなのか?!」
 いっそ襟首を掴んで振り回してしまいたい。そんな事を出来る筈も無いが。
「何を馬鹿な事を言っているんだクラーク!当然じゃないか!」
「…僕らが男同士だから?」
「いいや違う。君のように魅力的な人を見たら、誰だって稲光くらい感じるのが当然じゃないか!だから私は、これは恐らく当たり前の反応で、特別な恋心の芽生えではな……」
 クラークはもう我慢ならなかった。男同士だから、と言われればもう少しは押さえられただろうが、この衝動を抑えられるほど我慢強い人間ではないのだ――ブルースと違って。
 ブルースの襟首を掴む。振り回す代わりに引き寄せて、クラークは思い切り彼の唇にキスしてやった。
 目をしっかり開けたまま、ブルースの表情を確かめる。予想通り固まってしまったらしく、口の中も外も抵抗を示さない。少し躊躇ったが、クラークはブルースの舌を絡め取って、強く吸い上げた。それでようやく我に返ったのか、何度もブルースは目を瞬かせる。
 数歩キスしたまま進んで、ブルースの後頭部をガラスに押し付けた。何度も唇を舐め、歯の裏をなぞり、舌を絡ませる。奪うように強く、しかし抗われればすぐ離れられるよう注意しながら。
 背中にブルースの手が回った時、嫌がられるかと覚悟したが、手は赤いケープを強く握るだけだった。同時に、見開かれていた目が次第に伏せられていく。
 魅入られたようにクラークはその動きから目を離せなかったが、完全に瞼が降りると自分も目を閉じた。
 ブルースの唇が僅かに反応を示す。プレイボーイには似合わぬ控え目な、だがクラークにとっては十分な応え。
 緩やかに唇を離し瞳を開けると、目の周りを薄っらと紅に染めたブルースが立っていた。
――こんな照れ方をしたブルース、初めて見る。
 もっと早くに見られたかもしれない、と思うと後悔ばかりが持ち上がる。今は考えない事にした。
「…その、クラーク……」
「何だい?」
 口元に指先を当てながら、ブルースは言った。
「こういうキスは、私ではなく…ロイスのような人にすべきだよ……」
「嫌だ」
 手袋に包まれた手をクラークは取った。頬に唇を寄せ、軽く触れる。ちゅ、と小さく音が鳴った。
「僕は君とキスしたいんだ。キスだけじゃない、抱き締めたら同じ思いで抱き返して欲しい」
 今度は僅かに浮かんで、マスクに包まれた額に。
「2人で出来る事なら何だってしたい」
 今度は僅かに屈んで、顎先に。
「君はしたい?」
 震えている唇のすぐ横に。
「……自分でも良く分からないが、君となら、したい」
「良かった」
 目元を綻ばせて、クラークはブルースの唇に小さく口付けた。今までで最も大きくブルースの鼓動が跳ねる。
「好きだよ、ブルース」
「…私もだ、その」
「“多分”とか“憶測だが”とかは付け足さないでくれ」
「違うとも!」
 小さく笑ってブルースは首を振った。
「“親友としてではなく”と言いたかったんだ」
「……」
 謝る代わりにクラークはブルースを抱き締め、マスク越しに――数十秒後には素顔に、キスの雨を降らせた。



 しかしある作用には当然、反作用が生まれるものである。ヴィランとヒーローの例を引き合いに出す必要さえ無い真理だ。
「止めてくれ!」
「うわっ!」
 暖かな光を取り戻したバットケイブでは、近頃見なかった光景が繰り広げられていた。
「ど、どうしてだい?この前までは笑って済ませてくれてたじゃないか!」
「君には悪いが、今は駄目なんだ!」
 背後からの抱擁を振り払われたクラークは、しょんぼりと肩を落とす。その後ろで小さな笑い声が上がった。
「お茶が入ったよ!」
「ご歓談のお邪魔でなければ宜しいのですが」
 ディックとアルフレッドが、ティーセットを載せたカートを運んで来る。ほっとしたようにブルースが息を吐いた。それもクラークには面白くない。が、にこにことお茶を淹れてくれる2人の前で、そんな不機嫌を露呈させる訳にはいかなかった。
「ありがとう2人とも」
「今度の調査は軌道に乗りそうですかな」
「ああ、今度こそルーサーの輸入経路を掴んでやれそうだよ!」
 機嫌良くカップを手に取り、ブルースが答える。アルフレッドの皮肉も珍しく通じなかったようだ。
「それはそれは。楽しみに待ちましょう」
「何か分かったらすぐ連絡してよ、ブルース」
「勿論だとも」
 ひとしきり話に興じた後で、アルフレッドとディックはティーセットを残して去った。前者には家事が、後者には学業が待っている。2人の気配がエレベーターの中に消えたのを待ってから、クラークはブルースに先程の続きを述べた。
「酷いよ。どうして駄目なんだい?僕が何かした?」
「そんな訳はないさ。ただ」
「ただ?」
 ようやくクラークは気付いた。ブルースの耳から頬に、鮮やかな赤がさっと捌けられている。
「誰かに見られたらいけないぞ。恥ずかしいだろう」
「…今更って気もするけどね、僕は」
 それでも微笑んで、クラークは無人になったケイブの中で、今度こそブルースに抱き付いた。



 が、しかし。
「…ブルースが嫌がってたから、破れたかと思ったのに」
「ディック様、覗き見はいけませんぞ」
「じゃあ何で動かさないの?」
「貴方様の邪魔をしてはいけないと存じまして」
「……あ、ちゅーした!」
「ディック様、未成年がそのようなものを見てはなりませんぞ!」
 まだ動いていないエレベーターの隙間から、ディックとアルフレッドは2人の様子をしっかりと見つめていた。

書いていく内に「結構長くなりそうだから、2つに分けないと!」とは思っていたのですが。
どういう訳か前後編になりました。
でも溜め込んでいたストーリーを殆ど吐き出せてすっきりです!
今なら街中で「ビバ・シルバーエイジ!」と叫んでしまえそうな爽やかさ!
ただ受け入れて頂けたのかちょっと不安。
それはさておき、ここまで読んで下さってありがとうございました!

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