「出て行く?」
「ああ」
 翌朝、身支度を整えて早々、ブルースはジョー=エルに切り出した。
「妻ならば気にせずとも構わない。弟の家に滞在すると」
「彼女は私の所為で出て行ったんだ。気にするなと言われても、心苦しさに変わりはない」
「…カルが言ったのか?」
――流石は父親だな。
 息子の気質を良く分かっているらしい。肯定も否定もせず、ブルースは答える。
「とにかく、私は出て行く。議会に適当な場所を打診して貰えるだろうか」
 ジョー=エルは眉根を寄せ、ブルースを見上げている。だがやがて、彼は溜息の混じった言葉を吐いた。
「囚人のような待遇を望むのかね」
「……何?」
「クリプトンは他星との交流を制限している。技術流出を恐れての処置だ。2日後の議会で、君を帰還させないという結論が出る可能性もある」
 ブルースは思わず、小さく笑った。強制帰還という結果になったところで、帰る方法は確定されていないのだ。
「もしそうなれば、君は生涯、議会の手で幽閉されるだろう。ここにいれば密かに帰還する事も出来るが、議会の手の内に囲われれば」
「その機会もなく一生を終える、という訳か」
この星の技術ならば容易い事だろう。周囲を白い壁に取り囲まれ、ただ時間を費やすしかない自分の姿が、ブルースの脳裏に過ぎった。ぞっとしない光景だ。
「不快な事も多いだろうが、ここにいるのが最も安全だ」
「…貴方は、随分と親身になってくれるな」
 思わず本音が口をつく。
 クラークの実父だと思うと、少なからず親近感がブルースの胸には湧く。ただ相手にとって自分はただの異邦人だ。それも、故郷を滅ぼされたという恨みを抱くだろう、厄介な存在ではないのだろうか。
 ジョー=エルは青い光沢を持ったドロイドを呼び、何やら言い付けてから、ブルースの方を向いた。澄んだ茶色の瞳は、その癖、暗い光を湛えていて、僅かにブルースを怯ませる。
「私の研究が原因で、幾つもの星や人が滅びていった」
 殊更ゆっくりとジョー=エルは言う。
「これ以上は沢山だ」
「……」
 間に横たわった沈黙を、切り崩そうとブルースが考えるより早く、先程のドロイドが白い外套を持って来た。
 蟷螂のような手の部分から外套を受け取り、着込むと、ジョー=エルは再び口を開く。
「議会へ君の報告に行って来る。地球人という事はなるべく隠す予定だ」
「分かった。よろしく頼む」
 頷くブルースに、それと、と言い掛けて、ジョー=エルは奥の移動装置に繋がる壁を見やった。
「息子は実験室で、助手と共に作業をしている。何かあったらこのケレックスに言い付けてくれ」
「ケレックス?」
 視線を合わせると、青いドロイドが恭しくブルースに会釈した。大きさはブルースの腰にも満たない程度だが、宙に浮いている分、目線は変わらない。
「では」
『行ってらっしゃいませ』
「!」
 いきなりケレックスが喋った。驚いている内に、ジョー=エルはドアの向こうへと消えていく。
 後に残されたブルースは、居間のあちこちに目を向けたが、再び宛がわれた部屋へと踵を返した。背中からは、ふよふよと浮くケレックスの気配が感じられる。
「…おい」
『何か御用でしょうか』
「用があれば呼ぶ。付いて来るな」
『畏まりました。ではこちらの部屋で待機しております』
 深く一礼をすると、ケレックスはその場に留まった。大きな頭部やゴーグル型の目が、やや不気味に見えてくる。しかしクリプトニアンから見れば、自分の格好もそのように不気味な代物なのだろう。少し重い足取りでブルースは部屋に入ろうとした。
が、ドアが開かない。
「……」
 昨日、カルは壁のパネルを押していた筈だ。確かに操作盤が取り付けられている。しかしキーは全て無地の白で、同型だ。どれを押せば開くのか分からない。
「…ケレックス」
『はい』
「このドアは、どうやって開ける?」
『畏まりました。お教え致します』
 音も立てずにドロイドはブルースの横に立つ。蟷螂じみた手の部分が、器用にあるキーを押した。ほぼ同時にドアが開く。
『こちらが開閉キー、こちらが鍵になっております。内部取り付けのクリスタルbPを4へと移動して頂ければ、仕様は内部操作のみとなり、こちらのパネルは反応不可になります』
「…中で説明してくれ」
『畏まりました。ご説明します』
 開いたドアの中にケレックスは入っていく。テーブルの横を触っていると思うと、円卓の中央が開き、小さな水晶柱とパイプ管が幾つもせり上がって来た。
 その内、最も大きな水晶柱をケレックスが摘み、太いパイプ管に入れる。涼しげな音が鳴った。
『これでドア操作は内部のみ可能となります。細かい設定はこちらのクリスタル盤にて行います。ご説明は必要ですか』
「頼む」
 元々ブルースは集中力も記憶力も高い。説明に従い動かしていく内に、操作方法は飲み込んでしまった。
「他の部屋や移動装置の仕組みも、これと同じなのか?」
『各室内の機器はこちらと同じものでございます。移動装置だけ細部が異なっています。ご説明は必要ですか』
「いや」
 結構だ、と言おうとしてブルースは止めた。
 万が一に備え、普段はどこにいても非常口や物陰をチェックしている。この家で襲撃される可能性は低いだろうが、先だってのジョー=エルの話を聞く限り、無いとは言い切れない。
「…移動装置の操作方法だけ教えてくれるか」
『畏まりました』
 逃走経路を思い浮かべながら、ブルースはケレックスに付いて歩いた。

 しゃりん、と冷たい音が鳴る。美しいとは言え、見た目はありふれた水晶だ。しかしそれをパイプ管に差し込むと、装置の道筋や行き先がたちまち変化する。
 一体どこにそんな技術が隠されているのか。ブルースは思わず、まじまじと透明な操作盤を眺めた。宝石店のオブジェのような水晶柱は、当然、黙ったままだ。
『何かお探しですか』
「何でもない」
『ではどうぞ、お乗り下さい』
 エレベーターに似た内部へ、先にブルースを乗り込ませてから、ケレックスが乗る。礼儀正しいその仕草に、ブルースはアルフレッドを思い出した。
――心配しているだろうな。
 JLからの呼び出しのお蔭で、彼が作った昼食を取らぬままだった。アルフレッドは少し肩を落とし、それでも「夕食は腕に掛けてお作りします」と言ったのだ。
 ドアが閉まり、微かな揺れが体に伝わってくる。どうやら動き始めたらしい。冷たい壁に背中を当て、ブルースは白い床に視線を落とした。
――せめてコーヒーだけでも飲んでおくべきだった。
 豆を新しく買ったのだ、という言葉通りに、カップからは濃厚な香りが漂っていた。呼び出しに慌てて飲み干すには、余りにも勿体無いと思い、結局一口も付けないで置いて来た。
 こうなる事が分かっていたなら、躊躇なく味わっていただろう。エル家で出された炭酸飲料の、奇妙な味がブルースの舌をまだ痺れさせている。黒い靴の色が、アルフレッドの淹れるコーヒーに似ている気がして、ブルースはじっとそれを眺めたままだ。
 そんなブルースに気を遣ったのか、移動装置が再び揺れる。
『到着しました。こちらは実験室になります』
 カルとジョー=エルの助手達が、奥で作業をしているのだろう。出たらすぐ水晶柱を操作して戻ろうと、ブルースはそう思っていた。
 ドアが開く。
――この星にもコーヒーがあるのか?
 ふと鼻腔を擽る匂いに、疑いが脳裏を過ぎった。しかし匂いは瞬く間に濃厚となり、ブルースは思わず軽く咳き込む。コーヒーの匂いなどではない。遥かにきな臭く、喉を痛め付ける。
「っ、何だ?」
 ドアから身を乗り出したブルースの目に、黒い床が映った。白い床ではないのかと、目を細める間もなくその正体が分かる。
 黒煙だ。蛇のように這う黒煙が、白い床を覆い尽している。音も立てないその侵食者に、はっと息を凝らした次の瞬間、腹に響く音が廊下の先から聞えた。
――爆音。
「ケレックス、私が出たらドアを閉めて待っていろ。誰か来たらすぐ入れてやれ。出来るなら換気を忘れるな」
『畏まりました。この装置内には換気システムが付いておりまして』
 ケープの裾で口元を覆うと、説明が終わるのも待たず、ブルースはエレベーターから飛び出した。
『…ご説明は必要ですか?』

 ブーツが床を蹴りつけると、煙が悶えるように波打つ。角を曲がる度に、数センチずつ煙の量が増していった。
 やがて煙が膝上まで達した時、ブルースの眼前には実験室のドアが見えた。幸いにも開かれている。ドア近くの壁には、白い衣服に身を包んだ男が2人、ぐったりと凭れ掛かっていた。
「おい」
 ブルースの声に、2人は顔を上げ――揃って目を丸くした。
「何があった?」
「……」
「答えられないのか?…とにかくこの場を離れろ。奥の移動装置にドロイドが」
「怪物だ」
 どちらかがそう呟いた。
 それが引き金になったらしく、2人は矢張り揃って悲鳴を上げながら、ブルースの横を走り出して行った。
「……私がか?」
 混乱を防ぐ為には、マスクを取った方が良かったかもしれない。そう思いながらもブルースはマスクのスイッチを暗視用に入れると、煙の立ち込める実験室内へと進んだ。
 あちこちに置いてある器具を壊さぬよう、そして倒れている者を見過ごさぬよう、注意しながら足を運ぶ。内部は幾つかの部屋に分かれているらしく、1つ目のドアを潜り抜けた時、また爆音がブルースの耳に届いた。ジョーカーの爆弾よりは小規模だが、軽く床が揺れるほどの衝撃はある。
 3つ目のドアを潜り抜けると、先程の2人と似た姿をした人間が数名、それぞれ慌しく動いていた。統率の取れていない動きからして、半ばパニックに陥っているらしい。消化装置は、排煙はと、勝手な叫び声を上げるだけで、ほとんど役立っていない。
 ブルースは1人の胸倉を掴んだ。
「おい、事故か?」
「……!」
 獣のような叫び声が上がった。
「こ、この前の化け物!」
「この前の?…ああ、そうか」
――私はここに送られて来たんだったな。
 男の叫び声に注意を呼び起こされたのか、見ると周囲にいる全員が、唖然としてブルースを眺めている。パニック状態の人間に、注意を向けさせるのは難しい。好都合だとあえて良い方に受け取った。
「煙を見てやって来た。一体何があった?」
「…じ、実験事故だ。器具の1つが爆発し、保管中の薬品にも火が」
「成る程。消火装置はあるのか?」
「事故現場には備え付けられていない。あそこは完全な密室で、実験の邪魔に――」
「分かった。消火用のドロイドはないのか」
「あるが、今は実験の為に外部からの連絡網を切っている。どこか別の場所から呼び出さなければならない」
 防災意識の甘い連中だと、ブルースは舌打ちしたくなった。とりあえず男の胸倉を離しておく。奥でばちりと漏電の音が聞えた。
「移動装置とドロイドを待機させてある。そこへ行けば連絡は可能だろう。早く行って呼んで来い」
「分かった」
「他に、奥にいる者はいないのか?」
 助手達は一様に顔を見合わせる。どうやら人数確認もしていなかったようだ。
 数秒の後、1人がおずおずと口を開いた。
「カル=エルが、さっき中に――」
 ブルースが盛大に顔を顰めたと共に、再び爆音が空気を揺らした。

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