「こちらへ!」
銃撃戦を背後に3人は奥へと走り出す。殿を務めるブルースは振り返ったが、どうやら気付いた者はいないようだ。ゾッドの部下達に感謝しなければなるまい。
「ジョー=エル、装置をロックする方法はあるのか?」
「ある。装置を緊急モードにすれば、丸2日は他からの操作を受け付けない」
そこまで言ってからジョー=エルは僅かに顔を顰めた。
「…もっと早くにそうしておけば」
「バットマン、父上の所為では無いんだ。僕が人質として――」
「分かっている」
走りながら、カルの肩をブルースは叩く。息子を殺すと脅されれば、幾らジョー=エルとて連中の言いなりにならざるを得まい。
「装置だけでも外部から自由にしておけば、事態がまだ楽になる。頼んだぞ」
「ああ」
重々しくジョー=エルは頷く。その手をカルが引っ張り、出来る限りの速さで道を進んでいく。銃撃戦の音はもう遥か彼方だ。だがいつ前方に敵が現れるか分からない。ブルースは歩を速め、2人の前を駆けた。
「装置のある部屋までは?」
「このまま、5分も走れば」
角を曲がりながらジョー=エルの答えに頷こうとして、ブルースは足を止めた。腕を伸ばし背後の2人に止まるよう示す。
「どうしたんだ?急、に……」
カルの言葉が途切れ、虚空に消えた。
「…地球人だな」
ブルースは吐き出すようにそう呟いた。
壁にもたれ掛かっているもの、寝そべっているものなど、その姿態は多様であったが――共通しているのは装備と、そして既に息絶えている事だった。
血溜には数多の弾丸がひたひたと浸かっている。背後にして来た銃撃戦の末だったのだろう。10人ばかりの遺体の間を歩いていくと、ゾッドの部下らしき黒衣を着たものも、その中には混じっていた。
「先程の連中は、既に友軍を撃っていた訳か」
「友軍とは呼べまい」
血の臭いに眉を顰めながらジョー=エルが言葉を発する。
「ゾッドは私に、クリプトンを崩壊させるつもりは無いと言っていた。地球人の生き残り達も騙して協力させたらしい」
「自分が星の実権を握る為に?」
「…恐らくは」
「だが地球人達が、こうして父上を連れ出した所を見ると――」
遺体の間を通り抜けてから、ブルースは首を振った。生々しい硝煙の臭いが未だに周囲へと流れている。
「地球側も、騙されたと見せ掛けて従ったのだろうな。もうそれも通用しまいが。……行こう」
足を踏み出せば、白い廊下にはブーツの形をした赤い痕が残る。やがてそれは3つに増え、奥へと長く細く続いていった。
頭の後ろで手を組ませながら、壁へ向けて一列に並ばせる。腕を撃たれ呻く怪我人が前を通って行った。
「まさか逃げられるとはな」
気絶した連中が担がれていく。担いでいる方はしきりに悪罵を吐き出していた。罵りたいのはこちらの方だ。
「負傷者が5名、死者が1名か……」
すぐに少数の編成を組んで追いかけさせたが、例の黒ずくめがいるならば難しい。そもそも奥に逃げたのか、出口へと急いだのかもまだ分からない。万が一奥であるならば、地殻安定器に何らかの操作がなされる可能性が高い。しかも、暴走を引き起こすのではなく、停止を促す操作を。
もっと博士から聞き出すべきだったと、舌打ちが漏れそうになる。代わりに唇を強く噛んだ。
奥で警備をさせている隊からの応答は無い。ゾッドの部下達に殺されたか、はたまたあの黒ずくめにやられでもしたか。場所が場所だけに1つの隊しか付けていなかったのが裏目に出た。今から他の部隊を集結させても間に合うまい。
そして何より――
「B」
横からの声に振り向けば、通信機器が差し出される。ヘルメットを外さずとも使えるよう、改造を施した携帯電話の銀色が鈍く光った。
「将軍からだ。こいつら、とっくの昔に将軍に連絡を入れてたみたいだぜ。怒鳴り散らしてやがる」
「…代わろう。お前はジャベリンに連絡して、厳戒態勢を取れと命じろ。あと、K部隊からN部隊までを装備付きでこちらに寄越すように」
「了解」
予定では味方も気付かぬ内に装置を起動させ、クリプトンを後にしていた筈だった。クリプトニアンと通じている連中や、惑星を崩壊させる事に消極的な連中からの反対意見を恐れ、あくまで隠密裏に事を運んでいたのが裏目に出ている。人海戦術を取ろうにも、ここにいる絶対的な人数が足りていない。
あの妙な黒ずくめさえいなければ、将軍に造反がばれても何とかなった筈だ。博士が手の内にいたのだから。問答無用で装置を破壊し、クリプトンを脱出していた。
「私だ」
しかし波打つ心を抑え、冷静な声で通信機に語り掛ける。装置さえ壊してしまえばこちらの物だ。少なくとも博士が捕まるまでは、将軍と本格的な戦闘を始める訳にはいかない。
『Bか!』
腹に響く怒声が鼓膜を直撃した。
「貴様一体、何を企んでいる!安定器破壊は私が軍部を抑えてからだと」
『申し訳ないが、少し小声で話して頂けないか?』
しれっとした声に怒りが募った。
軍部との交渉でただでさえ疲れていると言うのに、この男は更なる問題を持ち込もうとしているのだ。命令には従うと、あれ程従順な態度を見せながら掌を返す。政治家としても官僚としても十分にやっていけるだろうが、部下には向かないタイプだ。
「私の声の大きさは私が決める。それよりもアーサを出せ。もう消してしまったか?」
『人聞きの悪い。…将軍、何か勘違いされているようだな』
長々と溜息が聞こえてくる。
『確かに彼女達と我々は戦闘になったが、行き違いがあっただけだ。互いに血気盛んな連中が多いだろう?』
「では教えて貰おうか。何故ジョー=エルを連れてそこへ行った」
『マニュアルが出て来たからな』
「マニュアル?」
聞き直してから首を振った。相手のペースに呑まれてはいけない。臨機応変な頭脳の切れを見込んで手を結んだのだ。それを自分に適応されては堪ったものではない。しかし通信機の向こうからは、冷静な声が朗々と流れて来る。
『ああ、エル家の研究室から部下が持って来た。それを読む限り、段階変化は4時間も待たずに起こる物らしい』
「…ジョー=エルが我々に逆らったとでも言うのか?」
肩を竦める気配がした。
『どうもそのようだな。問い質してもなかなか口を割らなかったが、息子を持ち出すとようやく吐いた』
カル=エルに銃を突きつけでもしたのだろう。母親譲りの青い瞳に、怒りを浮かべる彼の姿はあっさりと想像出来た。そしてその額に銃口を当てている男達の姿も。
『リセットに博士達を連れて来たのだが、そこで連絡にすれ違いがあったらしい。貴方は軍部と交渉中だったから無理もないが』
「だが戦闘にまで発展するとは」
そう言いながらも、軍人達を纏めて来た経験から鑑みて、有り得る事だと密かに思った。アーサも副官だと言うのに何かと血の気が多い。宇宙を流浪中、部下達との間に産まれた彼女は、地球人に対する同情心も比較的薄かった。侮辱されてかっとなり、という事は十分に考えられる。
それでも、惑星崩壊に対して偽の賛同をしている側からすれば、彼らの行動は疑惑だらけだった。気を許す訳にはいかない。
『私も戦闘は想定していなかった。…非常に恥じている』
幾らしおらしく言われても、だ。
『1度こちらに来てくれないか。博士も今となっては貴方の顔を見ない限り、操作しないと言い張って聞かない』
「ジョー=エルが?……あの頑固者が」
『何か?』
「いや、すぐに行く」
「おうよ、すぐ行くぜ」
通信機を切ってから、弱いアルコールを並々と湛えたグラスを置き、手を上げる。周囲にいた連中が皆手のグラスを同様に置いた。零れた数滴がアルミ製の机に汚い染みを作り上げる。
「ジャック、Bは何をしろって?」
「Bじゃねぇ。R部隊の坊や共だ」
ボス直属の少数精鋭部隊、と言うよりも親衛隊だ。声変わり前の高い声で命令されるのは、頭が痛くなるわ気分が悪くなるわで大嫌いなのだが、聞かない訳にもいかない。
「あの黒ずくめ野郎が逃げやがったらしいな」
「え?!」
頭が弱そうな声を周囲の男達が上げる。噎せ返るような甘ったるいアルコール臭に2度酔いしそうだった。払うように手を振ってからドアへと歩み寄る。
「至急装備を整えて指定場所に集合だとよ。全く坊ちゃま連中の考える事はさっぱりだぜ、なあ?」
「悠長に構えてる場合かよ!すぐ行こうぜ!」
慌しい足音を立て、部下達が横をすり抜けていく。厳格過ぎる、冷酷だと散々に言っている癖に、いざと言う時は皆が皆、あの男の下に集まるのだ。世の正義も不幸も一身に背負っているとでも言いたげな、その癖に甘いあの男の下に。
「…反吐も出やしねぇ」
酒盛りの最中に出て行く気は起きないが、それ以上に蝙蝠の逃亡が気になった。自分に散々な侮辱を与えた“バットマン”。更に手の中から逃げるなど、弄り殺しにしてやらねば気が済まない。
「ジャック、早くしろよ!」
「うるせぇな、すぐに行く!」
そう、時間を与えてやる気は無い。マスクの付けた顔がどんなに歪むか、考えただけで胴震いが起きそうだ。
「おっと」
唇の端を擡げドアを潜りかけ、忘れ物に気付いた。常に肌身離さず持っているギャンブルの道具。お守り代わりになっているトランプのカードだ。机の上に置きっ放しだったそれを取り上げる。
数少ない地球の玩具は古びていたが、1枚も欠ける事なく揃っている。己の守り神であり、妻の形見であったものにキスを送り、懐にしまってから外へと飛び出した。
飛び出した拍子に敵とぶつかる事も無いまま、ブルース達は扉の前に辿り着いた。眩いばかりだった照明がここでは落ちていて、薄暗い中にジョー=エルが入力している操作盤の水晶だけが朧に光っている。
油断無く背後や周囲に注意を払っていたブルースは、ふと横顔に視線を感じた。振り返るとカルが見つめている。
「どうした?」
「いや……その、君に再び会えるとは思わなかった」
「…私のミスが無ければ、もっと早く片は付いていただろうな」
ブルースの言葉に、カルは穏やかな表情で首を振る。
「君がいなければ、僕はもう2,3回は死んでいた」
ありがとう、と躊躇いなく紡がれた謝礼に、ブルースは思わず視線を外した。礼を言われるのは慣れていない。その相手が、鮮やか過ぎる空色の瞳を持っているのであれば、尚更に。
「開いた。行こう」
ジョー=エルの言葉にほっとする思いで頷き返す。視界の端でまだこちらを見つめるカルの瞳を、痛いほど意識しながらも、ブルースは扉の隙間から中に滑り込んだ。
途端に目を射る、白い光。
ドーム型をした部屋の中央にある、真っ白な海栗のような物が、水晶だと一瞬認識できなかった。
高さはブルースの背丈の3倍はあるだろう。部屋の隅から隅へとその刺を伸ばす、余りにも巨大な水晶の塊だ。頭上から降り注ぐ光を受けて、きらきらと輝くそれは、時折内部を呼応させるように淡く光らせていた。
「…これが、地殻安定器か」
最早どのような技術が使われているのかなど、想像の埒外だ。そんなブルースを嘲笑うように、白い光は部屋中に満ち溢れ、消える事が無い。
「ああ。まず解除を始めねば……」
水晶に向き直ったジョー=エルの前に、床から台に乗った青い球形がせり上がって来る。見届けてから振り返ったブルースの視界では、カルが扉にロックを施していた。扉の厚さから考えて、爆破を試みられても多少は持つ。
ふとピアノの弦を弾くような音がした。ジョー=エルが球形に触れている。やがて球は台を離れ、軽やかに宙へと浮かぶ。胸の辺りに来たそれを、ジョー=エルが優しく撫ぜた。再びぼろん、と音が奏でられ、応じるように水晶の輝きが高まる。
「操作が終わるまでどの位だ?」
「ざっと30分だな」
横に来たカルへと声を掛ければ、そう答えが返って来た。30分。地球勢がここへと駆け付けるには、十分な時間。
「緊急脱出用ポッドがまだ使える筈だ。確認しておこう」
「ああ」
果たしてジョー=エルの作業が終わるのが先か、はたまた地球勢の襲撃が先か――。
楽観視は出来ない。頬を引き締め、ブルースはカルと共に部屋の片隅へと足を運んだ。
「……クリプトニアンだな」
冷たくなった部下達を横目に、なおも足を動かし続ける。捕虜共を葬り去るのは簡単だが、復讐は冷めた頃が最も美味と言う。弔い合戦は博士を手にしてからでも遅くない。
将軍も呼び寄せた。おおかた警護の10人ばかりを連れて来るだろうが、ものの数ではない。単純な人数でも、また力量でも、こちらが上だ。消すのは造作ない。先に疑われ襲撃されたという傷を耐える為にも、そう思った。
白い床には既に、3人分の足跡が残っている。血で作られたそれは既に乾き、赤よりも黒に近い汚れとなっていた。思ったよりも動きが早い。
「遺体の回収は後回しだ。3ブロック内の警護に回っている連中へ、こちらへ急ぐよう伝えろ」
背後に控えていた2人の部下が、了解の意を表し頷く。背後の気配でそれを感じるとすぐさま駆けた。血溜が黒い飛沫を上げる。そこに横たわる部下達の姿が、かつての両親の姿と重なった。
――もう少しだ。
彼らの死が、惑星ひとつの死によって贖われる時は近い。驕り高ぶり、他星を踏み付けたクリプトンに、裁きを齎すのは悲願だった。それが目の前にある。
付き従う部下達の足音を聞きながら、廊下の先を見据える。崩壊の種子がある筈の、先を――。