紫の小さな光は、遠くから見れば蛍のように美しい存在だったろう。妖精と思う者もいるかもしれない。
だがブルースにとってそれは、命を奪い兼ねない危険な代物だった。剣で受け止め断ち切った光球が2つに増え、4つに増え、切る度に数を増やし速度も増していく。蜂のように周囲を飛ぶ光球の1つが、腕を掠めていった。
「……っ」
じゅ、と肉の焼ける嫌な音がする。酷い熱さだ。思わずブルースは奥歯を噛み締めた。
「おやおや、ちゃんとお目々は開いてるかな?口ほどにもねぇとはこの事だぜ!」
哄笑しながら再びジョーカーは腕を上げる。右手には先程以上の大きさをした光球が出来上がった。
「そんなダーリンにハニーから応援のプレゼントだ!有難く受け取りな!」
今まさにブルース目掛けて飛び掛ろうとしていたそれは、しかし横から飛んだ茜色の熱戦によって相殺される。
「へ?」
「お前の相手は1人だけじゃない!」
横を向いた道化師の視界一杯に、スーパーマンの拳が浮かぶ。細い体は案の定見事に吹っ飛ばされた。ブルースの周囲を飛び回っていた光球の群れがふっと消える。だがブルースは舌打ちしてクラークに向き直った。
「私に構うな!バーバラを――」
轟音がブルースの声を掻き消した。内から外へと爆発した家の屋根が、風と共に撒き散らされる。猛烈な勢いで飛び交うそれから守ろうと言うように、クラークが素早くブルースの前でケープを広げた。
「しまった……!」
顔を歪める2人を他所に、さあっと粉塵が退いていく。屋根に作られた巨大な穴から、舞台仕掛けのように1人の男が浮かび上がった。その腕に抱かれぐったりと目を瞑るバーバラの姿は、常人であるブルースの目にもはっきりと見て取れた。
「やあ諸君、久し振りだな」
「ルーサー!」
白いローブを夜風に靡かせる禿頭の男に、クラークが拳を握り締めた。
「相棒を見過ごせないのが君の弱点だな、スーパーマン?だからこんな風に付け入られるんだ。お気の毒に」
「彼女を離せ」
「断る」
片手に持っていた銀の獅子頭の杖をルーサーは振りかざした。杖から伸びた光が横たわっていたジョーカーを包み込む。そのまま運ばれるジョーカーを歯噛みして見るブルースに、ルーサーは笑った。
「他からの干渉に関しては、君の剣も役に立たないようだ」
「…ならお前に使えば良い」
「おっと」
剣を構えたブルースを、優雅な、そして嫌味な手付きでルーサーは制した。最早手を触れられていないと言うのに、バーバラの体は浮かんでいる。ジョーカー同様にルーサーが支えているのだ。
「そう言う訳にはいかない。もし妙な真似をすれば――」
獅子頭の目が金の輝きを帯びた。
「彼女と彼女の親父さんが傷付く」
「悪党が……!」
吐き捨てるようなクラークの声音にもルーサーは笑みを崩さなかった。杖を一振りすると、宙に浮かぶジョーカーとバーバラの姿が薄れていく。
「お遊びはこれまでだ。願わくば我々の邪魔をしないで頂きたいものだな。夜が明けたら早々に立ち去るのをお勧めするよ」
では、の一言を最後に、ルーサーの姿もふっと夜に溶けた。誰もいなくなった屋根の上を何知らぬ顔で風が吹き渡っていく。世界が音を取り戻したのか、周囲の家からも人の出て来る気配がした。
「クラーク、ゴードンを」
「……ああ」
宿敵がいたその場所を、なおも睨み付けるクラークに、ブルースはそう言って促した。
幸いにも壊れたのは屋根だけだったらしく、家の中は思ったよりも酷い様子では無かった。しかし屋根の破片や、2つに割れたテーブルが痛々しい。爆風で吹き飛ばされたのか、割れた眼鏡の横にゴードンは倒れていた。擦過傷や小さな切り傷はあるものの、重傷ではないのが救いだった。ブルースが抱き起こすと低い呻き声が上がる。
「…バブ、は……」
「すまない、連れ去られた」
「くそ……」
手が床を叩き、弱々しい音を立てた。
「あの、禿げた男が……暖炉の中から急に、現れて」
「分かった。無理をするな」
「頼む。娘を、助けてくれ」
途切れ途切れな声でそう言いながら、ゴードンはブルースの腕を握る。弱い力だったが、それを振り払う気になど到底なれなかった。
「勿論だ」
「…頼む……」
最後にそう呟いてから、ゴードンは瞼を閉じた。思わず首筋に指を宛がったが脈は正常だ。ゆっくり休めば回復するだろう。抱え上げて振り返ると、戸口でクラークが5,6人の住民達と話し込んでいた。
「ゴードンさんは無事なのか?!」
「命に別状は無い」
ブルースが答えると、ただでさえ青ざめていた男が息を呑んだ。悪魔とも何とも付かぬ奇怪な兜に怖気付いたらしい。だが彼は気絶しているゴードンを見ると、慌てて一歩前に踏み出した。クラークが退いて道を開けてやる。男の手にゴードンを渡すと、ブルースは戸口に集まっている住民達に顔を向けた。
「この付近に廃城や遺跡は無いか。モンスターが集まる場所などは?」
住民達が顔を合わせる。その中の1人が、ブルースではなくクラークに顔を向けて言った。
「西の森の外れに、古代の墓地がある。それこそ化け物が出るって話だけど」
「ここからどれ位掛かる?」
クラークの問い掛けに男は首を捻った。
「…3時間くらいかな。今は夜だから多分、もっと――」
「分かった。貴方達は戸締りを厳重にして、なるべく外に出ないようにして下さい」
「でも収穫祭が」
「中止が無難だな」
ケープを払い、ブルースは戸口に近付いた。住人達が一斉に避ける。クラークがその後に続き外へと出た。
「お前なら何時間掛かる、スーパーマン?」
「5分」
「上出来だ。急ごう」
逞しい腕がブルースの腰に回る。たん、と軽やかにクラークは地面を蹴った。
夜空へと舞い上がった彼の姿に、住民達が驚きの声を発する。
「ゴードンさんをよろしく」
「目が覚めても外には出すな」
ゴードンを抱えた男が無言で頷く。それを見届けてから、クラークが一気に高度を上げた。
星を圧して光る月は、何時の間にか凶星のような赤味を帯びていた。
第3章
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