12月25日/そして… 2

流石に青いタイツまでは破けていなかったが、赤いケープはほとんど痕跡を留めていない。バットマンは派手にへこんだ機体から、スーパーマンを引き摺り下ろした。
「おい、スーパーマン。大丈夫か」

外傷は見当たらない。単なる気絶なのだろう。自分だったら体が四散して原型も留めなかったろうに、と思うと、嫉妬と感嘆が頭の中でラインダンスをしているようだ。
「おい!」
手で頬を叩くと、ようやく瞼が開いた。青い瞳にマスクが映し出される。

「…天国に蝙蝠がいるなんて、教わらなかったな…」
「生憎だがここは天国じゃないぞ、スーパーマン。ゴッサム港だ」
起き上がったスーパーマンは周囲を見回していく。ようやく正気になったようで、照れ臭そうな笑顔になった。
「君が助けてくれたのかい?」
「まあな」
「ありがとう。…ああごめん、機体を滅茶苦茶にしてしまった」
「構わん。どうせ新しいものを作る予定だった」

それでも痛ましげに痕跡を撫でた後、スーパーマンはおずおずと顔をバットマンに向ける。
「弁償はローンでもいいかな?」
「気にするな。数十年掛けて払わせようなど思っていない」
「そんなに僕のサラリーは安くないよ」
「どうだか」
スーパーマンはすぐ押し黙った。この勝負では月とスッポン以上の差が付いているのだ。彼は肩を竦めてから、メトロポリスの方を見やった。
「イベントを台無しにしてしまったけど、上手くいくと思うかい?“両都市の平和と繁栄”」
「未然に防いだからな。楽観は出来ないが悪化もしないだろう」
「そう願うよ」
「それより、スーパーマン」
「ん?」

バットマンは、再び機体へと乗り込んだ。
「メトロポリス側の“主催者”に会いに行くべきではないのか?」
スーパーマンはしばし沈黙し、それから唇の端を擡げた。
「良いね。行こう」



2人のヒーローが2つの都市を救ったと、テレビはどこのチャンネルを回してもそう告げていた。ツリーの爆破映像や、ジャックされた船の映像が繰り返し流れる。

「…ああ、そうだ。だが諦める必要はないさ、そうだろう?」
『しかし、対立感情は悪化するどころかこれで減少するぞ』
「少なからず動揺は起こった。幸いの後の不幸は、今まで以上のダメージを与えるさ」
『だが俺達は半年足らずで港湾の権限を手に入れると聞いて、あんたと組んだんだぞ?』
「もう半ば手に入っているじゃないか。あとはあんたが海運組合と手を切ればいいだけさ、ファル―――」
『…おい、ルーサー?どうした?』
「何でもない、1度切る」

窓の外に浮かぶのはスーパーマン、狭い足場に立っているのはバットマンだ。ルーサーは受話器を下ろし、2人に向き直った。
「ヒーロー達が真夜中に押し込みか?」
「強盗はどちらだ?」
「今日こそきっちり刑務所に入ってもらうぞ、ルーサー!」
ルーサーは窓を開けた。スーパーマンとバットマンはそれぞれ音もなく室内に入る。
「私が何をしたと?」
「トゥーフェイスやアイビーと組んだろう」
「シージャックしたそうだな」
「とぼけるな!」
激昂するスーパーマンをあしらい、ルーサーはバットマンに視線を向けた。
「この脳まで鋼鉄の男はともかく、君はどうしてここに?“探偵”ならば論理的に行動して欲しいものだ」
「鉛とクリプトナイト。スーパーマンの弱点を知る者は多いが、活用出来る者は少ない。そして爆弾だが、あれ程の量を調達出来る者もまた少ない」

それに、とバットマンは続けた。
「電話の相手はファルコーニだったな」
「想像にお任せするよ」
「もし私の推理通りなら、ファルコーニからゴッサムの海運業者が手切れしたがっているという噂は、嘘だ。恐らくゴッサム海運組合を孤立させる為の手段だろう。ファルコーニに付く連中は多いからな。それからゴッサムのヴィランにシージャックを行わせ、ツリーを爆破。彼らに全てを被せて自分は逃げる。事件を見て駆け付けるだろうスーパーマンも、一緒に死んでくれれば恩の字だ。そして」
バットマンはぎろりとルーサーを睨み付けた。

「両都市の対立感情を悪化させ、暴動か何かを画策する。そろそろ警察が介入する頃だ。逮捕や調査で両都市の海運組合は共倒れになるだろう。その後、お前とファルコーニがそれぞれ港湾の権利を手に入れる。勿論、合法的に」
「無口かと思っていたが、長話も得意らしいなバットマン?」
「お前は意外に口数が少ない」
「真実だけを述べたいからだ。その推理の問題点を教えようか」
ルーサーが笑む。

「証拠がない」
「あるね、これだ」
スーパーマンがバットマンの手からテープを受け取った。
「立ち聞きは嫌いなんだけど」
「先程の会話を記録させてもらった」
流石にルーサーも表情が変わる。
「盗聴は合法的な証拠にならんぞ!」
「まだある。証人がな」
バットマンが薄く微笑んだ。

「23日、NYで心中をしようとした男が吐いた。メトロポリス海運を辞職させられて恨みに思ったので、受け持っていた企画内容をレックスコープに売却したと。…企画内容は、今日のイベントに使う船や星の置き場について言及され」
「もういい、警備!こいつらを摘み出せ!」
ルーサーは電話のボタンを押して叫んだ。

怒りの余り肩で息をしながら振り返った時、2人のヒーローは既に消えていた。



「NYの件が、どうして君の耳に?」
「男の様子が気にかかってな。色々と伝手で頼んでおいたら連絡が入ったのさ」
「…ああ、さっきの無線?」
バットマンが頷いた。
2人の下には、メトロポリスの鮮やかな夜景が広がっている。
湾を挟んだ向こう側には、ゴッサムの静かな灯りが見えた。

「しかし、“頼んで”ね」
「何だ?」
「いや、良いよ。頼み方も人それぞれだろうから」
それより、とスーパーマンは溜め息を吐いた。
「どうしますかウェインさん?僕達がいなかったって事、ロイス達が知ったらどんな反応すると思います?」
「……考えたくないな、ケント君」
「2人で逃げようとして海に落ちた、って事にでもしておきましょうか。海から上がりながら」
「また濡れるのはごめんだね」
「じゃあ倉庫に隠れてたって事で」
「名案だ。急ごう」

メトロポリス湾にほど近い辺りで、バットマンはプレーンから下りた。自動操縦になった蝙蝠の翼は、すぐさまゴッサムへと飛んで行く。
置いてあったタキシードを中から取り出すと、2人はそれを身に着け始めた。多少濡れているが仕方あるまい。ブルースが落ちかけた所をクラークが助け、その後の騒ぎに気付いて倉庫に隠れた、という流れに訂正した。
クラークの眼鏡は、やむを得ずブルース式のやり方で調達した。近くにあった眼鏡店から1つそれらしいものを取り、やや大目の紙幣を置いていったのである。

「バットプレーンの中にへそくりを?」
「万が一の為にな」
「僕のベルトには小銭しか入っていないよ」
「小銭?使う必要がないだろう」
「たまにだけど、コーヒーが欲しくなる時とかない?」
「…あの格好でスターバックスにでも行くのか?」
「うん、まぁ、本当に稀だけど、ね」
「行くのか」
青いタイツ姿の大男を迎え、うろたえるカウンターが見えるようだ。ブルースは思わず笑った。
「君ならウィンク1つで無料だな、ケント君」
「クラークでいいよ」

港が近付いて来た。赤く光るのはパトカーのライトだろう。ツリーのイルミネーションが切れたせいで周囲は暗いが、人の数は減っていなかった。むしろ野次馬の参加で増えたようにも見える。
「なら私も、ブルースでいい」
「本当に?」
「2人だけの時に限るがな。それ以外では面倒だ」
「ああ、セレブと記者でいる方が人は疑わないだろうね」
ちらりとクラークはブルースを見やった。
「怪我は、平気かな」
「問題ない」
「…今日はありがとう」
改まった声に、ブルースも彼に顔を向ける。
「…それはこっちの台詞だ」
拗ねたようなブルースの口調に、クラークは微笑みを浮かべた。

人込みにそっと潜り込み、ロイスとセリーナに近付いていく。
彼女達との距離が縮まるごとに、2人の表情も変わっていった。
真面目で田舎者の記者と、遊蕩好きでプレイボーイの大富豪へ。

「クラーク!」
「ああロイス、ここにいたんだね?」
「ブルース!どこに行っていたの?」
「やあセリーナ、それは僕が聞きたいよ。何があったんだい?」
きょろきょろ辺りを見回しながら、ブルースが髪を撫で付ける。
「あなた、濡れてるじゃないの…一体何を?」
「それがさ」
気の抜けたソーダのような笑顔で、ブルースはクラークを指した。
「彼の為にトイレを探していたら、途中で変な所に出てしまったね。危うく海に落ちかけたのさ」
「大変だったんだよ。飛沫は浴びるし、何とか引き上げたら妙な騒ぎが起きているし。慌てて倉庫に飛び込んだんだ」
「怖かったなぁ、ケント君」
「ええ本当に」
ロイスとセリーナは、眉間に皺を寄せている。あわやばれたか、と2人は冷や汗を流しかけた。

「ブルース!」
「ああマッケンジーさん、メリークリスマス」
「聞いてくれたまえ、君も見ていただろう?バットマンだよ!」
初老の男は興奮した様子でブルースの肩を抱く。それに逆らわず、ブルースは彼と連れ立って歩いていった。後はクラークに任せよう。
「いやあ最高だった!あの勇姿!」
「すいませんが僕は見ていなくて…そんなに凄かったんですか?」
「何だ、どこに目を付けていたんだね?爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ!」
「はあ」
容赦ない叱咤に、ブルースは矢張り気の抜けた相槌を打った。

「あなた達以上にこっちは大変だったのよ、クラーク?」
「そ、そうだったの?」
「そうよ」
ロイスが赤い唇を歪めた。こういう笑顔を彼女がする時は決まっている。
「今回の特ダネは頂くからね」
「……はい」
気落ちした様子を取り繕い、クラークは大人しく頷いた。



人込みに遮られる寸前、ブルースとクラークは一瞬だけ視線を合わせた。
互いの情けない姿を見届けた2人は、ほぼ同時に―――小さく笑った。



クリスマスの空から雪が降り始める。
ステージの上で、主催者達が口々に叫び出した。
「メトロポリスとゴッサムシティに!」
「そして鋼鉄の男と闇夜の騎士に!」
その場にいる全員が、或いはグラスを、或いは拳を突き上げ、こう言った。



「メリークリスマス!」

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