『そこの君ー!そろそろ下りてきなさーい!』
「うるせぇー!!」
怒声と共に酒瓶が空から降ってくる。パトカーのボンネットに当たったそれは粉々に砕け、野次馬や警察は一瞬身をすくめた。
「何がクリスマスだ!何が“家族と一緒に暖かい休暇を”だ!」
40階はありそうなビルの屋上だった。手すりの外側に立った男がふらふらと体を揺らしている。声といい顔色といい、明らかに酔っていた。
警察があっさり取り押さえそうなものだが、問題が1つ。手すりに縛り付けられた老人だ。
良く見れば男の右手には大型ナイフが握られている。人質を取られている以上、うかつな行動は出来ないのだろう。
それらを一瞬で見て取ったクラークは、カメラを構えたロイスに尋ねた。
「あそこに立ってからもう何分経っているんだい?」
「30分以上らしいわ。最初はビルの中を襲ったけど、警察が来たから屋上に逃げたって」
「ビルの中を最初に?…じゃああの人は、その時に捕まったんだね」
「誰だと思う?」
ロイスはそこでようやくカメラから顔を離し、クラークに告げた。
「メトロポリス海運の社長よ、あのおじいさん」
「ええ!?」
「32階にオフィスがあるの。そこでも年末パーティーをしていたようね。社長挨拶をしていた時に、いきなり押し掛けたって」
「何か恨まれる事でもあったのかな…」
メトロポリス海運と言えば、その名の通りメトロポリス最大にして最古の海運会社だ。明日夜からクリスマスに掛けて行われるイベントでも、メトロポリス側の主催者として参加するという。街を代表する企業の1つなだけに、恨みの1つや2つには事欠くまい。
「家族か何だ、畜生!馬鹿にしてやがる!」
男がナイフを振り回す度に、老人も群集も息を呑んだ。かなり興奮しているようで、何が起こるか分からない。
「…ロイス、僕は野次馬に取材して来るよ。何か面白い事が聞けるかもしれない」
「いってらっしゃい」
上に夢中で気付いていないロイスを置き、クラークは人気のない方へ走り出した。
「畜生、畜生……」
男はがくりとうな垂れた。その頬に涙が伝っている。
「おい、社長」
「な、な、何かね?」
「あんたのせいだ」
ゆっくりとナイフを構える男に、老人は竦み上がった。必死で首を振る。
「わ、わしは何も知らん!一体、そもそも、君は何が目的で」
「うるせぇ!殺してやる!」
月明かりにナイフが煌いた。群集の悲鳴が津波のように沸きあがる。
が。
金属と金属の触れ合う音が響き、ナイフは軽やかに宙へと舞った。
「そこまでだ」
警察のサーチライトも届かない暗がりから、バットマンは姿を現した。
男と老人の目が揃って見開かれる。そこに浮かぶ感情は、恐怖だ。
鋭利な刃を持つバッタランが再び投じられる。それは老人を縛り上げていたロープを断ち切った。が、老人はその場に座り込むだけだ。どうやら腰を抜かしたらしい。
男の方も驚きと恐怖で硬直している。問答無用で捕まえるなら今しかない。バットマンは動いた。
しかしその手に捕まえられるより早く、男は悲鳴を上げて蝙蝠から背を向けた。
「待て!」
手すりの外側にいた男は、そのまま重力に従って落下していく。男の悲鳴は群集の喚きにすぐさま呑み込まれていった。
「くっ……!」
バットマンは躊躇いなく手すりを越えようとした。今すぐ続けて落ちれば男は捕まえられるだろう。翼代わりのケープが2人分の体重を支えられるかは分からないが、補助にロープを使えば激突は避けられる。
身を乗り出したバットマンを迎えたのは、群衆の歓声と―――黒髪の二枚目だった。
「あ」
2人の声が、期せずして重なった。
「…こんばんは。バットマン、だね?」
「ああ。…スーパーマン」
スーパーマンに捕まった男は、呆然とした表情でヒーローの邂逅を見ている。老人も先程と変わらない位置でへたりこんだままだ。
「初対面でこんな事を言いたくはないが…少しやり過ぎじゃないか?」
「どういう意味だ?」
男を掴んだまま、スーパーマンは言い続ける。
「止めた後で彼の言い分を聞いてあげても良かっただろう。いきなり襲うなんて」
「一刻を争う事態だと思ったからだ。文句があるなら先に動けば良かった筈だ」
互いの眉間に皺が寄せられる。冬の空気が冷え込みを増したようだった。
スーパーマンは、ふと黒いマスクの中を透視してやろうかと考えた。目に意識を集中させ、相手の顔に焦点を当てる。
「生憎だが」
バットマンが見透かしたように言った。
「このマスクは鉛入りなんだ」
思いついてから2日と経たない内に、補強を行ったアルフレッドへ、ブルースは感謝の念を捧げた。
「…で、何が原因なのか話してくれるかい?」
雰囲気の悪さを修正するように、スーパーマンは男に語りかけた。酔いがすっかり冷めたらしい男は、今度はさめざめと泣き始める。
泣き声で途切れがちに聞こえる話を、全て繋ぐのは骨が折れる作業だった。それでも2人のヒーローは、辛抱強く男の話を聞いた。途中から上がってきた警察は、スーパーマンが押し止めた。そのため主にバットマンが聞き役に回ったが、カウンセリングの手法も学んでいた彼にとって、別段苦にはならない作業だった。
「つまり1週間前、ゴッサムからの貨物が盗難にあった責任を、辞職という形で取らされたのか。それが原因で妻とは別居、子どもとも会えない、と」
男は嗚咽しながらバットマンの言葉に頷いた。
「今まで懸命に働いてきたのに!こいつらは俺をゴミのように見捨てたんだ!」
「それで死のうと思ったのか?社長を道連れにして」
「ああそうさ!どうせなら会社に復讐してやろうと思ったんだよ。だからまず…」
「まず?」
そこで男はぴたりと口を噤んだ。
「まず、どうした?」
「…ナイフを買ったのさ。後は警察で話すよ」
「分かった」
バットマンがスーパーマンに目線をやった。彼は頷いてから、警察を案内する。
NY市警はヒーローが2人もいる事に緊張した様子だった。スーパーマンに握手を求める者もいたが、流石にバットマンに対しては気が引けたのだろう。怯えるような視線を向けるだけだった。
「さて、と」
スーパーマンはバットマンに向き直った。
「会えて光栄だよ、バットマン。これからもよろしく」
差し出された右手に、バットマンは少し戸惑った。が、同じように右手を伸ばし、受け取った。
「行かなければ」
数秒間の固い握手が終わると、バットマンはそう告げた。
「ゴッサムへ?」
「ああ、君もメトロポリスへ戻るのだろう」
「…ああ、そうさ。お互い忙しいね」
答えに一瞬の沈黙を示してしまったスーパーマンは、それでも明るい微笑を見せた。だがバットマンは相変わらず唇を引き締めたままだ。
「言っておこう」
「何を?」
「君とは余りに違い過ぎる。…私のやり方に口を挟まないでくれ」
流石にスーパーマンもむっとしたようだった。が、一瞬後、彼はいつもの表情を取り戻す。
「分かった、気を付けよう」
それを受け、暗がりに溶け込もうとするバットマンの背中に、スーパーマンは言葉を投げた。
「口出しする前に、手を出すようにするよ。…僕は君より素早いからね」
「!」
振り向いたバットマンの視界を、飛び立つ赤いケープが占有した。
パトカーが去り社長がビル内に入ると、押し寄せていた報道陣も少なくなって来た。
「ロイス?」
クラークはあちこちに視線をやりながら、ロイスの姿を求めた。幸いドレス姿の彼女は簡単に見つかった。携帯電話で話をしている。恐らく相手はペリーだろう。
「ええ、それじゃあね。…クラーク!どこに行ってたの!?」
「ど、どこって、ビルのあっち側に」
「見た?」
タキシードの襟をロイスの手が掴む。わざと目を丸くするクラークに彼女は言い募った。
「スーパーマンが来てたのよ!それにバットマンまで!」
「え、バットマンって、あのゴッサムのかい?」
「バットマンが何人もいる訳ないでしょ!」
彼女の言う通りだ。あんな風変わりな蝙蝠が、2匹もいてはたまらない。
「一瞬しか見えなかったけど、警察から聞いたもの。間違いないわ!ああもっと良く見ておけばよかった……」
「スーパーマンの次はバットマンに夢中かい?」
「まさか」
ロイスは笑って首を振った。その様子にクラークは思わずほっとする。
「2人のヒーローが揃うなんて前代未聞よ。年末の記事にこれほど相応しいものはないわ」
輝く瞳で、彼女は手を振った。どうやら記事の見出しを考えているらしい。
「“鋼鉄の男と闇夜の騎士!”…長いわ。“光と闇”じゃインパクトに欠けるし…」
「まるで2人が組んだみたいな名前じゃないか」
「あら、そう思わないの?」
「え」
「だって2人で事件を解決したんでしょ?チームを組んだのと同じ事よ!」
絶句するクラークに、ロイスはにっこり微笑んだ。