視界が夕映え独特の、あのくすんだオレンジ一色に染め上げられる。
周囲の風景が一斉に溶けていく。身を庇おうと手足に力を込めても、髪の毛一筋ほども動きはしなかった。否。ここに己が体はあるのかと、疑念を抱くような感覚のみがあった。
溶けていくのだ。全てが、ただ一色の中に。
「……!」
朧になった意識の中で、ブルースは誰かの叫びを聞いた――ような気がした。
アナザースカイ
「いい加減にしてくれ!」
晴天の霹靂がウオッチタワーを直撃した。
司令室にいた全員が振り返る。彼らの視線を浴びたドアは、2人のヒーローを中へと導き入れたばかりだった。
「どうしてそう、好き勝手な行動ばかり取るんだ?君の街でする事なら構わないさ。だが僕たちがリーグを結成したのは、互いに協力する必要があるからだろう?!」
「好き勝手?」
こつん、とブーツの踵の音が響く。
それが合図のように、ブルースは唇を歪めた。
「言葉を返すようだが、スーパーマン。君こそいつ作戦に従った?いつ君の言葉に皆が従うと決めた?協力の必要性を声高に言うなら、まず君が周囲に耳を傾けるべきだな」
「あー、バットマン!」
陽気な声が、クラークが発しかけた言葉を塞いだ。
「さっきそこのコーヒーメーカーを壊しちまったんだよ!ランタンの奴にも頼んだんだけど、こいつ“自分の責任は自分で取れ”って言うだけでさ、手伝ってくれねぇんだ。ワンダーウーマンは使った事がないから、仕組みも分からないだろ?ジョンは隕石調査を頼まれてっからいないし、ホークガールなんて“叩けば直るわよ”ってあの棍棒振り上げたんだぜ?!」
名前の通り閃光さながらの速度で、フラッシュはブルースの横に立った。身振り声真似を織り交ぜながら、彼は表情豊かに喋り続けていく。
「オレも弁償したいけど金欠なんだよ、月末で!取り込み中に悪いけどさ、ちょっとだけ修理を手伝ってくれるか?頼む!オレの懐が一大事なんだ!それに機械って言ったらアンタだし、な!」
手を合わせるフラッシュの姿に、ワンダーウーマン達は思わず肩の力を抜いた。お調子者だ何だと叱られる事の多い彼だが、気遣いにおいては群を抜いている。
いつもなら、フラッシュの言葉で多少なりとも冷静に戻り、どちらかが席を離れる筈だが――今日は様相が異なっていた。
「分かった。後で直そう」
目をクラークから離さぬまま、ブルースはそう言った。その返答に頷きながら、再びクラークが口を開く。
「確かに、今まで僕も独断専行をして来た。それは認めよう」
「結構だな」
「だが僕のして来た事は、君の行動とは性質が違う」
「…何が言いたい?」
口調が静かになった分だけ、周囲の空気は剣呑さを増していった。フラッシュが肩を落としながら数歩下がる。その背にそっとホークガールが触れた。
「僕は、僕でなければ出来ないと考えて突っ走っている。だが君は違う。誰かと協力すれば良い事まで抱え込んで、1人で飛び込んでいく。それがどれだけ危険か、分かっているのか?」
一息を置いてから絞り出された声は、悲痛と呼べる響きを帯びていた。
「…それに、君の無茶はいつだって、死と隣り合わせじゃないか」
「要するに」
ブルースがケプラーに包まれた指を持ち上げた。クラークへ、刺すように。
「私は、特殊な力を持たない、弱い存在だ。簡単に死ぬ。だから周囲の背中に隠れて、無理をするな――そう言いたいのか、“スーパーマン”」
最後の言葉は疑問ではない。確認である。
「それ位にして頂戴、2人とも」
凛とした声音が空気を破る。
「ダイアナ」
「ジョンから連絡よ。隕石の落下現場を調査中、妙な機械が見つかったらしいわ。2人とも南アメリカへ急いで」
「僕たちが?何故?」
出鼻を挫かれて眉を顰めるクラークに、ワンダーウーマンは呆れた表情を広げながら答えた。
「地球以外の文明に詳しいのは、ジョン以外には貴方よねスーパーマン。それにフラッシュじゃないけれど、機械と言ったらバットマンだもの」
「……分かった、南米だな」
「……すぐ行くよ」
「気を付けて」
揃って踵を返し、出て行く2人の背中を見送ってから――4人はどっと息を吐いた。
「あんなに険悪な喧嘩、久し振りじゃない?」
「まあ、帰って来たら元の鞘に収まっているだろう」
「分からねぇぞ?」
ホークガールと、希望的観測を口にするグリーンランタンに、フラッシュは引き攣り気味の笑みを見せた。
「スーパーマンにバットマンが“君”って言う時は、死ぬほど怒っている時なんだぜ」
隕石の落下地点は、既に日暮れ色に包まれ始めていた。
到着したのは、熱帯雨林に近い小さな村だ。ほぼ森林に呑み込まれている場所には、大破した工場のようなものが見受けられる。恐らくそこに隕石が落下したのだろう。屋根の大穴と、倒れた木々が、受けた被害を生々しく伝えていた。
眉を顰めたブルースは、ジョンの示す平地に機体を着陸させた。湿気の入り混じった熱気が、降りるなり全身に纏わり付く。
「酷いな。直撃か」
「ああ。死傷者はないのが幸いだった」
安堵しているのか何なのか、付き合いの浅い者には分かり辛い表情でジョンは頷く。その背中に従い、ブルースは工場跡へと歩いていった。
「病原体の反応は見られない。安全だ」
「それで、その機械はどこに?」
「君の目の前だ」
「…何?」
「隕石そのものが、一種の機械なのだ」
翠緑の顔がブルースを振り返った。
「スーパーマンが先に調べている。一緒に来なかったのだな」
「……あいつは飛べるからな」
「少し驚いた」
微かな熱風が、紺碧のケープの襟を撫でている。驚きとは縁の無さそうな顔だが、ジョンは細やかな心の持ち主だ。それは勿論テレパス能力故ではない。その事はブルースばかりでなく、仲間全員が良く知っている。
「共にいられる時は、なるべく側にいた方が良い。失ってからでは遅すぎる。私は何度も悔いた」
「ジョン」
「ここだ」
崩れた屋根と壁の間を2人は潜り抜ける。屋根の大穴から降る夕陽を受け、内部はくすんだオレンジに染まっていた。その中央には隕石――ジョン曰く機械――と、クラークがいる。
「何か分かったか、スーパーマン」
「君の言う通り、機械だという事くらいだな。内部を開けばもっと分かるかもしれないが」
クラークが動き、隠れていた部分が露わになる。ようやくブルースにも機械の意味が呑み込めた。明らかに人工的な、操作パネルのような板が付着しているのだ。
隕石の表面は岩のように見えたが、良く眺めると奇妙に起伏がなく、滑らかだ。高さは恐らく150センチに足りないようだった。横幅と縦幅は恐らくどちらも3メートル前後。角の部分は丸く、加工された材質である事を物語っていた。
――街角に置けば巨大なオブジェになるだろう。
「文字や模様などは書かれていないのか?」
「このパネル部分には無かったな」
「もう1度全体を調べてみよう」
ジョンとクラークが隕石の周囲を歩き始めた。ブルースは手袋を外し、素手でそっとパネルの土台に触れる。
地球で使う機械と殆ど変わりない手触りだ。螺子か何かが見つからないかと思ったが、一切見られない。文字の書かれていないキーボードに似たボタンと、黒い画面のような何か。それだけだ。
内部への継ぎ目がないかとブルースは屈み込む。岩のような見た目とは裏腹な、ガラスじみた手触りが益々もって奇妙だった。
その時、黒い画面にライトが点った事に――ブルースは気付かなかった。
隕石の下部はやや床に減り込んでいた。注意深く土と埃を払っていくと、次第にそこへは見覚えのある文字が現れる。
「これは……」
ブルースは立ち上がりざま、クラークに叫んだ。視界の横で点滅するライトに気付かないまま。
「スーパーマン、来てくれ!この機械は恐らく――」
クラークの反応より早く、そしてブルースが言い終わるより早く、奇妙な音声が響く。
パネルから飛び出したオレンジ色の光が、ジョンとクラークを弾き、隕石と――パネルの前にいたブルースを包んだ。
「!」
「バットマン!」
輝きを増した夕暮れ時の光は、クラークの伸ばした手を跳ね返す。
再び奇妙な音声が響き、隕石とブルースの輪郭が揺らぐ。次の瞬間、クラークの目でさえも直視出来ないほどの光が満ち――消えた。
「ブルース……!」
再び目を開けたクラークの視界からは、隕石も、ブルースの姿も消えていた。