最先端の技術を結晶させたコンピュータは、どれほどデータを打ち込んでも、先程から決まった答えばかりを繰り返している。
 『バットマンの存在が消失した』と、誰にでも分かるような答えばかりを。
 11回目のデータ送信で返って来た答えに、クラークは拳を振り上げ――ホークガールに止められた。

「壊した所で」
 彼女は囁く。
「直す手間が増えるだけよ。…バットマンのね」
 付け足された言葉に頬を緩め、クラークは力を抜いた。ホークガールがそっと手を放す。
「コーヒーメーカーは直ったかい?」
「ええ、叩いたらすっかり」
 案外丈夫な物よ、と軽く肩を竦めたホークガールを見て、今度こそ微笑がクラークの頬に蘇った。が、それもすぐ打ち消される。
 現場をどれほど漁っても、ブルースと隕石の消失に関わるようなものは、何1つ出て来なかった。NASAに連絡を取って、隕石に関する情報を求めても、芳しい答えは返って来ない。またオラクルさえ、軌道などの情報を手に入れられなかった。彼女は今も、ブルースの信号が感知されないか、探し回っている。
 今やメンバー全員が、なす術なくタワーに集結している状態だった。形ある脅威へは幾らでも抵抗出来る。が、形ない脅威となれば――
「…くそ」
 クラークは奥歯を噛み締めた。

――弾丸より速い男なら、彼を助けられた筈だ。
――あの光より早く、彼の元へ駆け付けられた筈だ。
――せめて一緒にいられた筈だ。
――せめて、せめて……

「スーパーマン」
「何か分かったのか?!」
 ワンダーウーマンの声にクラークは振り返った。彼女の艶やかな黒髪が、頷く仕草で微かに揺れる。
「ええ。と言っても」
「ひとつ思い出した事がある」
 ジョンが後を引き取って答えた。思わずクラークはその肩を掴む。
「何だ?言ってくれ、ジョン」
「バットマンが消える直前だ」
 冷静なその声に、メンバーが集まって来る。静けさの中でジョンは淡々と言葉を紡いだ。
「光に気を取られたが、声が聞こえて来なかったか」
「…声?」
「そうだ。地球の言葉でも、火星の言葉でも無い、何かの声が2度ほど聞こえたのだ」
「思い出せる、スーパーマン?」
 眉を顰めながら、クラークは必死に記憶を辿った。ブルースが消えたという衝撃で、なかなか頭はその前後を思い出してくれない。が、微かに、彼の記憶に引っ掛かる何かがあった。そこへ、ジョンの言葉が背中を押す。
「君ならば地球外の言語に詳しいだろう、クリプトン語といい――」
「それだ!」
 そう叫びながら、クラークは驚くジョンの肩を構わず揺すった。
「それだジョン、それだよ!ようやく思い出した」
「な、何か、分かったか」
「クリプトン語だ」
「へっ?」
 疑問の声を上げたフラッシュに顔を向け、クラークは声を張り上げた。
「その機械からはクリプトン語が、ブ…バットマンが消える前に流れたんだよ!多分、送るだとか、向かうだとか、そんな意味の言葉が!」
「お、おいおい待ってくれよ!」
 新情報に興奮するクラークへ、フラッシュが慌てたように手を差し出す。一句一句、彼にしてはゆっくりと、彼は言った。
「あんたはその機械から、クリプトン語を聞いたんだな?送るとか言う意味の言葉を?」
「ああ、間違いないよ」
「じゃあバットマンは、その機械と一緒に……」
 さっとクラークの顔色が変わった。

「クリプトンに送られたってんじゃあないよな?」

「もしそうならば」
 グリーンランタンが拳を握りながら言う。
「クリプトンは滅んでいるんだぞ。…バットマンは、機械と宇宙空間に投げ出された事になる」
 寒気が背中から首筋を駆け抜けた。支えきれないほどの重さで、恐怖が肩に圧し掛かる。
「――ワンダーウーマン」
「何?」
 クラークは自分でも驚くほど低い声で、言った。
「…ここの機械では、クリプトンの…あった所の、座標や様子まで調べられない。悪いが、僕は要塞に戻る」
「分かったわ。調査が終わり次第、すぐに連絡して。…それと」
 しなやかな、しかし何人もの敵を倒して来た手が、クラークの腕に触れる。
「メトロポリスで何かあったら、こちらで対処するわ」
「……ありがとう、ダイアナ」
 頼もしい微笑に頷くと、クラークは真紅のケープを翻した。



『君も我々の理念を承知していると思っていたが?』
 冷厳な響きに、ブルースは目を覚ました。
「お言葉ですが議長。私の失敗は純粋なる研究の失敗であり、そこに私個人の思想は一切含まれておりません」
 続いて聞こえたのは、少しくぐもったバリトンだった。鷹揚な口振りが眠気を誘い、ブルースはもう1度瞳を閉じかけたが、努力して目を開き続けた。
――私は、どこにいるんだ?
 装備もマスクもそのままのようだ。冷たい床の上に寝かされているらしい。手足の感覚は丁寧な拘束を伝えて来る。周囲は微かに白い光が揺れるだけで、先程の工場よりまだ暗い。
 頭を動かさないまま、ブルースはそっと上へと視線を移す。途端に息が止まりそうになった。
 巨大な老人の顔が3つ、宙に浮かんでいる。
 いや浮かんでいるのではない。映画さながら、黒い壁に映し出されているのだ。だがその青白い顔色や、憂いとも怒りともつかぬ表情は、幽鬼さながらだった。
『つまり、これは単なる研究の失敗だと言うのだな』
 中央の顔が重たげに口を動かす。
「その通りです」
 返答は思ったより近くから聞こえて来た。磨き抜かれた黒い靴と、ガラスの杖らしきものの先端が、ブルースのすぐ横を通る。
『良かろう。ならば後始末も君に取って貰わねばなるまい』
「覚悟の上です。彼は私が預かりましょう」
『3日後の議会でこの蛮人の行く末を決定する。待遇その他の責任を一切委ねるが、しかし、不必要な刺激は避けるように。また外出もだ』
「承知しました」
『ではくれぐれも油断なきよう』
 3つの顔は揃って頷き、徐々に消えていった。
 ブルースの目前にある杖の先端が、蛍光灯さながらに輝く。途端に辺り一面には白い光が満ち溢れた。電気屋の店内よりもずっと明るい。
「さて、起きたかね?」
 頭上から降って来た声に、ブルースは顔を擡げた。
 黒靴の主は、白いケープとゆったりとした服を纏っていた。豊かな頭髪まで雪を思わせる純白である。それだけ見ると老人じみているが、血色の良い頬や声の響きから、まだ初老にさしかかったばかりと思われた。
 それより何より、ブルースの視線を奪ったのは、男の胸に黒で描かれたマークだった。
――クラークのシンボルにそっくりだ。

「私の言葉が理解出来るか?」
 男が言う。ブルースははっとしたが、静かに頷く。
「…ああ。分かる」
「ふむ、――星人用の翻訳機が使えるという事は、彼らとは言語的に遠くないようだな」
「失敬、何星人と?それに翻訳機?」
「――星人だ。翻訳機は君の手首に取り付けられている」
 聞き取りも発音も出来なさそうな単語を述べた後、男は杖の先端を持ち上げた。ブルースは思わず退いたが、首を振って男は告げる。
「拘束を解こう。君が、私に危害を加えないと誓うならば」
「…先程は蛮人と言われたが、貴方に殴りかかるような真似はしない。誓おう」
「結構」
 杖がブルースの胸に触れ、先程と同じ白い光が満ちていく。ほぼ同じくして、ブルースは手足の自由を感じた。立ち上がり軽く体を動かし、眺めると、ベルトやその他の装備に変わりは無かった。ただ、手首に銀色の細い輪が嵌められている。
「君の仮面を取ろうとして2人が負傷、ベルトを外そうとした1人も火傷を負った。副議長が蛮人と言ったのはそれが原因だ」
「気の毒な話だな」
「全くだ」
 男の口振りと表情は、どこまでが冗談で本気なのか読み取れない。
――ジョンに初めて会った頃のようだ。
 自分以上に無表情で鳴らした火星人の姿を、ブルースはちらりと思い浮かべる。彼は今頃どうしているだろうか。
「1つ尋ねたいが」
「何だね」
「ここはどこだ?貴方は?そして私は何故ここにいる?」
「尤もな質問だな。――来たまえ、歩きながら話そう」
 男がドーム型の天井へと杖を振り上げる。継ぎ目のない白い壁の一部分が、その時、音もなく外へと開いた。躊躇い無く足を向ける男に、数歩遅れてブルースは続く。
「君は私の実験室に突如として現れた。あの実験装置と共にな」
「あれを作ったのは貴方なのか」
「理論はな。私の理論を用いて、他の科学者が――いや、止めよう。話が長くなる」
 継ぎ目のない白い壁が、床が、天井が、角を曲がっても延々と続いている。目に痛いほどの明るさにも関わらず、どこか暗い。
――アーカム・アサイラム。
 病院占拠事件から間も無く、改装されたヴィラン達の根城。そこの受付室は、丁度この廊下のような空気に満ちていた。人気が感じられないのも、薄暗さに拍車を掛けているのだろう。
「君はどうやってここへ来たのか、教えて貰えるか」
 ブルースが発した質問に全て答えぬまま、男は問いを向けて来る。しかし目下はこの男に従う他はない。諦めてブルースは隕石発見と調査の経緯を話した。
「成る程、あの装置は他の……これで良く分かった。君は実験失敗の巻き添えだ」
「…随分と簡単に言ってくれるが、戻る方法はあるのか?」
「あるならば既に送り返している頃だ。君の惑星の座標が分かるならば、戻れない事はなかろう」
 ほっとブルースは息を吐き掛け、再び表情を引き締めた。
「私の質問を全て答えて頂こう。ここは、どこだ?」
 角を曲がると行き止まりだった。しかし男が杖をそこに当てると、再び壁はドアを作り出す。
 それが開かれるや否や、風が2人分のケープを乱していった。外だ。

「この星の名はクリプトン」

 陽光がマスクに覆われた目を襲う。足元から吹き上げて来た風が、雲ひとつ無い空へと舞い上がっていく。

「ここはその首都になっている。私はジョー=エル、クリプトン科学議会の一員だ」

 見上げた先に浮かぶのは、赤い太陽だった。

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