続けざまに放たれた銃弾のひとつが、頬の肉を削り取っていく。被弾の衝撃に頭がぐらりと揺れたが、ブルースの手は、男が心臓に狙いを付けるよりも早かった。
 肘を掴み上げ、捻ると、男は簡単に銃を取り落とした。だがブルースは力を緩めず、男の抵抗を利用して床へと叩き付けた。伸びた胴体へ爪先を捻り込ませると、その体はぐったりと伸びた。
「カル!」
 ブルースは倒れ込んでいるカルへと走り寄った。白かった上着は半ば以上、赤黒い血で濡れている。対照的に目を瞑った顔は青い。ブルースの背筋に一瞬、微かな震えが走った。
「しっかりしろ!カル、私の声が聞こえるか?!」
「う……」
 抱き起こした拍子にカルが呻いた。被弾によるショック死は免れたようだ。下ろしたてのケープを破き、ブルースはカルの左肩にあてがう。だがやがて、それも血に染まり始めた。治療を急がねば命に関わるだろう。
「……バット、マン」
「カル!」
 薄っすらと瞼が開かれ、青い瞳が現れた。ブルースに視線を合わせてから、カルは微かに唇の端を擡げる。
「良かった。…無事な、ようだな」
「ああ。君のお蔭だ。カル、教えてくれ、病院にはどうやって連絡を?」
「…あの、通信機器の、黄色いボタンを」
 カルの示した機器にブルースは飛び付く。が、操作盤のボタンは何度押しても反応が無かった。おそらくは外部からの妨害だ。
「くそ……!」
「何、カ、お困リでショウカ」
 びび、という音と共に、奇妙なイントネーションの声が響いた。
「…ケレックス」
 銃弾によって分断され、床に投げ出されたドロイドが、頭部を左右に揺らしている。飛び出したコードの先からは、ばちばちと火花が上がっていた。
「カルが被弾した。病院への連絡が繋がらん。何か方法は」
「ソチラの戸棚、に、医療器具ガゴザイまス」
 軋んだ音を立ててケレックスは腕を上げる。ブルースは走った。壁に付けられた白い戸棚を開き、純白の箱を取り出す。
「これか?!」
「左様デゴザイマす。ソノ中の、白ノ薬剤ヲ傷口にオ貼リ下サい」
「分かった」
 探す間も惜しい。ブルースは箱を開けるとひっくり返し、薬をばらまいた。赤、黄色といった鮮やかな錠剤、粉薬が散らばる。純白の湿布のようなものがブルースの目を引いた。
――私が怪我をした時に使った、あれか。
 握り取ると共にカルに駆け寄る。再び目を閉じ、浅い呼吸を繰り返すカルの服を、ブルースは破った。疑念を覚えながらも、露わになった傷口へと薬剤を貼り付ける。たちまち泡立つような音がそこから聞こえ始めた。ブルースは背中側の傷にも同じように貼り付けた。
「……っ」
「カル、今手当てをした。大丈夫だ。君は助かる」
 気を強く持つんだ、と言いながら、ブルースは傷口に視線を注いでいた。白い薬剤はたちまち赤黒く染まり始めたが、やがてその勢いは薄れ、肌に血が流れる事も無くなっていく。それと共にカルの顔からも苦痛の色が消え、赤味が戻って来た。
「如何、デショウカ?」
 横たわったケレックスの目が、こちらを向いていた。ブルースは軽く顎を引いて見せた。
「どうやら何とかなりそうだ。…ありがとう」
「イイエ。光えいノキワミでゴザ」
 ぶつん、と何かが切れる音。そしてドロイドの声が途切れた。
「ケレックス?」
 呼び掛けても反応は返って来ない。再度呼び掛けようとして、ブルースは止めた。
「電子頭脳までには」
 ブルースは振り返った。ゆっくりと手を突いて、カルが上体を起こしている。その背中に手を貸すと、思いの他しっかりした動作でカルは起き上がった。出血は完全に止まっている。
「損傷は及んでいないだろう。ボディを入れ替えればすぐに直る」
 心配は無用だ、との言葉に、ブルースは安堵の息を吐いた。しかし表情を緩めたのはほんの刹那だった。再びカルに向き直った時は、眉間にくっきりと皺が寄っていた。
「何故わざわざ出て来た?黙って隠れていれば、撃たれる事も」
「僕は君より弱い」
 カルはブルースの言葉をそう遮った。
「だが、君の背中に匿われるのは嫌なんだ。君が危ない時に黙って見ていられない」
「……カル」
――同じだ。
 自分がクラークに対して思う事と、酷似した事をカルは言っている。
 それでも危険に晒させたくは無い。クラークも、今の自分のように思っているのだろうか。カルの強い凝視に目を合わせぬようにしながら、ブルースは寸時、思いを馳せた。
「う……」
 思考を止めさせたのは呻き声だった。カルのものではない。彼を撃った男が、身動ぎをしたのだ。
「…連中から情報を聞き出す。それを手掛かりに、今後について話し合おう」
「ああ」
 ブルースは立ち上がると、手早くベルトから紐を引っ張り出した。

 丈夫な足場さえあれば恐れる必要など無い。高い所には慣れている。
 しかしこの男はどうだろうか。ワイヤーを握った手に、ブルースは力を込め、軽く振った。身動ぎする感触が手へと伝わる。
「起きろ」
「うぅ」
 男が呻く。
 一拍置いてから、絶叫が周囲を揺るがした。
 それはそうだろう。地面からは考えたくもないほど離れている場所に、宙吊りにされているのだから。だがブルースは同情しなかった。負荷の掛かるワイヤーをしっかりと握りながら、ついでに左右へと揺らす。その度に吐き出される甲高い悲鳴。
――周囲に人家が無くて良かった。
 ワイヤーを軽く引き上げると、男がはっとしたように顔を動かす。ブルースは微かに唇を歪めて言った。
「おはよう」
「この野郎!」
 地獄に落ちろ、死ね、といった罵声を男は叩き付けたが、再びワイヤーを下ろすと黙り込んだ。
「さて、色々と話して頂こう。…何故ここへ?」
「俺が知るか!」
「そうか」
 手から力を抜くと、しゅるしゅるとワイヤーは重力に従って伸びていく。
 聞いているだけで喉の痛むような叫び声が、遥か下方からブルースの耳に届いた。

「では質問に答えろ」
 男はあっさりと口を割った。屋上の床に引き上げ、しかしすぐに落とせるよう男を端に座らせながら、ブルースは話に耳を傾ける。背後ではカルが、男達の乗って来た移動装置に入り、何やら動き回っていた。薬箱の錠剤は、彼を失血のダメージからすぐさま回復させたのだ。ブルースが目を見張ったのは言うまでもない。
「お前の素性は?ゾッド将軍の配下と言っていたが、本当にそうなのか?」
「腐れたクリプトニアンと一緒にして貰いたくねぇな」
 ヘルメットの奥で、男がにやりと笑う気配がした。口を割った早さに似合わぬふてぶてしさだ。
「では……地球人だと?」
「ああそうさ」
「それが、今はゾッド将軍の配下にいる訳か」
「ボスのお考えで協力して“やってる”んだよ」
 何故、どうやって助かった、と問い掛けそうになる。ブルースは唇を噛んだ。今はそれよりも重要な問題がある。
「カルを拉致しようとした理由は?」
「そいつの親父に協力させようとしたらしいが」
 作業中のカルに男は顎をしゃくった。
「そいつを助手にしねぇと、作業は無理だと来たもんだ。科学者連中が雁首揃えている中でだぜ?まぁ、ジョー=エルじゃねぇと難しい作業だってんで、俺が迎えに来てやったんだよ」
 それでこの様だ、と男は身動ぎした。ワイヤーで固く縛っている為に、大きな仕草は出来ないが、どうやら肩を竦めたらしい。
「お前達はジョー=エルに何をさせるつもりだ?」
「知りたいかい?じゃあこのワイヤーを解いて」
 ブルースはその肩を軽く蹴り付けた。男の上体が後ろへ倒れ込む。当然そちらは数百メートル下まで、空気以外は何もない空間だ。男は再び甲高い悲鳴を上げる。
「私は落としても構わないんだぞ?お前以外にあと7人も残っているからな」
「分かった!喋る、喋るよ!助けてくれ!」
「話すまではそのままだ」
 男の胸にブルースは靴の踵を乗せる。ごくごく弱い、羽のようなタッチではあったが、その拍子に大きく男の体が揺れた。
「地殻安定器だ!この星にぶち込まれてる地殻安定器を操作するんだよ!」
「何だって?!」
「カル」
 移動装置の外に出ていたカルが、大きな声で反応を示した。ブルースは踵を男から離し、引き起こした。安堵の息を吐く男に、カルが駆け寄って来る。
「貴様、それがどういう事か分かっているのか!」
「分からないでやる奴なんざいねぇよ!畜生、片道バンジージャンプなんて洒落にならねぇぜ……」
 ぶつぶつ呟く男へ、カルが掴みかかろうとする。伸ばされた腕をブルースは掴んだ。
「待ってくれカル。私には良く分からん。…地殻安定器とは何だ?」
「…クリプトンが地殻変動で滅びかけた、と聞いただろう」
「ああ」
 落ち着いたのか、カルが腕の力を抜く。ブルースもそこで手を離した。
「その際はエネルギーを…放出する事で難を逃れたが、しかしいつまた同じ災害が起こるか分からない。そこで議会は全力を尽くし、地殻の多くを人工物に取り替えたんだ。この星の殆どの大陸は、その人工性地殻で形成されている」
「ところがどっこい」
 男が後を引き取った。
「その地殻は案外脆くてな。熱いマントルが持ち上がって来たらすぐに壊れちまう。それを防止する為に、人工性地殻にはマグマやマントルの動きを調整する安定器が組み込まれているんだが――そいつが全部ぶち壊れたら、どうなると思うよ?」
「マグマ上昇と噴火、それによる地震。安定器が全て爆破されれば、人工性地殻の一部が破損する恐れもある。そうなればプレート移動に似た状況が起こり、火山性地震を上回る大地震が起こる可能性も高い……!」
「それが星中で起こるのさ。前の地殻変動よりどでかい騒ぎになるだろうよ。下手すりゃ星がパァだ」
 蒼白になったカルは拳を振るわせた。
「馬鹿な……クリプトンを消すつもりか?!」
「ああ、そうさ」
 一歩前に出たカルを、ブルースは再び押し留める。男が掠れた声で笑いを上げた。
「俺たちは故郷をぶち壊されたんだ!こんな白一色の星を生かす為によ!ジョー=エルの野郎は俺たちの星を奪った張本人じゃねぇか。そいつにこの腐れクリプトンをぶち壊させる――ボスは最高のアイディアを考えるぜ。そう思わねぇのか?」
「違う!父は地球を壊す事など考えてもいなかった!」
 だが男はなおも身を捩り、笑い続けている。ブルースはカルと男の間に押し入った。
「お前達が何をしようとしているのか、良く分かった。…ジョー=エルは今、どこにどうしている?」
「ああ?奴ならご子息が来るまで監禁状態だ。今頃は、どれだけでかい爆発を起こせば1番被害を与えられるか、計算しているだろうぜ」
「お前の仲間は全員、星の各地点で待機しているだろう。彼らまで巻き添えにする気か?」
「まさか。時間が来れば迎えに行く手筈は整っている。連中はただ、威嚇と」
「食料その他の買い込み中か」
「…そういうこった」
 ブルースは男の言葉に頷いた。
「だがクリプトンを爆発させるとしても、お前達はそれからどこへ行くつもりだ?」
「赤い太陽を巡る惑星は、何もクリプトン1つだけじゃねぇ」
「そうなのか?」
 カルに向かってブルースは尋ねた。長い溜息を吐いた後、彼は首を振る。
「…ああ。衛星を初めとして、人類にも居住可能な星は幾つか発見されている。全て未開だが」
「この星に比べりゃ天国だぜ」
「成る程」
 男に向かってブルースは僅かに屈みこんだ。ヘルメットにブルースの顔が映り込む。
「地球の代わりの新天地は既に発見している訳だな。…だが、苦労は多かろう」
「ここに来るまでの事を考えれば」
 屁でもねぇ、と男は言う。
「…大体の計略は分かったが、最後に一つ」
「何だ?」
「お前は随分と内部事情に詳しいな。ジョー=エルがどこにいるか、分かっているだろう」
「……まぁな」
「そこまで案内して貰うぞ」
 男と、そしてカルは目を丸くした。

 薬の類をベルトの空いている箇所に入れた。他の装備品も十分に試し、確認しておく。
 こんこん、と背後で壁の鳴る音がした。
「開いているぞ」
 振り返りもせずブルースは答える。実際、ドアは開きっ放しになっているのだ。それでも律儀に“ノック”をするカルに、少しばかり微笑が零れる。
「父を」
 カルが言う。
「助け出すつもりなのか」
「ああ」
「何故?」
 ブルースはようやく振り返った。普段よりも、矢張り少し白いカルの顔を見据える。
――普段、か。
 クラークの普段ではなく、カルの普段の顔色。いつの間にかそれを覚えてしまっていた。
「理由ならば幾つもある」
 そう言ってブルースは屈み、ブーツの具合を確認した。不調は無い。
「彼は私にとっても命の恩人である事、彼がいなければ私は元の世界に戻れない事、そして」
 再びブルースは立ち上がり、カルに目を合わせた。
「彼の命ばかりではなく、この星の住人全ての命が危険に晒されている事」
「…クリプトニアンは、地球を滅ぼした種族だぞ」
 なのに助けようとするのか、とカルは問う。迷う事なくブルースは頷いた。
「ああ、それでも命は命だ」
 部外者であるから言える台詞かもしれない、と同時にブルースは思う。もし自分の故郷が滅ぼされていたならば、どうなっていたかは分からない。
 だが今ここにいるのは、自分以外の何者でも無いのだ。報復に命を奪う事は決して容認出来ない、ヒーローという立場に身を置いた男以外の、何者でも。
 俯いたカルが、長く細い息を吐き出す。疲れの浮かんだ表情は、どことなくジョー=エルに似ていた。
「信じられない」
「信じてくれなくて結構だ。エゴと思ってくれ」
 その横をブルースはすり抜けようとした。
 大きな手が腕を掴む。
「僕も行こう。内部構造はあの男以上に知っている」
「駄目だ」
 しかしカルは首を横に振る。
「ジョー=エルは僕の父だ。それに、僕を連れて行けば、彼らを油断させる口実になるだろう?」
「……」
 確かに、男に連絡させ、カルの顔を見せれば、或いは――
「また怪我をしても構わないのか?」
「その時は」
 唇の端をカルが持ち上げる。思わぬ仕草にブルースは僅かながら驚いた。
「また薬で治すさ」
 怪我は、治るから大丈夫、と言うものではない。痛みを味わうと、もう2度と怪我をしたくないと思うのが常である。カルの言葉が強がり交じりのものである事は、ブルースにはすぐ見て取れた。口では笑っていても、目が笑っていない。
「無理するな」
「断る。君の言っていた“動く時”は、今だ」
 青い瞳から怯えが消えた。
「僕は君ほど強くないが、役に立つ事はある。連れて行ってくれ」
 力を持たぬが故に味わうものが何なのか、ブルースには良く知っている。
 だが自分と彼は違うのだ。自分がクラークに対して味わう思いは、彼も自分も同じヒーローという前提があるからではないのか。カルは一般人なのだ。
 それでも、何度思っても――
「……先走る事だけは止めてくれ」
 ブルースはそう答えてしまった。
「ああ」
 今度こそカルは本物の微笑を浮かべた。

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