気絶している連中を、縛り上げたまま座席に放り込む。近くで見れば意識を失っている事は一目瞭然だが、遠くから見れば分かるまい。少なくともカモフラージュにはなる。
「よし、出してくれ」
移動装置の運転席に座ったカルに、ブルースはそう言った。横には逃げ出せぬよう縄を幾重にも掛けた男が座っている。カルは頷くと離陸指示を出し、装置を空へと浮かび上がらせた。
たちまち視界へ白い地表が広がる。砂糖菓子のように美しく、脆い星が。
「内部に侵入出来たら、君はしばらく隠れていてくれ。私が出て行って見張りを倒そう」
「こいつは」
カルが指先で男を示した。
「どうする?」
「連れて行く訳にはいかないからな。私が……何とかする」
「分かった。それで、僕はいつ出れば?」
「合図しよう」
そこで男が肩を震わせ、笑い始めた。
「素人相手は大変だな、え?」
「……まあな」
「バットマン!」
「冗談だ」
ブルースは軽く肩を竦めたが、カルは唇を引き結んだままだ。どうやら機嫌を損ねたらしい。子どもじみた振る舞いにブルースは小さく笑う。それから真顔になって、彼の腕を叩いた。
「私には土地勘が無いからな。君の記憶力が頼りなんだ。頑張ってくれ」
「…勿論」
すぐに機嫌を直す所はクラークと同じだ。いやむしろ、あちらの方が頑固と言えるだろう。ブルースはそう思いながら、男の横にある座席に腰を掛けた。
地殻安定器の操作を最も能率良く行えるのは、ジョー=エルだという。しかし軍への人質になっている、科学議会のメンバーも救い出さねばならない。それから安定器にロックを掛けて時間を稼げば、ゾッド派と人質によって凍結させられた、クリプトン軍が動き出してくれる――。
カルの考えはそうだった。楽観的に過ぎるかもしれない。しかし自分の考えている事はもっと楽観的だ、とブルースは心中で呟く。
1つの組織を止める事は難しい。が、その頭を潰す事は、存外簡単だ。ゾッド達が科学議会を抑えているように、自分がゾッド達を抑えるのはどうだろうか。司令部を失った軍は、決して強くない。ましてやクリプトニアンと地球人の混成軍は。
「見えて来たな」
ブルースはカルの声に顔を上げた。
向かう先には、青い空を背にした白い塔。
「では――交代の時間だ」
「悪趣味に磨きが掛かったようだな」
踵を打ち付けられた床が、悲鳴のように高い音を立てる。ひとつ、もうひとつと、その音が鳴る度に、取り付けられた純白の照明が消えていった。
「白一色の世界とは。いかにも老人の考えらしい」
もうひとつ足音が鳴れば、周囲は完全な暗闇になるだろう。唯一となった頭上の照明をジョー=エルは見上げた。もっとも、手足を椅子に拘束された今となっては、自由に動かせるのは目だけだったが。
「それともお前の嗜好か、ジョー=エル?」
「色彩論は私の苦手分野だ。…もう何十年も前から」
「そうだったな」
音が止む。ジョー=エルの正面で。消されなかった頭上の照明が、目前に立つ姿を浮かび上がらせた。
黒い服を身に着けた、痩せて小柄な40がらみの男。黒髪には白いものが混じり始めているが、炯炯と輝く大きな瞳は、今も昔も変わりは無い。
「確かに、そうだった」
どこか昔を懐かしむような声に、ジョー=エルは思わず呼び掛ける。
「ゾッド。本気なのか。本気でこの星を崩壊させようと――」
「何故そこまでクリプトンに拘る?数十年前の危機で移住を推進したのは誰だ、ジョー=エル?」
「あの時と今では状況が全く異なる。あれは天災だった。だが今は人災だ」
ゾッドは薄く微笑んでから首を振った。
「もう1つ。私はこの星全てを破壊しようとは考えていない」
その言葉にジョー=エルは眉を寄せる。
「すると、君は」
「私はクリプトンを人質に取っただけだ。地球人はクリプトン全てを滅ぼす気でいるようだがな」
「君は彼らを騙したのか?」
「外交だ。そうでもしなければ、我々は手を組み得なかっただろう」
ジョー=エルから奪った杖を、ゾッドは振る。頭上の照明が絞られた。目前にある顔だけが白く浮かんでいる。
「もうすぐお前の息子が着く。言い訳の理由は消えるぞ。大人しく脅しに手を貸せ、ジョー=エル」
「私は……」
しかし答える時間は与えられなかった。
「将軍」
壁の一角が急に開いた。ヘルメットで顔を覆った、長身の男が入って来る。完全な武装から考えて、地球人だ。
「どうした」
「部下から連絡が入った。カル=エルを連れて到着する所だと」
「遅かったな」
翻るゾッドの黒衣をジョー=エルは見つめた。きつく眉を寄せ、目を閉じる。バットマンと共に逃げると信じ、息子を連れて来いと言ったのだが――巻き込んでしまった。
「到着したらここへ連れて来るよう、命令を」
「もう既に」
出した、と入って来た男が言い終わる寸前。
「ボス!」
今度は別の男が、忙しない足音と共にドアをくぐった。
「どうした?」
「さっきの、ジャックからの連絡が、船が……ああ畜生」
「分かるように言え」
男の冷徹な声に、入って来た方が荒い息を呑む。やがて呼気を整えると、彼は殊更ゆっくりと答えを告げた。
「エル家に行った部隊は全滅。ジャックからの連絡は、奴が脅されてやったものらしい」
「何」
はっとジョー=エルは顔を上げた。
「船はもう到着したのか」
「ああ。それが不味い事に」
ゾッドと、先にいた上官とに等分に目をやってから、男は言う。
「エル家の息子と、部隊を全滅させた奴が、この塔内に潜り込んじまって――」
照明は小さく闇は深い。
それでもジョー=エルの目には、ゾッドの顔色が変わる様が、はっきりと見えた。
「次の角を右に」
「分かった」
短い杖が、カルの手中で白光を放つ。その途端、ただの壁の一角が開き、分かれ道が出来上がった。指示通りブルースは右に曲がる。カルが曲がってすぐ、再び道はただの壁となった。
「もっと近道は無いのか。急がねば追っ手が来るぞ」
「1番近いのがこの道なんだ」
息も切らさずカルは応じる。学者志望という事から体力が無いものと思っていたが、彼は危なげなくブルースに付いて来ていた。少し頼もしく感じながら、それでも矢張り、置いて来るべきだったという思いは消えない。
「しかし、父以外の議員を助けるつもりは無いのか?」
背後からのカルの声に、ブルースは足を運びながら首を振った。
「彼らを助けている内に、地殻安定器が動かされたら?それに何十人もの議員を助けて誘導する暇は無い。まず叩くのは頭だ」
その為にも、ジョー=エルがいるという大会議室へ赴かねばならない。
「…分かった。だが、将軍相手に対等な戦いが」
「伏せろ!」
カルが言い終わらぬ内に、ブルースは振り返り、彼を元来た道へと押し倒した。
「な」
なにをするんだ、と薄い唇が動く。だがその声を掻き消すのは、廊下の向こうから鳴り響く銃声だ。繰り返される大音響に、ブルースは襲撃者達が持っていた銃の形状を思い出す。
「このままで。目を閉じていろ」
そうカルの耳元で囁くと、ブルースは立ち上がり、ベルトから取り出した照明弾を投げた。勿論マスクの機能にはスイッチを入れたから、己の目が眩む事は無い。
悲鳴を上げて蹲った人影に、ブルースはバッタランを放った。呻き声と激突音を最後に、物音が消える。
「終わったか?」
「ああ。…しかし、追っ手ではなく待ち伏せか。ルートを変えながら進む方が良さそうだな」
「任せてくれ」
身を起こしたカルが杖を振った。白光に反応して、ブルースのすぐ左の壁が開く。
「この道を真っ直ぐ行って、1度上の階に」
「分かった。頼む」
「あと、大会議室には裏口があるんだ。そこなら敵の手配も薄いだろう」
「…そんなに目立たない裏口なのか?」
自信ありげにカルは頷いた。
「ああ。何せ父が自分の途中退席用に作った物だからな。まだ誰にも知らせていない筈だ」
「……。…そういう場所は早めに知らせてくれ」
1人でそんな物まで作るジョー=エルへの感想を、答える前の間で押しとどめて、ブルースは再び走り出した。
装飾の無い白い壁と道は、方向感覚を狂わせ易い。同じ場所をぐるぐる回っているのではないかとも何度か考えたが、しかしカルの声に揺らぎは無かった。
――いつもならば、あいつが前にいた。
声が同じなだけに感じる、小さな違和感。遅れまいと背中を追っていたあの頃が、遠い昔のようだった。だが今のブルースに、記憶を辿っている暇は無い。不意に足元を銃弾が掠めた。
――集中しなければ。
元の世界へ五体満足で戻る為にも。再びカルに伏せるよう言い渡してから、ブルースは角から姿を現した敵へ、飛んだ。
「捕獲出来たか」
「いいや、現在地の把握も出来ていないようだ」
「意外に粘る」
感心したように、ゾッドはジョー=エルを見やって呟く。部下からカルとブルースの逃走を伝えられた男は、軽く肩を竦めた。その手にある銀色の板は、先程から声とノイズを発し続けている。通信機器なのだろうと思いながらも、物珍しさについジョー=エルは目を奪われていた。
「だが、目的地は筒抜けだな」
男はそう言ってジョー=エルを指差した。
「博士は隣室に移動させよう」
「……そうだな」
少しの間を置いてからゾッドは頷く。待機していた男の部下が、ジョー=エルの椅子に近づくと、ゾッドは手の杖を軽く振り上げた。ジョー=エルの手足から拘束が解ける。素早く完全装備の男達はジョー=エルに手錠を掛け、立つように促した。
「ひと段落付くまで隣に置いておけ。…また会おう、ジョー=エル」
「ゾッド、どうか手荒な真似はしないでくれ」
「私は軍人だ。捕虜の扱いは丁重にさせる」
ジョー=エルは首を振る。
「私に対してでは無い。息子達にだ」
「…それは彼らの態度が決めさせる事だな」
会話の終わりを見計らって、男がジョー=エルを囲む部下達に頷く。たちまち彼らはジョー=エルの両腕を掴み、床を滑らせるように歩き始めた。
「全隊に告ぐ、全隊に告ぐ」
男の低い声が、引き立てられていくジョー=エルの耳に届く。
「こちらB。A部隊からG部隊、侵入者の追捕は取り止めだ。警戒は緩めるな。R部隊は大会議室に集結。K部隊、大会議室横のホールにて博士の監視を。N部隊はK部隊と同場所にて待機し、大会議室突入への用意をしておけ」
「ここだな」
「ああ。間違いない」
2度ほど敵と遭遇し、階段を5階分ばかり上った後、ブルースとカルは白い壁の前にしゃがみ込んでいた。
「さっきの階段を1階分上って左手に回ると、大会議室への入り口があるんだ」
「という事はリフト式なのか。この……“裏口”は」
壁を手で探りながらカルは頷く。
「その通りだ。…良し、これだな」
そう答えると、カルは右手を壁に引っ掛けた。よくよく見れば表面には僅かな切れ込みが入っているようだ。カルの指先が動くと、途端にその部分がぱかりと四角に開いた。次いで杖がお馴染みの白色に輝くと――小さな起動音を立てて、壁一面が動き出す。
かつて東洋で見たからくりのように、壁が開く。中には小さな白い椅子が置かれていた。
「…君はここで待っていてくれ」
「どうしてだ?確かに椅子は1つだけだが、2人は乗れる」
「中にはこれまで以上に敵がいる筈だ。そんな所に」
一瞬躊躇ったが、ブルースは更に言葉を紡ぐ。
「君を連れて行けない」
「これまで上手くいったじゃないか」
「運が良かっただけだ。今までは壁があった、角があった。しかしこれから赴く場所は違うんだ。乱戦に持ち込ませれば勝機はある。が、そうなれば君の命の保障はし兼ねる」
「僕は良い」
カルはゆっくり、ブルースの肩に手を置いた。
「君だって命の保障は無いだろう、バットマン?」
「ああ。――君が私と共に来るなら、その度合いは益々減るな」
構わないと言われたから、と放り出す訳にもいかない。命を危険から守る事もまたヒーローの、自分の義務なのだ。
肩に置かれたカルの手を、ブルースは静かに外す。合わせていた視線を、先に逸らしたのはカルだった。
「……分かった。僕はここで待てば?」
「そうしてくれ。あと、もし敵が来ても抵抗はするな。危険極まりない」
分かった、とカルは繰り返す。視線は床に落ちたままだ。ブルースは数歩後ずさり、彼と距離を取ると、“裏口”の中へと入った。
「バットマン」
「何だ?」
背中に掛かった声に、ブルースは振り返る。青い瞳は、再びブルースを見つめていた。
「本名は別にあるんだろう」
「ああ」
「良ければ教えてくれないか?」
ひたむきな空の色に、ふとブルースは戸惑った。例え異世界とはいえ、正体を明かしていいものかと、培って来た警戒心が拒否反応を起こしている。それと同時に、構わないと唆す声もまた、あった。
白い椅子の背をなぞっていた指が止まる。
「……無事に帰った、その時にだ」
不服顔も拗ねた様子も見せず、カルは静かに頷いた。
「楽しみにしている。では、スイッチを入れよう」
「頼む。気を付けて」
「君も」
杖が光る。直後、壁が閉じた。
全身に軽い重みを感じる。ベルトに軽く手を当てると、ブルースは頬を引き締めた。
――行くぞ。
重みと、付いていた照明が掻き消える。好都合だ。ケープを身に纏い、息を潜めると、ブルースは開き始めた壁の隙間から外に転がり出た。