林を抜けてすぐ、小さな村の様子が目に入った。木々に囲まれながらも手入れの行き届いた畑が広がっている。どこまでも平野の続くスモールビルとは異なるものの、農村と言う雰囲気は近しい。クラークは懐かしさを覚えた。
どの家も収穫祭のカボチャや蕪を軒先に置いている。共に置かれたランプには、夜更けと共に火が点けられるのだろう。これも故郷の収穫祭と余り変わらない様子だった。
「あそこが私の家よ」
バーバラがそう言って一軒家を示す。その側の井戸では髭を生やし、バーバラ同様に眼鏡を掛けた男が水を汲んでいた。いかにも重そうに桶を手に取った後、しかし彼はバーバラ達に気付き、辺り一面に水を撒き散らしてしまった。
「バブ!どうしたんだ?!」
「パパ!」
駆け寄る男を見て、クラークはそっとバーバラを地面に下ろした。ようやく緊張のショックが抜けたのか、勢い良く小柄な少女は走り出す。赤い巻き毛がふわふわと浮いた。
「林の外れで変な男に会って。この人達が助けてくれたのよ!」
濡れた手で娘を抱いたゴードンは、その言葉にはっと顔を上げた。流石に鎧姿の2人を見て驚いた様子だったが、しかしその表情は一瞬で掻き消える。温和な笑みが代わってそこに浮かんだ。
「娘を助けて頂いてありがとう。感謝の言葉も無いよ」
「いえ、当然の事をしたまでですから」
「そんな!…ああここでは何だな、どうぞ家に入ってくれ。バブ、片付けを」
「はい」
水色のスカートを翻してバーバラが家の中に入る。慌ててクラークは手を振った。
「ああ、どうぞお構いなく」
「娘の恩人じゃないか。追い出すような人でなしに見えるかね?さあどうぞ、どうぞ。私はジム・ゴードンだ」
優しい口振りに似ず、しっかりした手でゴードンはクラークとブルースの背中を叩き、家の中へと押し入れた。どうする、とクラークが見やれば、ブルースも仕方あるまいと言うように軽く肩を竦める。クラークは苦笑しながら自己紹介した。
「僕はスーパーマンです。彼はバットマン」
家は外見と違わぬ小ささだったが、木造のテーブルや椅子が何とも言えぬ温もりを感じさせる。台所では既にやかんが湯気を出していた。テーブルの上にあった皿や、籠の中の洗濯物をバーバラが手際良く片付けている。栗鼠のような素早さにクラークは思わず目を細めた。
「どうぞ、狭い家だがゆっくりしてくれ。今お茶を淹れよう」
「いえ、その、本当にお構いなく」
「気にしないで!」
ヤカンと茶器を片手にバーバラが言った。仕方なくクラークは椅子に腰掛ける。ふとブルースを見やれば、彼は立って暖炉上に掛かっている刀剣類に目を向けていた。
「…兵業を?」
「ああ、ゴッサムでね」
ブルースの鼓動がひとつ高く鳴るのを、クラークは聞き届けた。ゴードンはゆっくりブルースの傍らへと歩み、懐かしげな瞳を武器に注ぐ。
「これでも王都警備隊にいたんだが、あれで辞めてしまったんだ。例の――国王夫妻暗殺事件で」
今ではすっかり農夫暮らしさ、とゴードンが笑う。
「この村はそんなゴッサム生まれで一杯だ」
「あそこに戻るつもりは?」
「無いな。宰相ルシウスまで座を追われては……君はゴッサムを知っているのかね?」
静かにブルースが頷くのに、クラークはほっとした。
「あの近辺の生まれだ」
「同郷の士とは嬉しいな!…君は?」
「僕は中原地方の出身で。スモールビルと言う小さな村だから、ご存知ないと思います」
「いや、どこかで聞いた事があるよ」
首を傾げながらゴードンがクラークの隣に座る。ブルースもまた、椅子に腰掛けた。バーバラが花の香がする茶を運んで来る。カップを配りながら彼女は言った。
「スモールビルって、星が降った村じゃない?ママが昔話してくれたわ」
「そうか、あの――」
得心がいったようなゴードンに、クラークは苦笑して頷いてみせた。20年以上前に空から幾つもの星が降り、天上の奇跡が顕現したと言われた村。
だがまさか、その“星”に自分が乗っていたとは誰も思うまい。ここで1人訳を知るブルースは、悠々とカップを口元に運んでいた。
「え、いや、それ程でも」
「ところで」
1人で窮したクラークを見かねたのか、はたまた彼独自のペースなのか。ブルースが口火を切った。
「君は何か、あの男に襲われる心当たりは無いか?どこかの廃墟に入ったとか、何か不思議な帽子を手に入れたとか」
「ちっとも無いわ。今日だって薪を拾いに行っただけだもの」
「そうか……」
首を振るバーバラに、ブルースは考え込むように視線を落とす。ゴードンが身を乗り出した。
「相手はどんな男だったんだ?変質者なら自警団を強化しなければ」
「ただの人間ではない」
「ならモンスター?」
時として人間にも擬態する、怪物の名前をゴードンは挙げていった。だがブルースは首を振る。クラークは一瞬躊躇ったが、その名を口にした。
「どれも違います。奴は、ヴィランの1人で」
「ヴィラ……」
がちん、とカップが嫌な音を立てて置かれた。信じられないと言うようにゴードンは目を丸くしている。
「ど、どうしてそんな奴が、うちの娘を襲ったんだ?!」
「私が聞きたい」
「バットマン」
嗜めるような視線を向けてから、クラークはゴードンに向き直る。
「驚くのも無理はないけれど、ヴィランが人間を襲う率は意外と多いんですよ。その理由もからかい半分だとか暇潰しだとか、深い理由が無い事もあって」
「…君達はヴィランと戦って勝ったのか」
「いや、今回は勝手に逃げて行っただけで、戦っていません」
「ヴィランが逃げたのか……」
呆然とゴードンは呟く。それに反してバーバラの目はきらきらと輝きを増していった。
「ヴィランって、御伽噺に出て来る魔王の使いなんでしょう?あの男がそうなの?実在するのね?」
「厳密に言えば少し異なる。奴らは魔王の使いと言うよりも、“魔王”と呼ばれる巨大な魔力を利用している魔術師だ。それに実在についても微妙な所だな」
ブルースの答えに頷いてから、バーバラは首を傾げる。
「でも確かにいたわよね?煙みたいに消えたけど」
「ああ。奴らはこの世と少し異なる次元に住んでいる。例えばアーカム・ハウスのような」
魔の館と有名なその名を聞いて、ゴードンが眉を寄せた。
「…失敬」
「いや……君達は彼らを全く恐れないんだな。仮にも相手は魔王の眷属だと言うのに」
「慣れて来るんです」
長年戦うと、とはクラークも言わなかった。長い溜息を吐いたゴードンに、ブルースが兜越しに鋭い瞳を見せる。
「先程スーパーマンは大した理由など無いと言ったが、まだどうなるか分からん。気を付けた方が良い」
「また来ると?」
「可能性はゼロでは無いな」
確かに何やら思わせぶりな事も言っていた。クラークは柱に掛かっているカレンダーを見やる。豊穣月を示す麦とカボチャの絵の下には、今宵の収穫祭に向けて大きな丸が付けられていた。
「少なくとも、今日が終わるまでは油断出来ん」
クラークの視線を追ったのか、ブルースが言う。
「ヴィラン避けの魔法や護符は無いのか?」
「残念ながら、僕達は魔法がからっきし駄目で……」
故事に詳しいセミスキラの戦姫がいれば違うのだが。南の楽園に住まう女傑を思い浮かべながら、クラークは首を振った。魔避けの粉でも借りておけば良かった。
「…スーパーマンにバットマン、娘を助けて頂いた上にこんな事を頼むのは恐縮なのだが……収穫祭が終わるまで、どうか滞在してくれないだろうか?」
「パパ?」
ゴードンが拳を震わせて言った。
「私にはもうバーバラしかいないんだ。自警と言った所でたかが知れている。明日の朝まで、何も起こらなかったらそれで良い、ここにいて娘を守ってくれないだろうか」
一瞬だけクラークはブルースと顔を合わせた。彼の兜に覆われた瞳が強い光を放つような気がして、クラークは頷く。
「分かりました。短い間ですが、よろしくお願いします」
はっとゴードンが顔を上げる。クラークが笑ってみせると、彼はありがとう、と小さな声を絞り出した。
第1章
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