12月21日/メトロポリス 3

太陽は明るい。通行人も少なくない。
高級ホテルの玄関に待ち伏せするなど大胆不敵だが、ろくな警護もつけていない初老の男を誘拐するには最適だったかもしれない。彼はボディガードの類を嫌うのだ。
これから先、その好みが変化するかも分からないが。
はっきり分かる銃口は4つ。サイレンサー付きだ。横にある車の運転手が持っている可能性を考えれば、1つ増える。

「まぁ、まぁ、落ち着いて…」
ブルースはわざと笑みを浮かべ、手を振った。

「君達が何を考えているか分からないけど、お金なら、ほら、ここに」
「動くんじゃねぇ」

財布を取り出す暇も与えず、目の前の男は銃を再度構える。ブルースは動きを止めた。横目で見たマッケンジーは青い顔をしている。
「坊やに用はねぇんだよ。ぶっ放すぞ」
「分かった。でも、このやかましい爺さんに何の用があるんだい?」
聞かずとも分かる気はした。十中八九、両都市の港湾状況に繋がっている。むしろ誰かが見つけて通報するまでの時間稼ぎだ。

「僕は関係ないよね?じゃあ、このまま、帰してくれないか……?」
「黙ってろ」
軽く頷いて口を閉ざす。
銃口は4つ。数から言えば撃退出来ない事はない。が、自分が2つの銃を叩き落す間に、マッケンジーは殺されるだろう。ブルースは男達の目から、殺意を読み取っていた。

「悪いが行き先変更だよ、サー。あんたの行くのは」
かちり、と4つの激鉄が一斉に落ちる。

「地獄だよ」

ブルースの目に、散らばる真珠が見えた。
街灯、倒れた2人、広がる赤いもの、膝にぶつかる石畳、遠ざかる足音―――
「よせ!」

サイレンサーを付けた銃は、空気の抜ける風船に似た音を発する。マッケンジーを庇いながら、ブルースはその音を確かに耳にした。
体中が強張る。あの蝙蝠の伝説も、ある大富豪の生涯と共に終わる。
襲いかかるだろう熱も衝撃も、痛みも、しかし、ブルースを襲う事はなかった。

「物騒だね」

ブルースの視界に広がったのは、赤だった。
「高級ホテルの玄関で使うべきものじゃない」
あの忌まわしい血の色ではない。花の色か、太陽の色か。
「渡してくれるかい?」
いずれにせよその赤は、見てきたどの色よりも鮮やかに、ブルースの目に焼きついた。

「…スーパーマン」

誰かが呆然とそう呟いた。


鋼鉄の男が右手を開くと、4つの弾丸が地面に零れ落ちた。放たれたそれらを素手で受け止めたのだろう。人間離れしたその所業を、ブルースはどこかぼんやりと見つめていたが、次の瞬間我に返った。
男の1人が、スーパーマンに狙いを定めている。

「止めた方がいいと思うよ。弾の無駄だ」
「う、うるせえ!」
小さい音を立てて弾丸が放たれる。しかしそれも、全て胸板に弾かれた。あらぬ方向に飛んだ銃弾が、大理石の柱に食い込む。

通りの向こうで歓声が上がった。赤と青を身にまとう大男が路上に現れれば、確かに嫌でも人目を引くだろう。ブルースは自分の着ている黒いコートを見ながらそう思った。
スーパーマンは男の手から銃を奪うと、軽々とそれを曲げた。部品の一部が先程と同じように、床に転がっていく。
「…君達はどうする?」
「……どうぞ」
他の男達はこぞって銃を差し出した。当たり前だ。銃弾を止められる男に立ち向かえる訳がない。やや妬ましい気持ちがブルースの心中で頭を擡げた。

この男ほどの力があれば、ゴッサムの犯罪社会は今より容易に変えられるだろう。目の前で誰かが殺されるのを見る事もなければ、三下達に阻まれて親玉を逃がす事もないに違いない。
従順になった男達がパトカー内に押し込まれていくのを、ブルースは少しだけ空ろな気持ちで眺めていた。

「勇気がありますね」
柔らかい声に振り向くと、スーパーマンが横に立っていた。背丈は自分と大差ない。同じ目線上にある青い瞳は、じっとブルースを見つめていた。
「何がかな?」
「あの人を」
スーパーマンがそこでマッケンジーに目線をやった。彼も参考人としてパトカーに乗せられている。
「庇ったでしょう?助けようとして」
「ああ……」
「あんな風に出来る人はそういませんよ」
「別に」
体が勝手に動いたまでだ、と言おうとしてブルースは止めた。今の自分は蝙蝠ではないのだ。遊蕩好きで小心な大富豪でなければならない。

「怖くて抱き付いただけさ」
「…怖くて?」
「ああ」
「本当に?」

晴れた空と同じ色が、心の奥底まで覗き込むような気がした。
微かに視線をそらしながら、ブルースはすっかり得意になってしまった曖昧な笑みを浮かべて答えた。
「本当さ。それより、君に会えて光栄だよスーパーマン。新聞では見た事があるけどね。友人に自慢しなきゃ」

この男は、苦手だ。

うっすら広がる感情を押し殺しながら、ブルースは男と握手を交わした。

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